優しい曲たち
ここでは、あのいかつい顔のベートーヴェンには似合わない優しい曲を集めてみた。無論、顔で作曲しているわけではないし、決して「優しい」が「演奏が易しい」「構造がわかりやすい」「短い」というわけでもない。艶かしい(なまめかしい)曲や可愛らしい曲を、ここで並べてみたいのだ。
←いかつい顔
選ぶにあたっては、とりあえず、独立した1曲とみなせる単位で選んでみた。
優しい曲といえば、交響曲第9番の第3楽章であるとか、ピアノ・ソナタ第14番「月光」の第1楽章であるとかが思い出されるかもしれないが、それらは組曲として構成されていて他の楽章の対比として存在しているので、少々意味合いが違うような気がする。
だからここでは、それ1曲で成立する音楽を対象とした。バガテルはたしかに組曲になっているものがあるが、そこからいくつかを取り出して演奏するのが普通に行われているので、選択対象になる。
1.ピアノ小品
・7つのバガテル Op.33 より
第1曲 変ホ長調、第3曲 ヘ長調、第4曲 イ長調、第6曲
ニ長調
・11のバガテル Op.119 より
第4曲 イ長調
・6つのバガテル Op.126 より
第1曲 ト長調、第5曲 ト長調、第6曲 変ホ長調
最初は、ピアノ独奏による小品だ。
バガテルは小品ながらも、まとめると演奏時間が1時間を超えるほどの数があるので、CDアルバムとして成立してしまう。
内容は、初期に相当するOp.33から後期のピアノ・ソナタのオマケ的存在であるOp.126まで、多種多様である。Opとしてまとめられている曲は比較的出来が良く、Op.126は最初から組曲として作られているが、抜粋することが多いので、ここで扱った。バガテルは、ベートーヴェンの本質を知る意味で聴くべき曲であると思う。
Op.126-6は、冒頭と末尾に急速な部分があるのがご愛嬌である。
・エリーゼのために WoO 59
「エリーゼのために」はバガテルとしては規模が大きい曲で、単独のWoO(Op番号なし)の中でも内容が充実している。その曲名ゆえピアノ初心者の食指をそそるが演奏は一筋縄ではいかない。3つの主題がある小型のロンドで、軽めのカデンツァまで備えたスグレものである。
・アンダンテ・ファヴォリ WoO 57
ワルトシュタインの成立事情で有名だ。長く豊かな内容を持つ。ベートーヴェンのお気に入りでもある。
・ロンド ハ長調 Op.51-1
初心者向けの練習曲集に載っているにもかかわらず、話題になることが全く無いといっていいほど無い。ゆったりとしたロンドである。ト長調(Op.51-2)とセットになっている。
・「ネル・コル・ピウ」の主題による変奏曲 ト長調 WoO 70
24歳の作品。バイジェッロの歌劇「水車小屋(粉屋)の娘」の2重唱「ネル・コル・ピウ(心の喜びは消え失せ)」をもとにした変奏曲。ベートーヴェンがこの歌劇をある貴婦人と観たとき、その女性が「私は、この歌の変奏曲の楽譜を無くしてしまったの」と言ったところ、「私が作りましょう」と1日で作曲してプレゼントしたという。変奏曲の作りとしては単純な内容で、初見で演奏可能な程度に易しくできている。
2.バイオリン独奏曲
・バイオリンと管弦楽のためのロマンス ト長調 Op.40
・バイオリンと管弦楽のためのロマンス ヘ長調 Op.50
どちらも独特の魅力を持った佳作だ。これを聴かないのは、正直もったいない。ヘ長調は「珠玉のバイオリン名曲集」という企画によくノミネートされる。「ロマンス」とは、恋愛をテーマにしたのではなく優しい曲調という意味にとっておこう。
・バイオリン・ソナタ 第5番 ヘ長調「春」 Op.24
バイオリンで優しく演奏するとこうなる。全楽章を通じて、暖かい雰囲気でほぼ統一されている。当然スケルツォは快活だ。
3.ピアノ・ソナタ
・ピアノソナタ 第10番 Op.14-2
28歳の作品。特に第1楽章が快活で可愛らしい。うまく演奏されたときの魅力は何物にも代えがたい。
・ピアノ・ソナタ 第15番 ニ長調「田園」 Op.28
30歳の作品。ベートーヴェンは、けしかけられなくても演奏したという。その意味で珍しい曲。第1,2,4楽章の穏やかな雰囲気にはさまれて、スケルツォの第3楽章のみが(激しいというわけではないが)ピリッとしたアクセントを放っている。第2楽章は、ベートーヴェンのお気に入りであった。
・ピアノソナタ第20番 ト長調 Op.49-2
25歳の作品。ピアノの練習用としてお馴染みであるが、いざ可愛く演奏しようとすると(初心者には)難しい。小型のピアノフォルテを想定して強弱を控えめに演奏すると可愛らしさが増す。
4.その他室内楽
・ピアノ三重奏曲 変ホ長調 WoO 39
41歳の作品。単一楽章のソナタ形式。1812年、ピアノを教えていた当時10歳のマキシミリアーネ・ブレンターノに、練習の励みになるようにとプレゼントした。ベートーヴェンは、とても優しいおじさんなのである。
由来から内容は容易に想像できるだろう。簡潔にまとめられているが、さすがに41歳の作品なので、なかなかよく出来ていると思う。
ちなみに、この9年後、マキシミリアーネにはピアノ・ソナタOp.109(後述)が献呈された。
番外.
ピアノ・ソナタ 第28番 イ長調 Op.101 第1楽章
ピアノ・ソナタ 第30番 ホ長調 Op.109 第1楽章
ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 Op.110 第1楽章
これら3曲では、どれも第1楽章が優しく美しい。他の楽章がやや勇ましかったり激しかったりするので今回は番外扱いであるが、「優しい」という点では逆に筆頭に来るほどのものだ。この3曲の優美さは完璧だ。第31番では冒頭に「優しく」という指示がある。
これらは、当時としては最先端の曲であった。
(2009.8.28)