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ミケランジェリはスゴい。「皇帝」は特にスゴい。


 ほんの数年前、たまたまどこかの評で見たのだが「ものすごいライブ」という批評の演奏がある。それはベネデッティ・ミケランジェリ独奏、ジュリーニ指揮による「皇帝」協奏曲(1979年録音、Deutche Grammophon)だったのだ。これは私の愛聴盤である。

 ミケランジェリの「皇帝」は、なんでも10種類ほどの録音が残されている(*1)そうで、まだジュリーニ盤を含めて2種類しか持っていない私がとやかく言うことはおこがましい。誰でも歳を重ねるにつれて何かが変化していくものだから、ミケランジェリも演奏スタイルが変化し続けていったに違いないだろう。でも、幸運にも大変良い内容で「皇帝」が、しかもライブ録音として残されているからには、書かないわけにはいかない。

 このシリーズの録音には第1、第3番も残されている。なぜ残りの2曲が無いんだ!と残念にも思う。
 さてこの「皇帝」の何が凄いかというと、
  @華麗。
  Aミスが無い。
  Bしかもライブ。
  Cほぼ楽譜の通り。
の4点に集約されると思う。

 まず、@華麗であること。
 この協奏曲は、名前からして「勇壮」とか「重厚」という表現に陥りがちと思う(*2)。管弦楽の響きも手伝っているのだろう。しかし、ミケランジェリの冒頭のカデンツァからして、各々の音がきれいに分離(*3)していて、他の誰かの演奏と比較すると「気品ある」「華麗」と表現するしかないと思う。ピアノによる第1楽章の第1主題は、管弦楽による提示とは全く違って、きれいに清く響く。第2楽章のさらに清い響きは理想的だ。
 第3楽章のコーダでは、ピアノが演奏する最後の部分が印象的(譜面例1)。私は最初の頃、この部分のピアノの動きが意味することがよくわからなかったが、ミケランジェリの演奏を聴いてわかった。ミケランジェリが最後の部分を弾ききると、あまりにも鮮やかなので、うわぁーと思ってしまう。うわぁーと思っている間に管弦楽が最後の和音まで終えてしまう。つまり、そのように弾いてほしい部分だったのだ。こんなところで、協奏曲は快楽的な意味のエンタテインメントであることがわかる。交響曲はマジメな音楽と定義できるかもしれない。だから協奏曲がレベルが低いとか、交響曲のほうが上だとは言わない。少なくともベートーヴェンはベートーヴェン自身がピアノ演奏を披露する、という意味での協奏曲の快楽的な意味のエンタテインメントを追求し尽くしたということで、「皇帝」協奏曲は究極の一品なのだ。ミケランジェリはそこがよくわかっていると思う。

  譜面例1 赤矢印以降
pfc_5_3_last.jpg (26911 バイト)
 次にAミスが無いこと。
 これも凄い。ミスが無いということだけで驚くべきことではないかと思う。演奏会でミスが1件あったことが新聞に載るくらいの人であることそれだけで凄いが、それが「華麗」という、余裕のある表現を実現した上でのことだからだ。書いてある音がきちんと鳴っている演奏は別段珍しいことではないが、ミケランジェリの演奏は、音のひとつひとつがきれいに分離しているように聴こえるので、余計に凄く感じる。
 CDの演奏は、商品である以上ミスが無いのが普通と思うだろう。が、大抵の演奏は、どこかミスが含まれているものだ。それはたとえ間違った音程がひとつも無くても、どこか表現があいまいであったり、指使いがどことなくぎこちないところが見つかるものだろう。スタジオ録音の場合は、録りなおしをすることができるので、商品としてはなんとかまとまるものである(*4)。

 第3に、それらがBライブ録音で実現していることだ。
 じつは私が持っているあるライブ録音で、ミスやりまくりの演奏があるのだ。それは録音で有名どころのピアニストの演奏ではないが、とある記念演奏会であり、いわば晴れの舞台でもある。しかしいかんせんミスが目立つ残念な演奏だ。あまりにミスが多いので目指す表現もどっちつかずの演奏だった。素人考えでもライブは難しいのだろうなと思うが、ミケラジェリの演奏はそのライブで完璧なのだ。

 さて、ミケランジェリのこの演奏は透徹した表現であるが、目指そうと思えば誰でも目指しておかしくない内容である。もちろんできるかどうかは別。しかし、ミケランジェリの演奏は@ABを実現して、さらにCほぼ楽譜の通りなのだ。これは楽譜を見ながら確認していただくしかないが、sfは必ずsf、<や>も、きっちりこなしている。妙なデフォルメが、どこにも無い。しかも、1拍が5連符、6連符などに分割されているところも、あいまいにしていない(譜面例2)。4連符、5連符、6連符が、並んでいるそのままで明瞭に聴こえてくるのは、面白い経験である。もちろん、そういう音型が限りなく出てくる時代の音楽にもミケランジェリが精通していることを知った上で、また、他のピアニストだって大抵は弾けているはずなのに、私としては驚く。
 一部、優しい音型のところで若干のルパートがあるが、さじ加減は微妙なものである。私は、1957年の録音も持っているが、けっこう自由で、第3楽章の最後の部分でも管弦楽といっしょに音を出して終わっている。自分だけ先に終わってしまうのがなんだか気持ち悪いと思ったのかもしれないが、その考え方もわかる。しかし、DGでの録音は、ほぼ楽譜通りになっているのがうれしい。

  譜面例2 右手で、赤丸は順に7連符、6連符、7連符、5連符、5連符、6連符、6連符である。
pfc_5_1_120.jpg (63284 バイト)
 ということで、どんな録音も押しのけて、真っ先にお勧めしたい録音だ(*5)。

 ちなみにミケランジェリによるソナタ第4番と第32番も持っている。第4番はDGの録音。もう少し若気の至り的な要素があってもいいと思うが、きれいな演奏だ。第32番はデッカの録音で、ガルッピ(*6)、スカルラッティとのカップリングだ。こちらは録音が古めなのがイマイチ不満だ。

*1 このうちほとんどが放送向けの録音らしく、本人はレコードとしての発売を許可しなかったろうなと思う。
*2 「皇帝」という言葉の語感は、「勇壮」「華麗」のどちらに近いのだろうか。
*3 運指がうまいのだろう、ある音の鍵から次の音の鍵に移る際に、きちんと音が切れて聴こえるのだ。
*4 少なくとも、私にはミスを見つけられなかった。また、ミケランジェリは気難しい人だったそうなので、たとえミスがあってもライブ録音の一部を後で(異なる条件下で)録りなおしするなんて、まずやらなかっただろうなと思う。
*5 押しのけられた主な録音は、下記の通り。
   バレンボイム(pf)、クレンペラー、
   バックハウス(pf)、イッセルシュテット、ウィーン・フィル
   ケンプ(pf)、ライトナー、
   ルービンシュテイン(pf)、バレンボイム、
   アシュケナージ(pf)、メータ、ウィーン・フィル
   ポリーニ(pf)、ベーム、ウィーン・フィル
   ゼルキン(父)(pf)、小澤征爾、ボストン交響楽団
   ブレンデル(pf)、レヴァイン、シカゴ交響楽団
*6 ガルッピのソナタ第1楽章の愛らしさ、清らかさといったら絶品であろう。


(2014.1.4)



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