「これこそ正しいベートーヴェンの聴き方」
マンガを読もう
マンガでもベートーヴェン入門ができる!
え、ベートーヴェンが出てくるマンガがあるかって? でも手塚治虫は持ち出さない。「ルードヴィッヒ・B」がそれであるが、ここでは何もいわないので、各自読んでください。
私がベートーヴェンに目覚めた高校生の頃、妹が少女マンガを買っていた。ただでさえ少ない小遣いがベートーヴェンに化ける私にとって、マンガは少女マンガのほうをよく読んだ。
さて、その中に大河マンガ(?)があった。少女マンガでよくある、古き良き時代の恋愛大河小説風のマンガだ。そこで、ウィルヘルム・バックハウスが出てきて、ベートーヴェンのピアノソナタを弾く、という場面があった。少女マンガなので、年齢不詳でかつしっかり男前に描かれている。彼を評して「鍵盤の獅子王」という表現もあり、ある程度は音楽を知っている作家なのかな、と思わせた。どのピアノソナタを弾いたのかわからないが、おそらく「月光」「熱情」あたりであろう。
このマンガを読んで、バックハウスのベートーヴェンを聴いた少女は、いるのだろうか。しかし私はベートーヴェンに入門したてであったので、ピアノソナタを買い揃えるならバックハウスと、決めていたのだ。
少女マンガといえども、おろそかにできない。
ちなみに、バックハウスはベートーヴェンのピアノソナタ全集を2度録音した、と言いたいところであるが、2度めの全集では、ついに第29番「ハンマークラヴィア」のみを録音できずに亡くなった。
もうひとつの少女マンガは読み切り短編。少女マンガならどこにでもある恋愛モノである。
うろ覚えなのであるが、カッコいい先輩がいまして、女の子が恋をするという話。噂で、その先輩が好きなのはなんとベートーヴェンの「エグモント」序曲。女の子は、彼への誕生日プレゼントか何かで、エグモントのLP(当時CDは無い)を買って、プレゼントを渡す前に、ちょっとした誤解と嫉妬のひともんちゃく。最後の場面で女の子は、彼にプレゼントを渡すが、その時彼はたしかこのように言った。
「じゃ、ボクの持っている、こちらのエグモントを聴いてみるかい」
「あ、大好きなら、当然もう持っているわよね、私って、ばか」というようなことを思う少女。
しかし、ご安心。そう、「エグモント序曲」なんて、山ほどあるのだ。少女はそれを知らなかったのである。ま、とにかく、めでたしめでたし。
これで「エグモント」序曲を聴こうという少女が、日本で何人かいたのだろうか。
もっとも、何も知らない少女が「エグモント」を買うとすると、ちょっとした困難にブチあたる。「エグモント」というタイトルでレコードを買おうとすると、当時は3種類あるのだ。いずれも、ベートーヴェン生誕200年を見越しての録音であり、少なくともマンガの筋書きは成立するかのように見える。
セル指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 他 1969年
カラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 他 1969年
ホルガルツ指揮、ベルリン国立歌劇場管弦楽団 他 1970年
少女は、大手レコード屋へ行って、こう言ったことだろう。
「エグモント、ください」
店員は、3つ探し出して
「どれにしますか?」
ここで少女は、彼が好きな「エグモント」はどれなのか、また、それがわかっても、彼が持っているものと同じ「エグモント」を買っても仕方が無いことに気付くのである。ああ、マンガのオチが成立しないぞ。
さて、上記3種類は「エグモント」全曲である。間奏曲あり、歌あり、朗読あり、という組曲なのだ。逆に、序曲のみの録音はどれほどあるかというと、実数は知らない。今(2001年)なら、世界で70〜80は、あるだろう。そんなにあるはずがないって? 私が38種類も持っているのだから、世界じゅうで70種類くらいはあるに違いない。マンガ発表の当時ですら、30種類はあったはずだ。
そうすると少女は、レコード陳列棚の前で茫然自失するのである。
しかし、ご安心を。「エグモント序曲」の入ったLPレコードのタイトルは、「ベートーヴェン序曲集」であるし、また、ほとんどは交響曲のオマケなので、初心者さんがちょっと見ても、探せないのである。
かくして少女は、奥が深いベートーヴェンの世界にもてあそばれ、マンガのオチは破綻をきたしてしまうのだ。
「エグモント」など気にしないで恋愛しよう。