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コンヴィチュニーは基本形


 初心者だった頃に親しんだベートーヴェンの音楽で今も聴き続けているのに、コンヴィチュニーが指揮した序曲集がある。いまだにエグモント序曲が無いのが悔やまれるが、とにかくコリオランもフィデリオも、レオノーレの特に1番3番も、たいへん世話になった。

 初心者の頃には全く気付かなかったのであるが、彼の指揮するゲバントハウス管弦楽団の序曲集は、本当にごく普通の演奏なのだ。普通というのは、楽譜に忠実というか、誠実に臨んでいるのだ。もちろん、ちょっとしたニュアンスを付加して音楽を聴かせることもあちこちにあるが、基本姿勢は余計なものを付けないというものだ。たとえばレオノーレ序曲第3番で、ソナタ形式主部に入ってから盛り上がってffによる全員での強奏が2小節あるが、よくある演出はそこでクレッシェンドをかけるというもの。しかし、コンヴィチュニーの演奏にはそんなものは無い。曲全体でも速度はほどほどで、コーダで猛烈な速度になるということもない。とにかく、浮き上がった演出が無いのだ。いやべつに、燃え方が中途半端な演奏というわけではない。そこは安心してよい。
 単に中庸というだけなら、どこの誰でも演奏できていそうであるが、この演奏はなんというか、ゴリッとしたすばらしい感触があるのだ。とにかくコンヴィチュニーは充実かつ安定した演奏を聴かせてくれる。今でこそコンヴィチュニー+ゲバントハウス管弦楽団というのはそういうものなのかなと思うのであろうが、初心者であった頃はそんなことを考えるはずもなく、ただベートーヴェンの管弦楽はそういうものだと思って聴いてきた。
 だからこそ初心者の頃は、ほどよく素直な良い演奏、つまり、その曲の基本形を示した演奏がいいと思うのだ。

 それでは、初体験にフルトヴェングラーの演奏を与えてしまったらどうだろうか。フルトヴェングラーによる交響曲第5番の冒頭を聴いたなら、最初の5小節はモデラートで、しばらくしてからアレグロだと思うかもしれない。
 もちろん、交響曲第5番の第1楽章は、(ごく一部を除いて)最初から最後まで Allegro con brio なのであって、その速度表記を素直に考えると、フルトヴェングラーは間違っているのである。もしフルトヴェングラーを普通だと思ってしまったら、一定の速度で演奏する本来の解釈が物足りないというか、つまらないものに感じるかもしれない。初体験がメンゲルベルクだったら、なおひどいことになるだろう。
 とにかく、ここで楽譜を買って読んでみるという行為がクラシック音楽で意味のあるものになる。楽譜を読めたなら、何が普通っぽい演奏なのか、わかってくるのだ。

 フルトヴェングラーやメンゲルベルクの思い入れたっぷりの普通ではない解釈が成り立つのは、19世紀のロマン主義的なものの延長であるとか、ベートーヴェンの音楽がそういう解釈をも許容する懐の深い音楽であるとか考えられると思うが、じつは、ベートーヴェンの音楽の基本的な演奏が良く知られていることが大前提であるからこそなのだと思う。
 聴衆がベートーヴェンの基本形をもともと知っているから、彼らの様々な解釈を楽しむことができるのだ。逆にあまりにも妙な解釈ばかりが世間にはびこると、ワインガルトナーのように、演奏の基本に立ち返らねばと声を大にして言い、実践する指揮者も出てくる。トスカニーニのような、なるべく基本に近いあたりで勝負をする演奏もある。あまりに思い入ればかりを前面に打ち出して基本からはずれた演奏ばかりすると、トスカニーニがフルトヴェングラーを指して「偉大なるアマチュア!」と揶揄することにもなるのだろうか。それでも、感動できるから「偉大な」と、とりあえず付けたのだろうか。

 何においても基本が大切で、基本を身につけなければそこから新しいものは生み出されない、ということは、どのような分野でもよく言われることだ。
 音楽を聴くことも同じで、初心者は音楽の基本形、その曲の基本的な姿を知ることがまず大切であると思う。そうして曲の基本形を知れば、そこからいろいろな解釈がありえることが容易に想像できるし、受け入れる鑑賞の幅も広がっていくと思う。
 コンヴィチュニーのような、基本的な形ですばらしく良い演奏を残してくれるからこそ、他の演奏を楽しむ余裕ができるので、私の選択は偶然ではあったが大変良かったと今さらながら思う。
 コンヴィチュニーによる交響曲第2番とか第4番も、もうちょっとハメはずしていいんじゃない?と惜しくなるような普通の速度で、普通の抑揚で、普通のアクセントで演奏する。それがつまらなくならずに安心して聴けるのは、ゲバントハウス管弦楽団の渋い音色とか濃い音色もあるのだろうが、コンヴィチュニーが丁寧に演奏せいや!とハッパをかけているからに違いない。


(2008/8/15)



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