「これこそ正しいベートーヴェンの聴き方」
予備知識とは
聴くとか演奏する場合の予備知識についてお話ししよう。
(1)曲の構造
これが第1主題だよとか、ソナタ形式というのはね、という知識。
作曲の勉強をするには十分に必要で、その曲を気に入った人にも十分な満足を与える知識であるが、これを知らないと演奏できない、聴けないというものでもない。
ご丁寧にも、第1主題がどうの第2主題がどうの、という解説もあるが、そんなことは慣れてくれば聴いていてわかることである。というか、聴いてわからないのなら、それは実際にわからないように作ってあるか、あるいは作曲がヘタなのか演奏がそれに輪をかけてヘタなのかの、どれかであろう。
演奏するという行為のためには、まずひたすらに楽譜に対峙すべきであろう。また、聴くだけの人にとっても、曲の構造がよほど気になるなら、楽譜そのものを読んでみるべきだろう。多少書き足りないところがあっても、結局は楽譜が全てである。曲の構造についての解説はその後の話だ。
(2)曲の成立事情など
何年何月頃、こういうことがきっかけで作曲して、という知識。
普通は、その曲を気に入った人がコラム的に読むものであって、何の役に立つかといえば単に気分的なものである。もっとも、一度も聴いたことが無い曲について読めばそれに興味を持つきっかけにもなるだろう。
とはいえ、曲そのものの内容とはまったく関係無いことも多い。もちろん、演奏するには何も役立たないし、事情がわかったから面白く聴けるというものでもない。
ただ、作曲年代という知識は、けっこう良いひとつの指針である。たとえばベートーヴェンでは1800年以前は純粋に古典派的な曲が多く、ハイドン(を代表とする楽派)に似ている、などと言ってもよいだろう。あるいは晩年(例えば1820年以降)は、かなり孤高/崇高な要素があると思ってもいい。
しかし、当のハイドンが「わしに似ている」と思ってくれるかどうかは別問題であるし、曲の種類によっては晩年の曲でも親しみ易いものがあるので、言葉の印象にだまされてはいけない。
ともかく、成立事情は差し障りが無いので、演奏会のプログラムに書く曲目解説で一番扱いやすい内容だ。
(3)曲の雰囲気
そのものずばり、印象を説明するわけであるが、趣味や経験、文化の違いがあるので、その表現が誰にでも同じように受け取られるかといえば、かなり問題がありそうだ。
まず、感情に置き換えるのはかえって良くない。「悲しいメロディー」「楽しいメロディー」などと言うが、何が悲しいかなんて、曲そのものには関係無い話である。ベートーヴェンではほとんど無いが、「エキゾチック」という言葉は私にとってはアラビアンナイト的なものだ。皆さんにはどうだろうか。
前項にも関係するし、他のページにも書いたが、たとえば「悲しい体験」をしたから「悲しい音楽」を作るのではない。大抵の場合、ただ「悲しい音楽」を作る必要があっただけなのである。
曲を聴くにあたって、印象(雰囲気)を重視するのは、ロマン派や近代の音楽に毒されているのかもしれない。
また、「新しい時代の音楽」などという判ったような判らないような表現もあるが、これは考えもの。ベートーヴェンの時代、「トルコ音楽」が新しい音楽だった。例の「第9」には、トルコ音楽で使われる組み合わせの打楽器(シンバル、トライアングル、大太鼓)があるし、そのままの音楽「トルコ行進曲」(劇音楽「アテネの廃墟」)もある。そんな曲は、単に雰囲気や楽器編成が珍しいだけのものだったりする。「第9」の解説で、これら打楽器を扱うことについて「未来の音楽を指向している」などという解説を読んだことがあったが、実際の話、響きが面白いから扱っただけなのかもしれない。
(4)速度/表意記号
第1楽章、アレグロ などと書いてあることについて。
トスカニーニは、交響曲第5番の第1楽章について、「(いろいろなことを言う奴がいるが、)ただの、アレグロ・コン・ブリオだ」と語った。この言葉は、「かく運命は扉をたたく」という、有名な逸話を前提にしたものである。"Allegro
con brio"
は、楽章の速度/表意記号であるが、実際のところ、演奏する人には重要な言葉であるが、聴く人には、どうでもいい文句である。なぜなら、上手に演奏してもらえれば、ちゃんと「アレグロ・コン・ブリオ」になっているはずだからだ。また「その意味は」と尋ねられたら、正確には「イタリア語を知らない人には、おおまかでしかわからない」し、各人が感じる印象に差があるだろう。たとえば日本の音楽教育で
"Andante"を「歩くような速さで」というが、私は、"Allegretto"くらいで歩く。あなたは、"Moderato"ですか?
結局のところ、世の中には名演奏がいっぱいあって、あれも「アレグロ・コン・ブリオ」、これも「アレグロ・コン・ブリオ」。いろいろな「アレグロ・コン・ブリオ」があるのだ。
蛇足であるが、ベートーヴェンの時代、「コン・ブリオ」などと言葉がくっついている曲は少ない。"Andante"
, "Allegro"、といった速度に関する言葉しかない曲が多いのである。
なんだか、いろいろな知識があれば上手に演奏できそうに感じられるが、それは違う。演奏する人にとってどうかといえば、やはり楽譜を読みこなし何度も練習するに限る。他人に尋ねても、どうにもならない。だいいち他人に尋ねたところで、自分はどこにいるのか。自分がどう演奏したいかという命題は他人に訊いても解決しない。
いろいろ知識があれば楽しく聴けるであろう。私も、友人たちのアマチュア・オーケストラのために曲目解説を書くが、じつは、何を書くのか毎回悩むところである。
たとえば、後期ロマン派では、民族音楽的な要素を含む曲が多いが、それが、○○民族独特の音楽とか、△△△旋法とか書いても、読んでわかるはずもない。ましてや、楽譜を並べる気もない。第1主題がコレ、第2主題はこのような雰囲気、と書いても、聴衆が読み物に集中すると、曲の全体を見失う。それでは演奏会の意味が無い。
毎回、こんなことがきっかけで作曲して、などと、さしさわりのない軽い内容にしてしまうのである。