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  5. 交響曲第1番

単発講座「交響曲第1番」


面白さは若干少ないけど良いこの曲

 交響曲第1番の特徴は、それ以後のものと比べると、本当に少ない。仕方の無いことである。さて、この曲をどう位置づけて聴くかであるが、第2番と連続させるよりも、シューベルトの交響曲第5番やビゼーの交響曲第1番と無理やり関連づけると面白い。そのような純古典的な雰囲気を持っているのである。健康的と言ってもいい。それは部分も全体も、そうなのである。これら3曲が作曲年代的に非常に近いとか、影響を与え合ったなどと説明されても「なるほど」と思ってしまうに違いない。

交響曲第1番
 第1楽章
 序奏が短めであるが、ハイドンなどの曲と似たりよったりである。解説では普通、序奏部の調の動きに主眼が置かれるが、現代の調性がくずれた時代には気にする人は少ないだろう。それよりも、アレグロ主部も含め健康的音楽であることを素直に楽しみたい。
 主部での面白い使い方の一つめは、和音打撃である。そのよい例は、b.31,32と、b.46-52、b.76にある、素直な音の流れであるが、それが単なる思いつきではなく、しっかりと計算されて配置されているということが、コーダのb.271以降になって初めてわかるのである。

 第2楽章
 この主題は、まだなめらかさが足りない。これは18世紀向きの主題である。ベートーヴェンの息の長い旋律はまだ現れない。しかし、ピアノソナタにはすでに現れていることを考えると、やってできないことではない。当時の様式に少し合わせてみたと言っていいだろう。この楽章ですでにティンパニの面白い使い方がある。それはb.53からであるが、この楽章ではこれが最初の出番なのだ。静かな響きであるが、印象深い。

 第3楽章
 元気いっぱいではしゃぎまわる冒頭をスケルツォ的というわけだ。しかし、ひとすじナワではいかない。冒頭8小節は、前半がハ長調、後半はト長調なのだ。そんなこともあって、このスケルツォは不思議な流れがあって印象深いものになっている。そのかわりトリオは単純な和音の連続になっていて、対比が面白い。

 第4楽章
 これが、なんと表現していいのかわからないのである。一聴、特徴が無い。だからハイドン的などと言われてしまうのであるが、もちろん、ハイドンのロンドにあるような軽やかさは、どこにもない。そういう雰囲気作りという点では、ベートーヴェンらしさが、少し現れているといっていいと思う。しかし、この楽章に関しては、語りにくいのである。仕方ないのかもしれない。



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