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学校の宿題のためのベートーヴェン(2014年夏休み版)


 2014年、性懲りも無く、夏休み直前の宿題対応ページだ。(改訂 2014/07/26)

 自分の子供の学校の音楽教師が、どうやらとんでもないテスト問題を出すようで、子供が悪戦苦闘している様を横で見ていると、無性に腹が立つ。「音楽を楽しめなくさせておいて、おまえ、俺の子供の人生をどうしてくれるんだ!」と、小一時間問い詰めたい気分だ。皆さんはそんな教師に当たらないように祈りたい。子供は学校の先生を選べない。
 そういう子供たちであるので、宿題はなるべく本来の目的に沿ったものにしてもらいたいものだ。

 しかしここは、ベートーヴェンを楽しめてもらえたらいいなと思って書いている場所なので、宿題がラクにできるとはいかない。すみません。ごめんなさい。ラクは出来ません。
 音楽の宿題でよくあるのは、作曲者について調べるというものだ。なぜこのようなことが宿題になるのか。まあ人となりを知るのは面白いかもしれないが、曲とはほとんど関係ない。そんな宿題は本当は勘弁願いたい。いくつかの曲を聴いて感想を書いたり、その成り立ちを調べて書きなさい、というのはよくあると思う。

ただし「音楽を聴いて感想を書けという授業あるいは宿題は、人生の何の役にもたちません」

 音楽は、聴いて楽しんでなんぼですよ。宿題が音楽感想文だということに昔からあからさまに反感を抱いていて、私も中学や高校の頃は、いいかげんに済ませたものだ。それでも今では立派なマニアなので、どうでもいいです宿題なんて。だから音楽を聴いた証拠に感想文を書くということで確実に聴いたことを示せるなら、感想文は短くていいんじゃないかと思っている。

 最近はテレビでクラシック音楽が少ない。私が子供の頃(昭和)は、月に1回はNHK交響楽団定期演奏会の映像を流したものだった。今はBSだのがあるために、番組はそちらに追いやられたのだろうか、なんて2013年初めに書いていたら、2013年夏頃(?)から毎月3回程度、NHK交響楽団の定期演奏会が放映されるようになった。喜ばしい。NHKのドキュメンタリー番組なんかでもクラシック音楽を使うことが少なくなってきたようだ。そんな番組ではどこかの誰かが作曲したインストゥメンタル(器楽曲)ばかり流す。民放はといえば、つい昨年あたりまで放送していたドラマの劇伴を、費用回収のためかというように各局で使いまわす。とにかくその場はしのいでも心に残るものは少ないような気がする。民放のドキュメンタリーとかでも、自局や他局の過去作品(アニメとかドラマとか)の伴奏を使うことが多いように思う。再利用は安上がりなのだろう。しかも一度耳にした曲だ。ともかく最近のテレビでは、クラシック音楽のお呼びでないのだ。クラシック音楽は個々の場面を想定して作曲しているわけではないから、曲が欲しい場面にマッチすることが少ないからだろう。

 さて、ベートーヴェンで何か書けとなると、まず整理しておかなければならない。

1.小学生から高校生までのみなさん

 この程度の年齢であるなら、単に聴けということであろう。だから、ベートーヴェンらしい曲を聴けばいいわけだ。しかし、何がベートーヴェンらしくて何がそうでないのかは、わかりにくい。ベートーヴェンが「こんなの書くんじゃなかった」と言った曲であっても、ベートーヴェンが書いたには違いない。駄作であっても、その楽器に使い方はまぎれもなくベートーヴェンなのだ。あるいは、れっきとした自信作でも「ベートーヴェンらしいのか」ということで疑問が残る曲もあるだろう。実際のところ、何を聴いてもいいのであるが、慣れないうちは困ってしまう。

 たとえばピアノ曲「エリーゼのために」と交響曲第5番を聴いたとしよう。どちらも大変有名なのだが、この2曲は使う楽器も違えば、曲の長さも内容も性格も全く違う。はたして、どちらがベートーヴェンらしいのであろうか? 正解は「両方、ベートーヴェンらしい」である。ナニ、あたりまえじゃないか、と思うかもしれない。しかし、どちらもベートーヴェンでなければ書けない音楽であったということは、すぐにはわからない。

