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「これこそ正しいベートーヴェンの聴き方」
メロディー


メロディー

 わかりやすいということでは、メロディーについて書けばいいのかな、と思った次第である。音楽はメロディーだ。きれいなメロディーがあってこそ、音楽は楽しい。さて、ベートーヴェンはメロディーメーカー(印象的なメロディーをたくさん作る人?)であるとは、あまり言われないようであるが、私は、そうは思わない。きれいなメロディーを作ることくらい、彼は、簡単に出来てしまうのである。ただ、彼の性格と作りたい作品の都合上、メロディーよりも他を重視してしまう傾向にあるということなのだ。また、メロディーという語感が、日本人には、流れるような歌うような旋律を連想させるということも、ベートーヴェンをメロディーメーカーとは思わせないことに一役買っているのだろうか。たしかに、失礼ながら、あの肖像画の表情からは、流れるような美しいメロディーが出てくるとは到底思えない。
 音楽の三要素といえば、メロディー、和音、リズムである。聴いて楽しい曲とは、やはり、この3つが十分に面白い場合であり、とくにメロディーが面白くないと楽しい気分にはなれないのは誰も異存はないだろう。ここで、いくつか曲を見てみたい。ベートーヴェンにおいて非常に有名な名前の曲といえば、交響曲第5番、「歓びの歌」「エリーゼのために」ということになるのだろうが、まずは、この3曲のメロディーについて書いてみよう。この3曲は、メロディーにおけるベートーヴェンの特徴を代表しているからだ。

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(交響曲第5番第1楽章第1主題)

 交響曲第5番、通称「運命」といっても4つの楽章があるが、ここでとりあげるのは、第1楽章の冒頭にある主題、有名な、あの音の並びについてのことになる。これは、ほとんどの人が知っているわけで、この部分について書くことすら、もう手垢にまみれた、と表現してもいいかもしれない。この音の形をメロディーと呼んでしまうとなにか違和感も感じるが、この音の形は、ソ−ミ−ファ−レ、という流れにまとめることが出来る。この流れは交響曲第4番の冒頭ですでに使用されている。つまりは、交響曲第5番のこの主題には親が居たとでも言えるだろうか。また、ピアノソナタ「熱情」にもよく使われていることは、よく知られている。とにかく、この音の形は単純なもので、誰でも思いつくものであり、いろいろな曲で使われても決しておかしいものではない。それがベートーヴェンの手にかかると、交響曲の1楽章に変化するというわけだ。
 交響曲第5番、この第1楽章は彼の音楽史上空前絶後の展開能力の才能を表していることで有名だ。単純な音の形から1楽章をものにすることができるのはベートーヴェンをおいて他にいないということは、誰もが言うことである。しかし、それが可能であるためには、使われた音の素材が、聞き手への印象が強いとともに、じつに単純な音の形であったということが大事なのである。誰でも親しめる完結したメロディーを使おうとした場合、ソナタ形式における展開という作業は、そう簡単にはいかない。展開に適した主題というのは、短めの印象的な音の並びであって、それだけで、主題の一部(あるいは全体)を構成している重要な部分でなければならない。sym3_1.jpg (7729 バイト)
(「英雄」の第1楽章第1主題)

その例では、交響曲第3番「英雄」の第1楽章、交響曲第9番「合唱付き」の第1楽章の第1主題ということになるが、交響曲第5番第1楽章を含めたこの3曲のソナタ形式は、展開のすばらしさという点でベートーヴェンのトップ3に掲げてもよいのではないだろうか。
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(「合唱付き」の第1楽章第1主題)



 一方、完結したメロディーの代表としては「歓びの歌」をあげたい。交響曲第9番の第4楽章に現れるこの主題は、歌詞がついていることもあり、整然とした節を持った旋律になっている。旋律の最後は和声的にきちんと終わるようになっていて、歌詞が2番3番と続いてもよいように出来ているわけだ。そのかわり、この主sym9_4.jpg (19102 バイト)
(「合唱付き」の第4楽章、「歓びの歌」)

