序曲
「1楽章の楽しみ」
はじめに
難しいことは抜きにして楽しむ、....中略....小節番号は全音楽譜出版社が出版しているオイレンブルグ版(?)スコアのものです。
序曲について
交響曲は4楽章あります。ですから、いろいろな「思い」を盛り込むには時間的(長さ)にも空間的(4楽章の様々な形式)にも十分な器があるわけですが、18世紀初頭では演奏時間30分にもなろうという交響詩という形態が無い以上、単一楽章形式の曲は序曲というもののみになってしまいます。もともと序曲というものは歌劇を含むいろいろな劇のためのものですから、テーマが必ずあるわけです。そのテーマにしても非常に意義深く、10分や15分では盛り込めないものもきっと多かったでしょう。
リストによって交響詩という形態が現れるまでは、とりあえず序曲という名称で呼ばれる単一楽章の曲がそのような単発テーマの作曲の欲求を満たしていた、ということでしょうか。
劇に音楽を付けると、どうしても歌や台詞が主で、音楽はそれに引きずられてしまいますから、思いっきり音楽に意義や芸術的霊感を持たせるとすると、いきおい序曲に集中してしまうことになります。ですから、「エグモント」「レオノーレ3」などの名曲は、異常なまでの集中力が盛り込まれた、密度の濃い音楽になっているのですね。交響詩の演奏がうまいカラヤンがベートーヴェンの序曲演奏も逸品というのは、こういうところに要因がありそうです。
ここでは、この4曲に限定して、その密度の濃い内容が何に現れているかについて、思い付くままにながめてみたいと思います。
1.「エグモント」序曲 Op.84
交響曲第5、6番が、すでに作曲されていた頃のものです。
冒頭から、衝撃的に始まります。この1小節で、悲劇を予感させるというのですから、劇のための序曲というのは、表現力が非常に要求されます。ですが、じつはこの曲で何が重要かというと、なんとコントラバスなんです。この曲のCDをお持ちの方は、聴いてみましょう。
お好きな人はおわかりと思いますが、この曲のソナタ形式主部第1主題はアレグロでチェロによって演奏されます。ということは、コントラバスは何をしているの、ということです。和音は基礎が大切と言われますが、普段そういう基礎の役割を担っているチェロが旋律ですから、いきおいコントラバスに大役がまわってくるわけです。小節数で言いますと、b.37,47〜54,b.58〜65でしょう。特にb.47〜54では、第1主題確保に向かうクレッシェンドの中で、ただコントラバスのみが唸るように音を下げていきますから効果満点、超低音の魅力というやつです。同様に再現部ではb.162から、ピチカートで深みのある音を出して、ここも非常に良い効果です。コントラバスが独立して動いている部分はそれほど多くないのですが、そこが低音の持つ重厚な迫力というものをよく表現していると思います。
第2の聴き所は、第1主題の表現方法でしょう。ソナタ形式の主部に入ると、序奏で繰り返し現われた旋律というか音型がくるくる回るように現われますが、それは伴奏になるわけではなく、じつは第1主題の仮の姿だったというところ。そして、先程述べたクレエッシェンドで頂点に達したときの第1主題の確保で、ティンパニの連打(譜例の1)! この連打が堅めの音で鳴ると、衝撃的な面白さです。ティンパニの連打に象徴されるこの劇的な力強さは、ベートーヴェンであってこそ初めてできたものということができます。また、そこにあるチェロなどの「うねり」(譜例の2)もいいし、コントラバスの低音の魅力(譜例の3)も、いい!
