単発講座「交響曲第3番」
一番体調を気にするのはこの曲
演奏会に行くにしても、家でオーディオを聴くにしても、改まった気持ちで聴くとなると体調が気になる。ワルツのように軽い曲はそれほど体調には左右されないが、ことベートーヴェンの曲に至っては体調をベストに持っていって聴きたい。であるから、カゼ気味であるとか徹夜後にはなるべくなら避けたほうがいい曲がコレだ。「田園」も同様に、その名前から想像するほど軽い曲ではない。やはり聴くにはちょっと体力が必要なのだ。時間的長さということでは当然「第9」の方が長いに決まっている。あれもマジメに聴こうと思ったら相当体力が必要だ。しかし、「葬送行進曲」が無いだけ気持ちはラクといえる。
「英雄」はアマチュアにもプロにも難曲である。交響曲第5番、「田園」より前に作曲されたからといって、甘く見てはいけない。聴く以上に、演奏するには体力も技術も感性も熱気も根性も必要なのだ。よって、演奏の出来不出来は聴いてすぐにわかってしまうのである。
交響曲第3番「英雄」
第1楽章
3拍子であることに改めて注意したい。日本の間抜けな音楽教育からすると3拍子はワルツのようなものである。なので3拍子で勇壮な音楽が存在するということは、その固定観念からは容易に想像できない。3拍子の第1楽章は他に何があるだろう。なかなか思いつかない。すぐに出てくるのはベートーヴェンの第8番、ブラームスの交響曲がいいところであろう。しかしどちらも勇壮というほどではない。
この3拍子を劇的なソナタ形式に高めたのは、交響曲全体を見ても以前の曲より飛躍的に進歩した「英雄」であるというのだから、痛快である(2拍子で同じような曲ができただろうか)。
この楽章の特徴は、「第9」第1楽章に通じる豊富な楽想だろう。b.23,45,65,83,109から始まるように主題と呼べるものが多数出現する。もちろんいくつかは第1主題などから派生したという分析になるだろうが、聴いている間はそんなことは関係ない。ともかく豊かさが明確にわかるわけだ。そして、展開部の後半でb.284から第3の重要な主題が現れる。とにかく展開部は何をしてもいいのである。
そして面白いのは、b.603からである。最後の最後まで決して流れは途切れることなく、終結の場を見事に演出している。
第2楽章
濃厚な第1楽章に続くのが、これまた濃厚な葬送行進曲なのだから恐れ入る。ここまででも演奏するには大変に恐ろしい曲である。気が抜けない。こういった曲であるから「英雄」演奏の双璧がフルトヴェングラーとトスカニーニになってしまうのである。どうやって聴き手の緊張を持続させ満足していただくか。内容が濃厚な「英雄」は「合唱」に次いで演奏が難しいのではないかと思う。
b.114から、魂をえぐるフガートが始まる。感動は聴いていただくこととして、このように3部形式(A-B-A)の後ろの(A)の冒頭にフガートを持ってくるのは、交響曲第7番でもやった手法である。こうすることで展開部があったように感じられ、単純な繰り返しにはありえない豊潤な世界を形成することができる。フガートもともかく、この楽章では後半のAは、どこを取ってもかなり前半とは様相が異なっている。
第3楽章
この楽章の面白いところは、なんと冒頭がどうなってるのかわからん!というところである。3拍子なのか否か、アウフタクトがあるか否か。それは始まって3秒後、疑問に思って1秒後くらいに主題が現れるのでわかる。スケルツォなのだ3拍子なのだ、と。そこがこれまでの第3楽章と異なるところであろうか。前に「葬送」があるだけに、地下(墓の下)でうごめく何かのようにも聞こえるが、そんな勘違いはすぐに消える。さて、この冒頭からのうごめきは主題と言ってよい。序奏でも伴奏でもない。「序奏が展開するか」と少し考えるとわかる(ザ・グレートのような例外もあるが)。冒頭のうごめきは立派な主題の一部なのだ、ということで3拍子の細かな動きが世界を統一しているところにb.381のような2拍子が割り込んでくるから面白いのである。
譜例下は「英雄」の第3楽章、ホルンで有名な部分から、スケルツォの主題が弦楽器に戻ってくるところ。スケルツォは3拍子であるが、かなり速いので1小節を1拍として数えよう。じつはこの楽章は2小節が1単位、つまり2拍子のように聞こえるが、ベートーヴェンはジョークが大好き。この部分で、2拍めを次の2拍子の1拍めに重ねてしまったのである。そのため、そのままでも不安定なざわめきが、さらに唐突さも加わって復活したように聞こえることになった。しかし、すぐに安定した主題が現れるので安心だ。ここで例にあげた区切りの解釈に異論はあるかもしれないが、2小節1単位ではない「ずれ」があることは確かであろう。
第4楽章
「第9」と並んで終楽章が変奏曲であるのはこの「英雄」である。他はロンドかソナタ形式。この変奏曲という形式は日本人には少々親しみにくいところがあるかもしれない。私が音楽の初心者だった頃もそうだったのだ。緩やかな楽章での変奏はそれほどでもなかったが、この「英雄」の終楽章はかなり荷が重い変奏曲であった。交響曲第5番のように一気呵成に終わらないものかな、と思ったものである。昔から変奏曲が一般的であったヨーロッパの人にはそれほどでないだろうが、日本人の私には違和感がある終曲である。
冒頭しばらくは普通の変奏曲なのであるが、フガート(b.117等)になったり新しい旋律(b.211)が出たり、フルートの長いソロ(b.175)が出たりと変化が豊かで、ただ単に変奏と言ってはいけないような、内容の濃い面白い曲である。
変奏はベートーヴェンにとって十八番であるだけに、よく聴いて他の作品とともに聴き比べなどもしたいものだ。