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  5. ピアノ協奏曲第5番

単発講座「気楽に聴けるピアノ協奏曲第5番」


 とにかく気楽に聴きたい。何も迷い無く聴きたい。そんなときは何を選べばいいのだろう。有名な曲から選ぶなら、私はやはりピアノ協奏曲第5番「皇帝」を選ぼう。もともとピアノ協奏曲は「ショー」的意味合いを持つ曲種だ。管弦楽をお伴に、ピアノを聴かせる曲だ。だから、本来楽しい曲であるはずなのだ。その中でも、ベートーヴェンの管弦楽の痛快さを含めて選ぶなら「皇帝」だろう。

第1楽章
 とにかく冒頭がすばらしい。けど、それはもう200年間も言い古されてきたことに違いない。しかし書かねばならぬ。まさにピアノの演奏の真髄を示したという部分である。続いて第1主題。そもそもその第1主題を導くピアノの和音の単純明快なこと(本当はちょっとした工夫があるそうだ)。当然のごとく第1主題が現れる、その安定感が良い。
 ちょっと進んで現れる第2主題。これの面白いところは、続く音が全て2度の上下移動でできているのだ。決して3度以上の跳躍が無い。なだらかに動いていく。なんだか、私にも書けそうではないかね。しかし絶対に出来ないのだ。
 この後は管弦楽の大サービスだ。それまでのピアノ協奏曲には無かった、管弦楽のみでのちょっとした展開部があるのだ。大サービスゆえ低音弦も面白い動きをしている。譜例を出すので、どこにあたるのか探してみよう。さすが、交響曲第5番第6番を完成した後のことだけある。協奏曲では、これほどやりがいのある部分も珍しいに違いない。この大サービスは、ピアノが登場しての第2提示部にもほとんど同じ形であるが、残念ながら再現部には無い。
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第2楽章
 優しいまま流れていく。邪魔しないでくれるところが良い。fはあるが、すぐに弱くしてくれる。あまり凝った動きをしないので、なんとなく聴いていられる。後半では、夢心地にさせてくれる(下)。
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第3楽章
 とにかく快活である。冒頭の主題の左手がもう、とにかくよく弾む(下)。これほど弾むのはベートーヴェンでも珍しいと思う。
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 珍しいと書いてしまったが、そこはそれロンドという舞曲の一形態なのだから、本当はこれぐらいに楽しくやってもらいたいものだ。この楽章はその思いをわかってくれている男の音楽である。ロンドなので他にも2つの主題があるが、どれも快活である。バイオリン協奏曲と比べてみると、あちらのロンドはある旋律が物悲しくせつないものになっている(*1)が、「皇帝」では、それが無い。急速なアルペジオ(下)とか、ティンパニを伴ったカデンツァとか、あちこちに印象的な部分もあり、聴くほどに味わいがある。下に例があるアルペジオだが、このままでは、最初の左手の4つをそのままの長さで弾くと、続く小さな音符の9個を1個の8分音符の長さの中に押し込まねばならない。そんなことできるのか、と悩んでしまう。が実際にはなんとなくやっちゃっている。

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 この第5番は外面的に充実した良い曲であるが、第4番の内面の充実(*2)をより出来が良いものだという人が多い。もっとも、第3楽章の快活さが似たり寄ったりなので、この場合は第1,2楽章を評価していることになる。これが日本に限った話なのかどうか知らないが、おそらく、「沈黙は金、雄弁は銀」というか、良く出来た曲は派手さになんか頼らないというか、そういう点で評価しているのだろう。でもまあ、本当に内面が充実した人物が作曲するのであれば、外面的に充実した曲も簡単に出来てしまうものである。つまり、人間に幅があるのだ。したがって、第4番が本当に内面の充実ですばらしいのなら、第5番という豪華、華麗な音楽がすばらしいのも当然なのだ。表裏一体なのだ。

 しかしまあ、この後に続くブラームス、リスト、ショパン、チャイコフスキー、ラフマニノフ、グリーグといった有名どころのピアノ協奏曲を聴くと、「皇帝」のような単純明快な陽性の音楽がひとつも無い。どこか、内にこもるというか、陰性の部分があって、私としては正直面白くない。これは、ロマン派という時代のなせる業なのか、それともピアノの発達と管弦楽の拡大が単純明快な要素を埋もれさせてしまったのか、それとも、深刻に対峙してりゃ芸術だと思っている手合いばかりなのか、それはわからない(*3)。私には、ピアノ協奏曲はモーツァルトに始まってベートーヴェンで終わってしまった曲種なのだ。

*1 バイオリンの特性を活かすなら、そんな旋律も書きたくなるだろう。
*2 嫌な言い方であるが、「精神面の豊かさ」などと表現する。
*3 無理に聴く気が無いからである。



(2009.11.4)



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