20世紀中葉のデッカ
皆さんがどんな音を良いと思っているのかわからないが、私的(ワタクシてき)には、デッカのアナログ時代が最も良い。
おっと、その前に「良い音」とは何かの定義をしておかねばなるまい。「良い音」とは「自分の耳に最も心地良い音」である。したがって、全ての人に共通の「良い音」があるとは考えにくい。逆に「良い音」の定義をしないで、「あのCDのほうが良い音だ」「このオーディオ装置のほうが良い音がする」と判断しあうのはナンセンスこの上無い。
そして幸いなことに、CDプレーヤーが変わっても、デッカの音はいいなあ、と私は感じているのだ。
ここで間違えていけないのは、「良い音」は「本物の音」ではない、ということだ。デッカの音は心地よく響くように調整してあるはずだ。アナログ録音の時代は、そういうものなのである。
ということで、デッカの音を聴くのだが、幸い、デッカの録音は以下のようなものが買ってある。
シュミット=インセルシュテットによる交響曲全集
モントゥーによる交響曲集(第9除く)
ショルティによる交響曲全集(1970年代)
バックハウスによるピアノ協奏曲全集
グルダによるピアノ協奏曲全集
バックハウスによるピアノソナタ全集
なんだか古い録音ばかりと思うだろうが、デッカの録音は1960〜1970あたりが一番良いと思っている。というより、もうちょっと詳しく書くと、1970年代半ばあたりから食指をそそる演奏家がベートーヴェンをデッカに録音してくれないので、十分に比較ができていないだけである。
あ、そうそう、アンセルメが交響曲全集を録音しているが、2曲ほど聴いて「ダメだこいつは」と思い、もう聴いていない。
いろいろと聴いていると決して全ての録音が良いわけではなく、残念なものに出くわすことがあるので、デッカだからと手放しで良いと褒めることはできない。ただ、なんだかホコリっぽい(からきっと装置が悪いと思う)PHILIPSとか、あまり色気が無い(から実は比較的素直な録音かもなと思う)ドイツ・グラモフォンよりは、好きなのである。
ここ数日、サー・ゲオルグ・ショルティの演奏を何曲か聴き直して、やはりデッカはいいなあ、と思っていた。ショルティも、彼なりに素直に演奏しようと心がけた演奏だったので、それはたしかにアメリカの管弦楽団なのかもしれないが、良い音で良い演奏であったと思う。それはベートーヴェンの音楽が土着の民族文化に大きな比重を置くような音楽ではないために、どこの楽団でもがんばればそれなりの水準で演奏できるという特性もあるからだ。
さて、なぜショルティをいくつか聴いたのかというと、その前にジョージ・セルの演奏をいくつか聴いたからだ。セルはウィーンで学んだにもかかわらず(というべきだろうか)一切の無駄を省いたような演奏をするという解説を読んで聴いたのだが、不幸なことに多数ある録音はCBSのもので明らかに品質が悪い。セルがいくら厳しく音楽に徹しきっても、録音でホコリまみれになってはダメじゃないかと思う。
そう思ったときに思い出したのがショルティの演奏。ショルティが自分なりに厳しく音楽に徹した結果、やはり、かなり手垢を廃したと当時話題になったのがこの録音だ。もちろん、完全に手垢が抜けたわけではなく、ショルティなりのニュアンスが聴けるし、シカゴ交響楽団という楽器の個性もある。だからセルと同じにしてはいけないのだが、私には、音の悪いセルを選ぶより音の良いショルティで十分ではないかと思ったものである。
そういえばある解説で、ウィーン・フィルの誰かが「セルは音楽性のカケラも無い奴」と言ったのを読んだ。また、ある評論家がセルの演奏を解説した文章で推薦としてウィーン・フィルの演奏を2つ選んだのを読んで、「あ、やはりこいつもセルには音楽性がいささか足りないと感じたに違いない」と思った。
そう、セルが本当に音楽性のカケラも失うような演奏を心がけていたなら、それは逆に管弦楽団の個性や音楽性がほのかに前面に押し出されることになるのかもしれない。
ただ、悪い録音は避けたいと思う。CBSが晩年のワルターにオーケストラを用意し録音しまくるように仕向けたのは評価するが、もうちょっとマシな録音にしてほしかった。その点、RCAがトスカニーニに専用のオーケストラを用意した(こちらのほうが先例)が、モノラル録音の時代としては録音の品質は良かったと思う。
(2013/10/31)