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知恵袋


2週間ほど知恵袋へ行っていた。

知恵。そう、知識でもなく経験でもない、知恵。生活に役立つ知識経験を知恵というのだが、お察しの通り、あそこは名ばかりで知恵なんてどこにもない。

 ていのいいマニュアル代わり。親兄弟配偶者友人知人上司同僚先輩向う三軒両隣をうまく使えない、いわゆる人付き合いの悪い人が質問を書き込むのか?
 いや、そういった近くにいる相談すべき人が相手にしてくれない、もしくは相談したくない問題を書き込むのか。もしそうなら、どこの誰とも知れぬ人に自分の命運を託すのか。それでいいのか?

 ちょっと考えても役場の窓口に相談すべしとわかることを知恵袋に頼り、それは企業のお客様相談室に問い合わせるべきことと誰でもわかるのに知恵袋に書き込む。ではそれがきちんと整理され経緯も書かれたまともな質問なのかというと、これがまたとんでもない。紋切り型で内容詳細が決定的に不足した、舌足らずな言葉。心を読み取るエスパーでないと回答不能ときたもんだ。推測で回答すると、違うと言う。最初にちゃんと書けよ。
 あるいは、自分の悩みを並べ立てても自分中心。世界は○か×かの二択。そう、状況や条件で変化もしない。臨機応変も無い。その思考は柔軟性が欠落している。他人のまっとうな回答をまともに受け入れる余地があるかどうかもさえ疑問。あげくのはてに国語力にどうしようもない欠落がある人もちらほら。他人から聞いた/本で読んだ話を自分で完全に内容を把握できず、わずかな文言のみをその文脈の前後を無視して取り出し、これはなぜこうなのかと、そのままひけらかす。いやちゃんと読めよと。
 中には、異常な執着心で毎日他人にからむだけに時間を費やす人、毎日何件も、いや十件以上の関連性の無い質問を延々と書き込み続ける人もちらほらいる。
 無論中にはまっとうな人もいるのだが、以上のような異常性が非常に際立つ。

 "2ch"に代表される掲示板群を「便所の書き込み」と揶揄する向きもあるが、何百という一連の書き込みの中で発言はいろいろと取り沙汰され、意見が飛び交う場合もある。それは自浄作用と言えなくもない。
 一方、YAHOO!知恵袋は、質問から回答への一方通行。こんなところに人生の大問題を書き込むのだ。まさにそこは、カテゴリによっては「肥溜めそのもの」である。便所どころではない。便所は掃除できるが、肥溜めはどうすればいいのか。埋め立てるのか。
 あそこには、知恵が無いのである。いや、あるとするなら、「知恵が無いとは、こういうものなのか」という反面教師じみた教訓であろうか。

批判じみているが、仕方がない。
なんだかマスメディアは"2ch"を異常な場所としてとらえる向きもあるが、知恵袋はそれをはるかに上回る、「絶望的に異常な精神汚水の肥溜め」である。

(2016.01.17)



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