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  5. ベートーヴェンは、何派?古典派?

「これこそ正しいベートーヴェンの聴き方」
ベートーヴェンは、何派?


 かつて、ある中学生さんが「ベートーヴェンは何派?」という質問をしたので、書く。

 ベートーヴェンが何派かというと、まず教科書的には、古典派かロマン派か、どちらだろう?となる。

 では、古典派って何だろう。古典派とは、普通は18世紀後半から19世紀初頭にかけての、ドイツ・オーストリアの音楽を代表とする時代になる。もちろんフランスやイタリアにも古典派があり、イギリスにだってある。しかし、ことヨーロッパのクラシック音楽において古典派という場合は、ドイツ・オーストリアの古典派に限定されるきらいがある。なぜなら日本がクラシック音楽を輸入した明治時代、ドイツからの情報が一番多かったためだ。しかも、今歴史を見ると知名度の点でハイドンやモーツァルトが残っているのみ。ある程度年季が入った音楽好きなら、下の資料にあるような作曲家を何人か並べることができるだろう。映画「アマデウス」で有名になったサリエリとか、ウィーンで人気があったロッシーニ。今の音楽の教科書がどうなっているか知らないが、ロッシーニも古典派だ。ロッシーニは1868年まで生きた人なのでロマン派のように思われがちであるが、有名な曲は1830年までにほとんど作られたので古典派と言ってもいいだろう。いやもうロッシーニは古典派でしかない。

 古典派の曲の特徴は当時の社会と関係がある。たとえば貴族趣味だ。均整がとれていて気品がある。きれいなドレスを着たお嬢さんとか、落ち着いた物腰の紳士のようだ。ハイドンの一連の交響曲や、モーツァルトのピアノ協奏曲など、どうだろうか。それは写真で見るようなウィーンの街並とどことなく似合っていないか。きれいに揃った窓とか飾りのついた壁。音楽ではソナタ形式やロンド形式といったものが古典派に相当する。バロック音楽の時代も貴族趣味であろうが、まだ形式感がゆるかったかもしれない。

 一方ロマン派といえば、ショパンとかリスト、ワーグナー。何がロマンだといって、色恋(ロマンチック)というわけではない。心のおもむくままに感情を曲に盛り込んだといえば、当たらずしも遠からず。この時代の目に見える特長は、交響曲よりは組曲や1楽章形式の曲が多くなったことだろうか。たとえばウィンナ・ワルツ。あるいはショパンが作曲したようなピアノ小品群。リストは交響詩を創作した。交響詩はまさに英語でSymphonic Poem というくらいで、 ポエムだ。音楽に Poem!!! ロマン派ならではということか。交響曲においても、形式よりも雰囲気が重視された。曲の中で雰囲気を作るために速度が何度も変化するのだ。ロマン派の延長線上にあるチャイコフスキーの交響曲。たとえば「悲愴」の第1楽章にある第2主題は、それまでの速度をぐっと遅くして、雰囲気をがらりと変える。こういったことは古典派では考えられないことだった。もっとも、ベートーヴェンのピアノソナタには前例があるが。

 でも、どうしてこのような違いが発生したのだろう?

 それは、ベートーヴェンの出現と同時に、当時の社会情勢の変化があったからだ。18世紀の貴族社会が崩壊して、19世紀は民衆主導となった。このあたりの事情は「ベルサイユのばら」でも読むと、よくわかるのかもしれないが、私は歴史に興味は無い。ちょうどベートーヴェンがデビューした頃、貴族中心の社会は最後の栄華を極めていた。ベートーヴェンも生活を支援してくれる費用が必要だったこともあり、その頃の趣味にあわせて曲を作った。いわゆるベートーヴェンにおける「前期」で、ピアノソナタ第1〜6番あたりとか、交響曲第1番などが相当する。しかし、すでにフランス革命の影響はヨーロッパじゅうに広がり、徐々に社会が民衆中心になるにつれて音楽もより民衆に近くなっていった。当時の政治や思想、宗教に強く影響されたベートーヴェンは、当然曲の内容にも影響が現れる。結果、自分の固い意志というか性格が音楽に反映することになった。人間の感情、人間の意思、人間の思想、いささか個性が強すぎたベートーヴェンだったからか、そういったものが異様に強調される曲も少なくない。そんな、あまりに人間的な面を曲に盛り込み始めた時代、それがロマン派であり、それを始めた代表がベートーヴェンだったのだ。

 結論を言おう。古典派とは、ベートーヴェン以前であり、ロマン派とはベートーヴェン以後のことだ。そして、ベートーヴェンは、両方に属しているような、あるいはどちらにも属していないような、そんな位置にある。
 別の言い方では、ベートーヴェンの影響を受けている作曲家が、ロマン派の作曲家なのだ。たとえベートーヴェンより後の時代に活躍したとしても、ベートーヴェンの影響を受けることなく、ハイドンやモーツァルトのような曲を作る人は、古典派の人なのだ。古典派、ロマン派という区別があって、そのどこにベートーヴェンがいるのかではない。ベートーヴェンがいたからこそ、古典派とロマン派の区別ができるようになったのだ。それほどベートーヴェンは孤高の人なのである。

 ベートーヴェンの影響を強く受けたリストやワーグナーは、ロマン派の人だ。ベートーヴェンの交響曲に衝撃を受けたマーラーやブルックナーも、ロマン派(の1派)だ。ブラームスはベートーヴェンに従おうとしたのでロマン派の中でも新古典派などと呼ばれるが、そんなことはどうでもいい。ショパンやヨハン=シュトラウスはベートーヴェンの影響が無かったように思えるが、ベートーヴェンを無視することでしか作曲できなかったので、結局ロマン派の中で生きていたことになる。
 シューベルトは古典派だ。「未完成」交響曲がロマン派のように言われるが、あれはシューベルトが歌曲を得意にしていたために、歌謡性が前面に出ていたのでロマン派かなと思われるだけのことだ。しかし「未完成」の後に作曲した交響曲「ザ・グレート」を聴けば、シューベルトが古典派の人であることがはっきりわかる。ベートーヴェンの影響を受けているかのように思えるが、「ザ・グレート」を聴く限り、古典派の中で頑張ったように見える。

 ベートーヴェンはその作曲の期間、およそ30年余りの間に、驚くほど進化した。しかしその進化は、たったひとりで成し遂げたことだ。この進化について述べた書籍はたくさんあるので、ここでは説明を控えるが、とにかくベートーヴェンがウィーンにデビューした1800年以前には、彼でも、いかにも古典派という曲を書いていたが、すでに1810年頃(交響曲第5番、「田園」の作曲を終えていた)には、もう古典派などというくくりにすることが出来ない、ウィーンにいるほかのどの作曲家も真似の出来ないような境地に達していた。古典派を越えたのだ。ベートーヴェンが古典派を完成させ、ロマン派の扉を開けた、などと表現した解説があるが、ちょっと違う。

 ベートーヴェンは古典派を抜け出し、独自の世界を作ったのだ。

 その独自の世界の部分部分を取り出して、工夫していった時代、それがロマン派と勝手に呼ばれているだけなのだ。

 ということで、ベートーヴェン好きに言わせると、ベートーヴェンはたったひとりで「ベートーヴェン派」なのであり、他に誰も彼の隣に並ぶことはできないのだ。


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