 「エリーゼのために」の感想で「ベートーヴェンがこんなに可愛い曲を書いたなんて…」などと書くのは、クラシック音楽についての初心者だ。自分がほんとうに初心者ならば、それでもよい。しかしベートーヴェンは「可愛い曲」をいくつも書いたということは知っておいていい。いかつい顔だから「可愛い曲」を書けないというわけでもない。そもそも努力の人ベートーヴェン、すなわち巨大な交響曲「英雄」や「第9」などを書ける作曲家ならば、「エリーゼのために」のような可愛い曲を書くのは、簡単なことなのである。

 ただ、高校生までとして考えると、強烈な個性を持った曲を聴いたほうが、感想を書くのが簡単だ。おすすめはこのようになる。

 交響曲第3番「英雄」、第5番、第6番「田園」、第7番、第9番「合唱付」、ピアノソナタ「熱情」、「悲愴」など。

 こんなふうにお勧めしてしまうから「ベートーヴェンらしい曲」=「個性が強く、力にあふれた曲」「重い印象を与える曲」などという、誤った考え方を押し付けてしまう。ほんとうは、これではいけないよね。
 もし、何年も何十年も音楽を聴いてきて、それでも交響曲第5番、「英雄」「第9」「熱情」といった超名曲についてしか言わないような人がいたら、その人はベートーヴェンの一面しか見ていないということだ。

 さて感想文であるが、学生サンは曲を聴いて感想を素直に書けばよい。もちろん本の書き写しはダメだ。そしてその時、いくつか注意しよう。
 @ソナタ形式とかロンド形式とか、そういう言葉にこだわるのは、やめよう。
 A曲の内容を、作曲者の考えや気分を示したものであるとか、作曲者が見た何かについての描写であるかのように例えるのは、やめよう。
 そしてもうひとつ、
 B長い曲でも、いくつかの楽章に分かれているので、聴くのは1日につき1部分ずつにしよう。

@について
 今でこそ何か決まった名前の形式がもともとあるかのように見えるが、実際にはソナタ形式とかいうのはベートーヴェンが死んでから誰かが名前を付けたものもある。当時は、大勢の作曲家がいろいろな曲を作って、よりよい音楽にしていこうとがんばった。その結果、後の世の音楽学者が「ソナタ形式」という名前をつけた。
 しかし、音楽は形式で聴くのではなくて、面白いから聴くもの。面白い具合に音楽がつながっていく様子がわかったら、それでOK。

Aについて
 ベートーヴェンがナニを考えていたか、なんて、感想文で書かないように。何日もかけ作曲するので、実際にはいろいろなことを考えて作っているからだ。「いくら儲かるかな」「俺なら、これくらいうまく作曲できるんだぜ」くらいしか考えていなかったのかもしれない。「今日の晩飯は何を食おうか」と考えながら作曲している日もあれば、「昨日にピアノのレッスンをした娘は可愛かったな」と思い出している日もあるだろう。「私は、すばらしい音楽を書き続けるんだ、そうだ、音楽芸術はこうでなくちゃいけない」と思っている日もあるかもしれない。
 もっとも、お堅いことばかり考えていたら、他人を楽しませる音楽なんて作れるはずがない。素直でなければ良い音楽ができはしないのと同じように、感想文も素直に感想を書こう。わかりやすい言葉で丁寧に簡潔に書くのだ。
 宿題でよく書かれるネタで、「田園」交響曲の第2楽章にある「小鳥のさえずり」について書くというものがあるが、この曲についてベートーヴェンは「ただの描写と思うな」という意味の言葉を言っている。したがって、いやしくもクラシック音楽を聴くことを趣味とする学生さんならば、たとえば「カッコウは本物みたい」とか、「嵐の激しさは、よく表現できていると思った」などとは宿題の感想文として書くべき内容ではない(いや、宿題だからどうでもいいや、という考え方もある)。もし、こういった音楽が初めての経験ならば書いてもいいであろうが、少なくとも音楽の本質からずれている。ちなみにベートーヴェンの「田園」交響曲の場合、形式にうまく則ってはめ込まれているので、単純に描写しているわけではないのだ。

Bについて
 交響曲などは30分を超えるのが普通なので、慣れない人は全曲を通して聴かないように。1日1楽章でじゅうぶん。それならば、せいぜい10分で済む。これなら我慢できるであろう。たとえば4日で1曲を聴いたことになる。これは他の作曲家でも似たり寄ったりの時間だ。ただし、2つの楽章が完全につながっている場合もあるので、注意しよう。