題でベートーヴェンが通常おこなうような展開をさせようとした場合には、面倒なことになる。ひとつの完結した歌から曲が発展していく場合、完全に場面転換するか、全く新しいメロディーを持ってくるようにしないと、単調きわまりない、つまらないものになりかねない。そのため、この第4楽章は、様々な性格の部分がつながっているように聞こえるわけである。この楽章の構成については、諸井誠氏の著作に詳しい。

 このような、きちんと出来あがったメロディーを展開する場合には、変奏という手段をとるのが簡単かつ効果的である。たとえば、交響曲第7番第2楽章がそのようになっていて、低音で主題が現れて変奏を加えながら楽器が増えていく様子は、「合唱付き」と非常によく似ているということがわかるだろう。ただ、メロディーが素っ気無いので、対になるメロディーが現れて表情を豊かにしている、というオマケ付きであるが。
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 メロディーが完結している曲ということでは、歌曲のほとんど全てがそうであるが、少々残念なことに歌曲という分野では、ベートーヴェンは影が薄い。シューベルトに隠れてしまっている感じもする。しかし、青木やよい著の書籍にもあるように、ベートーヴェンは歌曲でもすばらしいメロディーを作曲しており、それが何度も姿を変えて様々な曲に現れ、最後にはピアノソナタ作品110に使われている。完結したメロディーでは、他にバイオリン協奏曲ニ長調、第1楽章の第2主題や第3楽章冒頭の主題等がある。vlc_1.jpg (23742 バイト)
(バイオリン協奏曲、第1楽章の第1主題、第2主題)

バイオリン・ソナタ「春」の冒頭の主題も、流麗だ。
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(バイオリン・ソナタ「春」第1楽章第1主題)

 3つめの「エリーゼのために」は、日本のみで有名なバダジェフスカの「乙女の祈り」と並んでピアノ小品の双璧になっている。「エリーゼのために」がどのように始まるかを見てみたい。最初の5つの音は、実際には隣同士の音が交互に鳴っているに過ぎない。鍵盤の上で2本の指を交互に動かせば、誰でも鳴らすことができる単純なものだ。
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(「エリーゼのために」冒頭)

メロディーといえばメロディー、ただ何気なく並んでいると言えば、その通りであろう。それは、いかにも即興で生まれたかのような音の並びであり、次の瞬間に別の音に移り和音がアルペジョで演奏されると、軽やかで愛らしい雰囲気を醸し出す。余談であるが、この曲は、始まってからしばらくの間、単純な伴奏の音型というものが出てこない。それに比べて、「乙女の祈り」は、じつにつまらない伴奏の和音が、最後の最後まで左手で演奏されるようになっている。
 冒頭の、どこにでもあるような音の並び。「エリーゼのために」は、和音のアルペジョも含めて、即興的な性格を持つメロディーだと言えるだろう。この曲には、それ以外にも2つのメロディーがあって、軽やかで歌えるもの、重みがあって響きが豊かなものと、バラエティー豊かである。左手にありがちな単純な伴奏の音型がほとんど現れないことをみても、小さな曲ながら、考え抜かれた構成をしているのである。

 以上のように3つの例で書いてみたが、数多くの曲を聴いていくと、次のようなことが言えるだろう。ベートーヴェンは、ソナタ形式の曲では展開性能に優れた主題を採用することが多く、一方、ゆっくりとした楽章では歌うに適したメロディーを主題に採用することが多い。ゆっくりとした楽章はソナタ形式であるよりも変奏曲など別の形式であることが多い。そして、その歌うに適したメロディーは、なんとも心に響く。これは、ピアノにおけるレガート奏法の名手であったベートーヴェンにして、初めて作り得る、息の長い、美しいメロディーなのだ。
 ベートーヴェンは他の作曲家に負けず劣らず、メロディーメーカーとしても一流である。にもかかわらずそのように思われていないのは、ベートーヴェンがソナタ形式の大家だからであり、ソナタ形式における展開部のすばらしさが彼の真骨頂であることが大きく目立っているからに他ならない。



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