「おまえ、シェルヘン、買うんか」みたいな。
このサイトで、あまり演奏の批評や感想を書く気は無いんだということを、とある場所に書きはしたんだが、これだけは別格だろうか。いや、フルトヴェングラーとか、そういう人の演奏じゃない。何もそんな有名人を私が書く必要などあるものか。
ヘルマン・シェルヘン指揮、ルガノ放送管弦楽団による交響曲全集(1965?)、ちょっと残念なことにオマケの序曲は無いんだな。
放送用スタジオに聴衆もある程度来ていただいてのライブ演奏を収録したもの。これが、ものすごく面白い。どう面白いかというと、正直、ブッ飛んでいるのだ。ここの別のページでは「異端」とは書いたものの、はたして異端なのだろうか。
ネットで見かける表現は「怖い」「火だるま」「とてつもない」「噂に名高い」「あっひゃっひゃ」「とてつもなくおもしろい」「ヘタだが凄い」「トンデモ演奏」「すさまじい仕上がり」「狂気」、まあそんなとこだ。
「一般的演奏」(皆さんの頭の中にある)と比較してみよう。シェルヘンの解釈は、99%普通のもの。奇をてらったというところは、ほとんど無い。ただしそれは速度や強弱を抜いての話。演奏は必要以上にメリハリがあり、ダイナミックでエネルギッシュ。たぶん、fやffは、普通の演奏の3割、いや4割増しくらいか。sf(スフォルツァンド)は、きっちり実行。速い楽章は、総じてさらに速め。遅い楽章は、まあ普通の速度。一応楽譜にある音はきちんと鳴らせる姿勢で、ほとんど改変していないようだ。しかし、即興演奏かと思うような、あまりにも自由なイントネーションや極端な速度の変化も所々あるので注意。ただし、これらはまあやってもいいかなと思う場面のみである。それに加えてシェルヘン自身のうなり声、叫び声が聞こえるのだ。
旋律とリズムは時折乱れ、急速な楽章はカーブを曲がりきれないためにどこかへ飛んで行ってしまいそう。一部のゆっくりとした楽章でさえ、この速度でよく破綻をきたさないな、とハラハラする瞬間もある。冒頭から縦の線がずれていたり(つまり、音が揃わない)、演奏者がテンポで戸惑っているような楽章もある。アマチュアだったなら絶対に総崩れになるだろうという場面もちらほら。このオーケストラも破綻の限界で踏みとどまっているのだろうか。そんなギリギリの線で、あたかもF1マシンが鈴鹿を走り抜けるような感覚で、全9曲が演奏されているのだ。特に第7番第4楽章は、提示部の繰り返し無しで、6分13秒にて終わる。恐らく、世界トップクラス。
カッコ良く言えば、演奏というものの一過性、最後の和音が終ればその音楽は過去に取り残されて感動だけが残る、そういうことの象徴としてあるような演奏だ。悪く言えば、どんな指揮者でもこんな演奏だけは決して記録として残さないだろう、というような演奏である。そういうことでは「異端」と称しても仕方の無いことだ。
典型的なブッ飛び演奏であるが、この演奏の独特の面白さ、麻薬のような魅力は、音楽の楽しさを素直に示し、演奏の可能性の広がりを端的に証明している。知らない人が聴いたならば、これはヘタクソなアマチュアですか、と一瞬思うかもしれない。いや、アマチュアこそ逆に丁寧に模範的な、結果としてクソつまらない演奏を目指すんじゃないだろうか。しかしアマチュアでもプロであっても、私は、こじんまりとしたおざなりのベートーヴェンを後生大事に練習して聴かせてもらうより、本当は彼の熱血演奏を見習うべきじゃないかと思うのだ。
テンポについても、要所は練習時にしっかり指定していただろう(でなければ、第9番第3楽章コーダのあの演奏は考えられない)が、全体としては、本番での、一発に賭ける勝負の意気込みで出来上がっていると思う。
古典派の範疇で、強固な意志と絶え間無い努力で作曲されたベートーヴェンの曲のみに許される爆演なのである。それ以前の曲(ハイドン、モーツァルト)、それ以後の曲(シューベルト、ブラームスetc.)では、同じように演奏しようとしても、決して曲として成り立たないんじゃないかと思う。
(2005.10.15,18)