ピアノと合唱と管弦楽のための幻想曲(合唱幻想曲)
ほとんど生演奏されない。演奏されにくい理由は明白。ピアニストが必要、しかも合唱(混声四部)も必要。おまけに合唱団の中から独唱の代表を選出しなきゃいけない。これでは費用も緊張もかさむばかりで演奏に二の足を踏むのもしかたがない。というか、最初から演奏候補にされないんじゃないかと思うくらいの知名度だ。ガラ・コンサートでピアニストと合唱団がいるから、ついでに演奏してあげようか、という条件でなければ誰も演奏してくれないのだ(*1)。
面白いのに、簡潔明瞭なのに、何がいかん? と、頭でわかっているにもかかわらず、録音すら少ないことを嘆いてしまう。おっと、録音が少ないといっても、なかなか見つからないわけではない。大抵の場合、ピアノ協奏曲全集のオマケになっているのだ。
一度聴いてみなはれ。本当に単純で面白いから。もっと聴かれていいのになあと思いつつ、順を追って面白さを確認しよう。
この曲は、3部に分かれている。
第1部は、初演当時ベートーヴェンの即興演奏だった。現在楽譜に残されているのは、即興演奏をそのまま書き残したものではなく、後日に別に作曲したものだ。即興演奏時と同じ旋律が含まれているかどうかは、わからない。ただ、ベートーヴェンとしては即興演奏っぽく作ってあるはずだ。実際の即興演奏は、この曲より大胆かつ効果的だったに違いない。
第1部の旋律をこの後全く使っていない。「え、では今までのはいったい何だったのですか」ということは言いっこなし。ベートーヴェンによる即興演奏のサービスをしたかったのではと思うかもしれないが、当日は別に即興演奏コーナーを設けてあったので、これは答えにならない。
第2部では管弦楽が加わる。低音弦がまず登場して、さぐりを入れてくる。すぐに管弦楽を伴奏にしてピアノに主題が現れるが、これは「第9」の最終楽章の主題に部分的に似ているということで有名だ。それなのに演奏頻度は少ない。
その後、ピアノ伴奏付きのフルートの独奏、ピアノ伴奏付きのオーボエ二重奏、クラリネットとファゴットの三重奏、弦楽四重奏というように楽器が増え、全管弦楽になる。(下は、クラリネットとファゴットの三重奏)
というようにベートーヴェンお得意の変奏が続くが、内容は素直なものである。以上で主題提示っぽいところを終えると、展開部風の部分がかなり続く。速度を変えたり3小節単位にしたりと工夫をしつつ、なんとも不安定な雰囲気をかもしているが、ここが全曲で一番表情の豊かな部分だ。
第3部は、ピアノと管弦楽が何かやりたそうな雰囲気を作ることで始まる。そこにまず、女3名(2ソプラノ、1メゾ・ソプラノ)で歌(下例)。
続いて男3名(2テノール、1バリトン))で歌。つまりここで、合唱ではない重唱の響きを楽しむ。さらに全員で合唱になり、単純にめでたい迫力で押し通しておしまいになる。
結局この曲は、簡潔明快なエンタテインメントであり、ピアノと管弦楽と合唱(重唱あり)が合体しているのはベートーヴェンではこの曲のみだ。意義や作曲動機から内容や構成、楽器編成に至るまで珍しい条件が揃った、ほんとうに稀有の珍曲なのである。
なお、ここでは歌詞には言及しない。もし歌詞を見つけたら、訳文をさらりと流し読みしておくだけでいい。なんとなくめでたい内容であることは曲の雰囲気から誰でもわかるので、正直、歌詞なんて読む必要も無いくらいだ。ちなみに初演時の歌詞と現在残されているものは違う作者の違う内容のものと言われているが、それだけでも内容はさして重要ではないことがわかるだろう。
そもそもこの曲は、演奏会を開くにあたって何か面白そうな曲をもう1つ作っておこう(*2)と思って作曲されたものだから、歌詞の重要度は推して知るべし。しかし音楽としては、ベートーヴェンがさらりと書いた場合にどうなるのか、というひとつの面白い例であるに違いない。
注意をひとつ。アナログ録音では、どうしても最後の合唱の部分で音割れになりがちだ。比較的新しいデジタル録音なら良いと思う。
*1 1991年大晦日のベートーヴェン・ガラ・コンサートのライブ録音が残っている。ピアノはキーシン、アバド指揮のベルリン・フィル、合唱はリアス放送合唱団。
*2 当日は交響曲第5番、第6番、ピアノ協奏曲第4番の3曲を初演し、さらに他にもあるという大変盛りだくさんな演奏会で、そこになおかつもう1曲を加えようという神経が、そもそもどうかしている。
(2010.8.27)