ほら音楽産業が音楽をダメにした
問題の曲を聴きもしないで書いてみる。問題の最初は、ここ
http://39miku.seesaa.net/article/171220580.html
似ていると話題になっているのは、11月に発売されたKAT-TUNのシングルCD「CHANGE
UR WORLD」通常版に収録されているカップリング曲「NEVER x OVER 〜「-」
IS YOUR PART〜」と、AVTechNO!(アドバンステクノ)さんが2010年2月にニコニコ動画に投稿した巡音ルカの楽曲「DYE」(*1)。DYEはAVTechNO!さんの代表曲として、CD化されてAmazonなどで販売されているほか、
iTunes Storeでも配信されている。
*1
ニコニコ動画としては、騒動が起きる前に削除されている。そもそも、定期的に自分の曲をまとめて削除するそうである。
そこで「NEVER x OVER 〜「-」 IS YOUR PART〜」の作曲者が、こうなっている。
作曲:Hans Johnson/ t-oga/ NAO/ ATSUSHI/ 上田竜也/ King of Slick/ Magnus Funemyr 編曲:Hans
Johnson
パクリについては各所で話題になっているのでここでは正面きって採りあげないが、このずらりと並んだ名前は、どうだ!?
まさに、こんなソナタ形式があるようなものだ。序奏:ヘンデル、第1主題:ハイドン、第2主題:モーツァルト、展開部:ベートーヴェン、コーダ:シューベルト。ここまで来ると、もはや芸術家の命がこもった音楽作品ではなく、ただの遊びだ。
だから「NEVER x OVER 〜「-」 IS YOUR PART〜」に限らず、作曲者が多数列記されたような曲はもう全てが金儲けのための遊びの曲だ。絶対に歴史に残らない、いや残せない曲であって、こんな曲を歌わされてはアーティストの名が泣くというものだろう。こんな曲を歌って毎日が満足していますなどという感想を持っているのならば、さっさと歌手を廃業して別の仕事を探すべきなのである(*2)。もちろん、それを変だと思わないで曲を聴いて喜んでいるファンがいるのもお笑い種であるし、この状況をよく理解したならファンは怒るべきであろう。ほんとに、こうも人間(作曲家の、歌手の)の荘厳というものは軽軽しく無視されてしまうものなのか。「この曲は私の仕事です」と胸を張って言えることが出来ない人生、本当につまらないものである。しかもそれにお金を出す若い人たちがいるのだ。
そういえばある脚本家があるドラマの最終回で担当をクビにさせられたっていう件があったなあ。あれも、たかがドラマとはいえ一本の筋を通して作り上げる作品の途中で、自分の尊厳を無視されてしまったという点では同じなのだ。
*2
何も感じないのなら「アーティスト」ではないということである。
ここまで音楽産業が音楽そのものを崩壊させていたら、作曲者も腑抜けになってしまう。月並みな言葉ではあるが、このパクリは、まさに起こるべくして起こったものだ(*3)。作曲家は、くだらない仕事に自分が加担していることを十分に承知した上で、さっさと知っている音符を書き足したのだろう。当然、自分の大切な時間をくだらない仕事で長々と消費してしまうわけにはいかない。余った時間は好きな仕事をするのだ。今回の騒動は表向きには作曲者のパクリが叩かれることになるが、本当の原因は、作曲者も歌手もないがしろにしてしまう音楽業界の体質にあるのだ。
*3
どうやら、昔からパクる傾向にあったらしいが。まあ、それだってインスパイアとでも言い訳するのだろう。まったく音楽業界は、どいつもこいつも。
これに関係して、最近読んだ下記の記事を思い出した。当初はその内容について本当かいなと思っていたが、まさに書いてあるとおりだったわけだ。関係の部分は、http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1011/02/news056.htmlの末尾がら次のページに渡って書かれている。
--引用--
難波 今は逆に、人間のアーティストに作詞作曲する人たち、いわゆる作曲家作詞家の地位が、もうひどく低くなっちゃってかわいそうですよ見てると。昔みたいに、筒美京平先生とか、すぎやまこういち先生っていうような大先生がもう絶対成立できないシステムになっちゃってるんですよ。なぜかというと楽曲を全部、コンペで決めるから。
野尻 ああー。
難波 どんな大作家の先生だろうと、落とされれば、採用されなければオシマイ。だからもう、昔みたいに、是非うちの歌手に先生の作品を、みたいなことが全くなくなっちゃった。例えば、いろんな音楽制作会社に、はいEXILEのアルバム出すから曲だしてーとコンペが行われる。その中から
さらに、じゃあAメロはこの人で、Bメロはこの人で行こうか、みたいなことを平気でやる。だから人間の作家の人格が認められてない感じで。それに比べたらVOCALOID作品は自分の作曲家としての自我は、もう遥かに満足しますよ。
杜松 そういうことに疲れてVOCALOIDに入ってきた人とかいますもんね。
難波 1曲ヒットをだしても、全く自我の満足も得られない。その後の仕事も続かない。次の仕事来るかなって思ってると、次もコンペで出してくださいって言われるらしいですよ。
野尻 うわあ、悲惨だ……。
難波 常にコンテストに送り続けてる感じなんですよ、プロになってもね。
野尻 ですよねえ、うわあ……。
--引用終り--
こうやって作られている曲をありがたがって聴くほうは、ほんとバカみたいである。
ちなみにベートーヴェンも複数の作曲家で1つの組曲を作るというイベントに参加したことがあるが、どうでもよいような出来であったことは当然だろう。
(2010/11/30)