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運命からの脱却 3!


 さて、ひさしぶりのこのシリーズ、果たして交響曲第5番第1楽章の第1主題は、どこからどこまでなのだろうか、という簡単そうな、聴く分には限りなくどうでもいいように感じられる問題について考えてみたい。なお、「主題」のことを「動機」と書かれる文献が多かった。

5小節だけだと思ってみる

sym5-1-1.gif (2447 バイト)
 普通に考えると、第1主題は上に示した5小節になる。

 1810年、E.T.A.ホフマン(Ernst Theodor Amadeus Hoffmann)は、最初の2小節を「主要動機」(という訳語)と呼び、主要動機はくり返えされると説いた。ホフマン氏が思うに、第1主題は2小節なのだろう。それに呼応してか、シェンカー(Heinrich Schenker)は1921年の著作で「第1楽章の主要動機は、今までに取り違えられることがあったが、スコアの第1、第2小節の2つの高さの音だけではない。むしろ第1〜5小節の4つの高さの音の組合せである」と説いた。その後のシェンカーの論説には妙な部分があるが、それは置いておくとしてここでは「5小節説」が出てきた。シェンカーの書き方では、「2小節説」「5小節説」の2つがもともとあったようだ。
 普通に考えると、このあたりで思考が停止すると思う。

ちょっと待て!

bee2.jpg (10071 バイト) STOP!

 でも、これは少し考えると変なのだ。古典派の楽曲の一般的な様子を思い返すと、あまりに短すぎるのである。たとえば、
moz40-samp.jpg (5070 バイト)モーツァルト交響曲第40番
 この譜例では、冒頭から●までで第1主題で、その後に繰り返しがあってひとまとまりになる。
haydn100-samp.jpg (4872 バイト)ハイドン交響曲第100番
 こちらも、この部分で第1主題で、続けて繰り返しがあって落ちがつく。

 とまあ、大抵の曲は4ないし8小節がひとまとまりで、おまけにその後ろに(多少変化したとしても)くり返しがあって安定した1つの部分を形成しているのだ。
 すると、これらに比べてあまりに第5番の冒頭主題が短く、しかも単純であることに気付くだろう。これでいいのだろうか。日本の解説書でも「5小節」説が多いが、だからといって非難する気にもならない。指揮者ワインガルトナーも1906年の「ある指揮者の提言」では5小節の第1主題と書いている。ただ、トーヴィ(Sir Donald Francis Tovey)によるとワインガルトナーは1898年の著書「ベートーヴェン以後の交響曲」(邦訳は無いようだ)でハ短調交響曲第1楽章について「そのセンテンスは極めて長いという事実を指摘した」最初の人なのだそうである。

 フルトヴェングラーは1951年の論文「ベートーヴェンと私たち」(新潮文庫)で、上の5小節をモットー(訳語では"箴言"(しんげん))と呼んだ。そのあとで「第1の主題」と呼び、その後の部分、つまり6小節めからは展開していると説明している。ただ、読み進めていくと、なんとなく主題と呼ぶべきものはたった5小節ではない、ということを言いたいのではないかと思えてくる。たまたまこの論文だけなのかわからないが。
 フルトヴェングラーはワインガルトナーの著作をちゃんと読んでいるし、シェンカーに弟子入りしたそうなので、おそらく、第1主題は、もっと大きなもの(極めて長いセンテンス)として必ず一度は感じ取っているはずである。しかし、そのかわりに残念なことに第5小節のフェルマータに目を奪われているので、実際の演奏上は、5小節めで大きく切れてしまっている。

極めて長いセンテンス

 というわけで、その「極めて長いセンテンス」について探してみたいと思う。まず(場所を節約するために)弦楽器のみについて冒頭から3段分を掲げてみる。

 第1段の第1〜12小節は、「切れ目無し」と考える。第6小節から全く違うことをやっているように見えるが、よく聴けば1小節単位の長い音符による切れ目の無い旋律が聞こえる。ワインガルトナーが指摘した通りである。したがって、その旋律は単なるツナギではなく主題(の一部)とみなしてよいと思う。
sym5_1t-1.jpg (44209 バイト)
 第2段にある、第21小節(フェルマータ)で一旦切れる。第1主題の1回めの提示はここまで。続いて、省略をしながら第1主題の「くり返し」の提示がある。それがここの第22小節(ff)から
sym5_1t-2.jpg (50129 バイト)
第3段の、通算第33小節の第1拍め(●)までとなる。どうしてここで区切ったかというと、聴いた印象だけが理由だ。
sym5_1t-3.jpg (36393 バイト)

 こう考えると、2回めはかなり変化してしまったが、モーツァルトやハイドンの交響曲の主題と同じような構造が出てくると思う。ということで、第1主題を、第1〜33小節であると認定したい。そしてもちろん、再現部でもこの構造がきっちり再現されていることに注意したい。

 さて、こう決め付けたところで何が変化するだろうか。聴く上で、第5小節のフェルマータで聴き取りをいったん区切るのはもったいないと、私はかねがね思っていたのである。古典派の時代の人たちは、その時代にありふれた曲の構造を念頭に聴いていたと思う。その姿勢でこの曲を聴いていたら、思いもかけない内容だったので面食らった人も多かっただろう。よく聴けば正しい構造を聴き取れたと思うが、いかんせん当時は何度も聴けるものではない。おそらく、気付いた人は皆無に近かったろう。これに気付くには、この曲を丹念に勉強しようとする指揮者が現れるのを待つしかなかった。

bee.jpg (5411 バイト)「ふっふっふ」

 ということで、今回のこのページの作成を機に今あらためて全音楽譜出版社のポケットスコアに収録の諸井三郎氏の解説を読んでみたら、こうなっていた。
  第1主題提示 第1〜21小節
  第1主題(の純粋な)確保 第22〜33小節の1拍
 同じだった。

 なにぶん40年前の中学生の頃に買ったスコアなので、諸井三郎氏の解説がどう私の記憶に刷り込まれているのか今となってはわからない。ただ、この曲を大好きな人が同じ疑問を持ってスコアの同じ個所を読んだら、きっと同じ結論に達するのではないかと思う。

(2014.9.26)



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