西洋音楽史(なんて、こんなもん)
子供の音楽の教科書を見ていて、約30年前の自分が使った教科書を思い出した。紹介されている音楽の種類はさすがに多くなってきている。しかし、西洋の、特にクラシック音楽と日本の音楽(もちポップス等世俗音楽抜き)でほとんど全てというのは、あまりに音楽文化の紹介としては偏っている。しかし、そもそもテレビやCD屋がポップスに偏りすぎているのだから、いい勝負じゃないか。
さて、そんな教科書の西洋音楽史の説明はヴィヴァルディあたりから始まって武満徹あたりで終わっていた。ヴィヴァルディあたりなんて、つい最近じゃないかと思い、武満徹を代表して扱うのもよいけど、もっと変な音楽がたくさんあるぞ、と思う。とにかく、どんな文化でも元が広大なので全貌を子供の教科書に載せるには手に余るのだ。圧倒されるほどすばらしい作品や、ささやかでも魂がほっとするような作品だって、数知れず存在するのである。
いろいろ音楽を聴く経験が充実してくると、自分で西洋音楽史が書けるようになってくる。皆さんも書いてみよう。いやそんな、大それたものじゃない。私が書くなら、下の図のようなものだ。
この図のポイントは、バロック=「のどかな時代」であること。そこにクープランが入っている。ヴィヴァルディはイタリア方面、ヘンデルはドイツ方面。ならばクープランはフランス方面の代表である。フランスにだって音楽はあるさ。バッハ一族は無視しているし、それ以前の音楽は歴史の淵に沈んでいる。ヴィヴァルディは例の「四季」くらいしか聴かない。ベートーヴェン以前があまり知られていないように見えるのは、一般大衆のための音楽市場がほとんど形成されていなかったからじゃないかと思う。当然、ベートーヴェン以前も、才能ある人があちこちにいたはずだ。なのに、高校の音楽の教科書ですらそれが重視されていない。私が重視していないのはかまわないが、音楽の教科書が、一律ヴィヴァルディ→バッハ→ヘンデルという流れにしかなっていない。本当は、たいして聴きもしないのに作曲家の名前を並べてどうする、音楽を勉強にするな、と言いたいのだが、ここの趣旨からずれてしまうので、書かない。
私には、ベートーヴェンこそが西洋音楽史の中心であり、全てである。そうなったいろいろな外的要因は左に書き出してある。ウィーンがイギリスやパリと比べて「ど田舎」であることはたいへん重要で、このためにフランス革命の混乱がおだやかにしか伝わって来ず、貴族はまだ生き残っていた。こういった要素があって初めてベートーヴェンが活躍できたのだ。まことに幸運と言わねばなるまい。
ベートーヴェン以降は烏合の衆の時代である。ドイツ・オーストリアかどうかはお構いなしに、チャイコフスキーやマーラー、ブルックナーやショパンやリストは私にとって無視するしかない作曲家である。ここに無い作曲家は、思い出すこともない。
音楽鑑賞のたしなみなんて、せいぜいこんなものである。
(2009.9.13)