「これこそ正しいベートーヴェンの聴き方」
展開部の最後
ソナタ形式は、展開部だ。
展開部はベートーヴェン以後の曲の聴き所である。さて、ソナタ形式の展開部では何が重要であるか。それは、いかに再現部を導くことができるかだ、と、誰かが言った。誰だったかな。忘れてしまった。
ものの本にあるように、ソナタ形式では展開部が省略される場合がある。あるいはベートーヴェンの初期のピアノソナタにもあるように、主題提示部の繰り返し以外に、展開部+再現部で繰り返しをしてしまうこともある。これらの場合、展開部はベートーヴェンとしてはあまり重要な意味をなさない造りになっている(はず)。
「英雄」第1楽章提示部末尾
しかし、別ページにも書いたように、ベートーヴェンにおいては、繰り返しの行為そのものが変化していく。交響曲第3番「英雄」第1楽章における提示部の繰り返しは、つらいものがある。指揮者、朝比奈隆は、「英雄」の提示部は繰り返して演奏すべきだと言うが、どちらかと言うと繰り返さないほうが曲の理念としてはすっきりする。「英雄」のソナタ形式が進化した最終形態、すなわち交響曲第9番「合唱付き」の第1楽章では、見事に繰り返し記号が無い。序奏と主題が完全な融合をし、しかも出現のし方が大変に印象深い主題になってしまったため、繰り返すことが不可能になってしまったのだ。
あらためて考えると、「英雄」第1楽章は冒頭が2回の和音打撃であり、これで調性と速度を宣言しているのである。これを主題提示部末尾の繰り返し部分に求めることは出来るだろうか。いやいや出来はしない。なぜなら提示部末尾は、展開部への雰囲気作りで忙しく(譜例の3小節め以降)、繰り返しの準備をすることが出来ないのである。音楽に敏感な人ならその繰り返し部分の雰囲気が、第1主題を導くには不釣合いであることを感じるに違いない。
このように提示部と展開部が有機的に結合し、繰り返しを許さないようになっていったのがベートーヴェンのソナタ形式であるが、展開部から再現部へ移る点においては、よりいっそう工夫を凝らしたものが多い。
「英雄」第1楽章展開部末尾
再び「英雄」であるが、もう冒頭で使った2つの和音打撃は使えない。そこで用意したのが天才の所以、例の有名な個所である。ここでは調性の定義を型破りな方法で実現した。いわゆる「力技」で、変ホ長調の属和音が鳴っているところに無理やり主和音で宣言してしまうのだ。「パタリロ!」の強引なギャグと手法はよく似ている。あとは全オーケストラが鳴りまくって、一丁上がりである。見事というほかない。
「ワルトシュタイン」第1楽章展開部末尾
「ワルトシュタイン」と交響曲第4番の各第1楽章の展開部末尾も、面白い。どちらも第1主題をもとに、なんとか主題再現部を導こうとしている。「ワルトシュタイン」では譜例の低音域でうごめいているが、これは第1主題の一部が変化したものである。ここで4回繰り返すために、次の小節にある「転回形」が違和感無く聴き取れる。その転回形の一部が取り出されて上昇していくのだ。すなわち、新しい音型に見えるものは第1主題の変化したものであり、それが盛り上げていくわけだ。そのしばらく後に作曲された交響曲第4番では同じような音型で再現部を導くことで知られている。こちらは、低音部のうごめきがティンパニに任され、さらに幻想的な雰囲気を醸し出す。
交響曲第4番第1楽章展開部末尾
これら以外に、「合唱付き」の第1楽章や、同じく第2楽章のスケルツォ主部など、展開部末尾で強烈な盛り上りを創り出すものがある。それらが巨大なエネルギーを創り出すことが出来る理由のひとつに、主題再現部は主題提示部の形をそのまま再現しているわけではないということがある。ベートーヴェンに至って、主題の再現は、全く同じ形で主題が再現するという意味ではなくなったのである。特に後期に近づくほど、ピアノソナタでは、展開部の末尾から主題の再現の部分で主題提示部と比べて様々な変化が与えられるようになり、演奏において大変難しいのではないかと思う。
もちろん、以上のように大きく変化して主題が再現されるものばかりではない。ピアノソナタ第27番第1楽章では、音型がうまく変化して冒頭と同じ第1主題を導くことに成功している。だからといって、演奏が簡単だというわけではない。内省的なこの曲でも、この部分は演奏が難しいのではないだろうか。ただし、強弱記号が細かにつけられているので助かるに違いない。
ピアノソナタ第27番第1楽章展開部末尾