 いやしかし、ベートーヴェンの音楽とは内容が濃いものだ。とくに有名で時間の長い曲は。思春期を越えたとしても、いきなり楽しむことは難しい。また、あのような曲は自分に合わないと思ってらっしゃる方、それは、仕方がないことと思う。私とて、肌に合わない作曲家など、掃いて捨てるほどいる。もう二度と聴かないような有名な音楽だって、山ほどある。そもそも、クラシック音楽の主な部分だけでも、西はスペインから東はロシア、北はフィンランドから南はイタリア、時代は、1700年頃から1900年頃まで。そのように広い範囲と時代にまたがった音楽なのだから、まんべんなく好きだという人こそ、変じゃないですか? クラシック音楽を大好きな人は、皆、時間をかけて自分の好みを探すのである。夏休みのような短い時間でどうなるものでもない。

2.大学生さん

 大学生にこのような宿題が出されたということは、作曲学、管弦楽法、音楽史、政治情勢、世界史、そんな幅広い観点でモノを捉えろということなのであろう。
 音楽関係の学科に在籍の人、がんばってください。私は何も言いません。ただ、安易に他の作曲家と比べてしまうなよ、ということは申し上げておきたい。何か見えてくるようで、じつは何も見えてきません。なぜなら、ベートーヴェン以前の作曲家はベートーヴェンを知らず、ベートーヴェン以後の作曲家はベートーヴェンの亡霊に悩まされつつ作曲を続けたのだから。

 しかし、音楽を聴く経験があまり無い場合には、とりあえず比較してみるのも、よい方法であろう。

 ベートーヴェンを知るということはどういうことか

 ここで問題になるのは、ベートーヴェンが生涯を通して常に進歩しつづけていたということである。したがってベートーヴェンの全貌を知るには、全部の曲を聴かねばならないことになる。しかしそれは無理な相談なので、ベートーヴェンがそれまでの伝統からどのように発展していったのかがわかる、きっかけになりそうな曲を数曲選んで聴くことにすればよい。どうしても他の作曲家と比較してみたい人は、ベートーヴェン以前の人と比べることがよい。(なぜなら、ベートーヴェン以後の作曲家はベートーヴェンの亡霊に…)

(1)交響曲
 第3番「英雄」を選ぼう。
 これを聴く上で、比較対象として、ハイドンの交響曲(ロンドン・セットあたり)も聴けばよい。
 聴くポイントは、巨大化、強烈な表現、豊かな内容と複雑な構成、精神的な内容。精神的というのは、要は人間臭いということだ。

(2)ピアノソナタ
 第8番「悲愴」を選ぶ。「熱情」でもよい。しかし「月光」は選んではいけない。曲の構成が特殊であるからだ。
 これも、モーツァルトやハイドンのピアノソナタと比較して聴くとよい。ただし、間違っても、モーツァルトの「トルコ行進曲付きソナタ」と比べてはいけない。あくまでも、第1楽章が速めのソナタ形式で、最終楽章がロンド形式などになっている一般的な形式のものとで比べる。「月光」がダメというのは、そういう意味である。逆に、ソナタが実は自由な形式だったという証左でもあるのだが。
 聴くポイントは、交響曲と同じだろう。

(3)弦楽4重奏曲
 あえて1つ選ぶなら、第9番「ラズモフスキー第3番」。これもポイントは他と同じだ。比較として、モーツァルトやハイドンの弦楽4重奏曲を聴けばよい。
 まず、どのような革新を曲に盛り込もうとしていたか、ということをつかみ取ろう。そのとき、年表も書いて、いくつかの事件や文明の発達も書き加えてみよう。検討するいくつかの曲がどれほどの年数が間にあるのかも考えてみたい。

結び
 ベートーヴェンの曲を聴いて何か書くということが宿題であった場合に、いくつか聴いてみて、たったひとつの曲にとても感動して、何度何度も聴きました、という文しか書けなかったとしよう。私が先生なら、「○」をあげたい。たしかに短すぎると、文章力が無いということで、先生は「×」にしてしまうかもしれないが、人生の経験上は「○」であることには違いないからだ。
 きっとベートーヴェンも、もって回った言い方で百万行も書くよりも、「良かった、もう一度聴きたい」と言ってもらえるほうが、ずっとうれしいに違いない。


2014/07/26



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