そして当然、コーダも聴き所です。コーダ最初の小節は2度繰り返しとなりますが、それが半分の長さになって次の小節で繰り返されます。このような、長さを半分にして繰り返す手法は、ベートーヴェンのお得意のものでしょう。あちこちにあるsfの指示が、その劇的なすばらしさをさらに倍化させます。
短い音楽で「レオノーレ」に隠れてしまっている感じも少しありますが、コーダの有無を言わせぬ迫力など、非常に魅力的なソナタ形式であり、もっと聴かれていい曲です。
2.「レオノーレ」第3番 Op.72b
こちらは、交響曲第5、6番とほぼ同じ時期のものです。
この曲は、オペラの序曲だからということもあって、ホルンが4本、トロンボーンが3本あります。しかも、トロンボーンは全体の3分の1にわたって音があります。これは画期的なことで、それほどトロンボーンに音符がある曲は、19世紀前半では珍しいのではないでしょうか。
いたるところのfやffに、トロンボーンが加わっています。ホルンとトランペットにトロンボーンが加わることで、金管楽器のみで厚みのある和声が十分に成立するのですね。これは交響曲第5番の第4楽章でも行われました。ですから、b.65からの第1主題の強奏では、金管楽器が十分な和声を保つので、弦楽器や木管楽器は心置きなく主題をめいっぱい演奏できるのですね。コントラバスまで主題を演奏しています。普通、ベートーヴェンは重厚さを出すために、第2バイオリンとビオラとで緊密な和声を実現する手法をよく採ります。それはたとえば、b.75からに相当します。1オクターブの中で3音による和声を使うわけで、中音域の充実感が全く安定した空間を作り上げます。この例は、ほんとにたくさんあります。ですが、この曲ではそういったことをする必要が無いのです。
b.83からではバイオリン等が細かな動きをしますが、やはりトロンボーンがしっかり鳴っていますので、全く完璧な重厚さを実現しています。管弦楽法としての自由度が非常に広がったわけです。
ここではやはり「ソナタ形式のすごさ」について書く必要があったなとは思うのですが、音としての印象が強烈ですから話題をコレにしたわけです。この第1主題提示部について、バイオリン等の弦楽器を見てみましょう。序奏が終わって第1主題が2度現れます。次に、徐々に盛り上がっていくところが始まるわけですが、たとえば第1バイオリンは、ここから第2主題が始まるまで70小節以上にわたって全くの休み無しです。連続した動きの面白さや迫力から楽器の使い方に至るまで、面白さ満載提示部なのです。
この曲で聴き所といえば、やはり、ほぼ中央、再現部の冒頭に位置するフルートのソロでしょう。ファゴットの軽やかなサポートを得たフルートは、ト長調で、いかにもさわやかに鳴ります。これも交響曲第7番の第1、4楽章で聴かれたように、重厚さの中のほっとする瞬間です。ですが、演奏者無視の飛び跳ねるような音の跳躍と、どこで息継ぎをしたらいいか悩んでしまう長いソロで、演奏者には心中おだやかではないかもしれません。
もう一個所あげるなら、b.360からの、第1主題の2度めの再現に至るクレッシェンドです。低音弦の動きに注意してください。ここは私の好きな所ですが、弦がだんだん音程を上げて頂点に達すると一気に急降下して短時間にffに達する動きは、興味深いものがあります。
3.「コリオラン」 Op.62
交響曲第5、6番の少し前のものです。
この曲の面白さは展開部にあります。3種類の流れ、すなわち、ファゴットの持続音(譜例の1)、チェロの上下に細かく刻む音(譜例の3)、そしてバイオリンや管楽器に現れる、「タターン」「タターン」という音型(譜例の2)です。これが延々の繰り返される様がじつに興味深い。調を変化させ、クレッシェンドで期待させたり音を急に弱くさせたり、そして展開の妙技をここでも聴くことになります。展開技法の例では交響曲第5番の第1楽章がよく引き合いに出されますが、この曲もなかなかどうして面白い技を聴かせてくれます。ここで使われる「タターン」という音型は第1主題の後半に使われているもので、本来は目立たないまま終わってしまうのですが、ベートーヴェンは違っていたわけです。期待通りめいっぱい展開してくれました。展開部末尾は、じつに重厚にせまってきます。
この音型に類似のものが、弦楽4重奏曲「ハープ」の第1楽章展開部に聴かれます。あちらは実際には「タターン」ではなくて「ターンタ」が基本なのですが....面白いことにこの音型も第1主題の後半にある、目立たない音型なのでした。
聴き所は、最後にもあります。最後の盛り上がり(b.260)の後の頂点(b.264)。ホルンの咆哮を伴う、最後のff。その後、音楽は沈潜していきます。
4.「フィデリオ」
とりあえず常識:オペラ「フィデリオ」は当初は「レオノーレ」という名前で、「レオノーレ」序曲第2、3番は、上演に使用された。また、第1番は、使用されなかった。最後の決定版として、オペラは名前を「フィデリオ」にし、それにあわせて序曲「フィデリオ」が作曲された。
この曲は控えめな曲になってしまいました。「レオノーレ」第3番が重厚だったからですかねえ。
ということで、トロンボーンを2本使用していても、じつは後半しか出番がありません。それはともかく、ひとしきり序奏を鳴らせた後で出てくる第1主題はまずホルン、次にクラリネットです。そう、ここでは弦楽器が出てきませんね。伴奏を受け持っています。ベートーヴェンがこのように管楽器にばかり主題を任せるのは珍しいのではないでしょうか。そういえば序奏でもなだらかな和声の主題を、なんとホルンとクラリネットに任せています。管楽器が大活躍です。ベートーヴェンの初期の頃(たとえば交響曲第2番)は「管楽器の使いすぎ」と批判がありましたが、そんなことはおかまいなしです。ということで、まろやかな印象が強い序曲になっていないでしょうか。じつは密度が濃いなんて全然印象に残らないくらい、さっぱりした序曲になったのでした。それくらいにイメージチェンジしたということになりますか。展開部も非常に短めなので、すぐに終わってしまうのが心残りです。その分、オペラを見ろということなのでしょう。
(2003.8 add)