運命からの脱却
いいかげんに運命の主題にこだわるのを、やめませんか?
管弦楽のコンサートの主役が交響曲になって、そろそろ200年にもなろうかという時代、交響曲にかつてない密度と迫力を与えたベートーヴェンの代名詞とも言える交響曲第5番は、今もひときわまぶしい光彩を放つ。その冒頭の主題は「運命の主題」あるいは「運命のモチーフ」と呼ばれ、クラシック音楽を知らずともその音を聴いたことのある者は数限りない。この主題は、いかにも曲全体をまとめる素材として使われているかのように見える。曲が全体でまとまり、引き締まったように感じられることを「有機的統一」というが、その立役者が「運命の主題」なのだ。
都合がいいことに、「運命の主題」は、突き詰めるとたったの2小節であり、しかも単純な形状をしている。しかし、都合が悪いことに、どこにでもありそうな音形なのだ。したがって、「運命の主題」を彼の多数の作品のそこかしこに求め、そこに交響曲第5番ないしは「運命的なもの」への関連性を求めるようになるというのは容易に想像がつく。しかし「あ、ここにも運命の主題があった」ともてはやす、さらには何か因縁めいたものを読み取ろうとすることは、実は、おかしな話なのである。皆、「釣られている」のである。
交響曲冒頭のいわゆる「運命の主題」は、リズムとしては「タタタター」とみなせる。正確には「ンタタタター」(ンは、休符)であり、この仲間には、最初の3音が3連符になった「タタタター」がある。なお、この主題の音程についての考察は、別ページにあるので参照されたい。
「運命の主題」に似たどこにでもある音形の例として、ベートーヴェンでは、「英雄」交響曲の第2楽章「葬送行進曲」をあげよう。コントラバスなどによく現れる。しかしこれらは、3連符の「タタタター」であり、休符付きのものではない。同じく「英雄」の第1楽章コーダにも現れるが、これも3連符のものだ。ピアノソナタ「熱情」第1楽章にもあるが、12/8拍子であるため、こちらも3連符の「タタタター」に同じだ。弦楽4重奏曲第10番「ハープ」の第3楽章にもあるが、これも3連符モノだ。意外と休符付きの「タタタター」が少ないのではないかと気付く。じつは、交響曲第5番の第3楽章も、3連符の「タタタター」なのである。他にもあるので、ぜひ探してほしい。休符付きとみなせるかどうかが、ポイントだ。
第1楽章の「ンタタタター」で休符があるのは、この楽章が2/4拍子であるからなのだが、砂川しげひさ氏の著作で、「ン」があるのが斬新なのだ、という解説がある。何気なく聴くと単なる「タタタター」になってしまうその前に休符があるからこそ、緊張感が生まれるという。これを斬新であるとするなら、じつは、休符の無い3連符「タタタター」こそが基本形であることに気付く。トランペットのファンファーレでよくある「タタタター」のほぼ全ては3連符のはずだ。そう、ベートーヴェンに限らず、あちこちにある「タタタター」は「運命の主題」ではなく、ただの「元ネタ」なのである。参考までに、ハイドンの「軍隊」交響曲第2楽章を聴いてほしい。後半にトランペットの信号があるが、3連符になっている。
ベートーヴェン好きなら、「ウェリントンの勝利」で最初に鳴る進軍ラッパを思い出してみるとよい。このようなトランペットの信号は、場面によっては「警句」とみなすこともできる。注意を与えるということで、「運命的なもの」と拡大解釈することができるかもしれない。こじつけであろう。
交響曲第8番第4楽章でも、「タタタター」が勇壮に鳴る。しかし間違えるなよ。これは、6連符「タタタタタタター」が早すぎて管楽器が演奏できないために「タタタター」になっているのである。
さあ、もろびとよ、そろそろ脱却しようではないか。君たちが探しているのは、「運命の主題」ではない。それは「運命の元ネタ」なのだ。交響曲第5番以外で面白がって探すのはいいが、そこに「運命的なものの内在」を求めるのは、やめよう。3連符「タタタター」は、その形の性格上、どうしても勇壮に鳴ってしまうものであり、意味ありげに受け取られ易いものなのだ。異なる曲では、決して「運命」と短絡させてはいけないのである。
(2005.10.22 , 2005.12.18改訂)