メトロノームによる速度表記と、ウィーン・フィルの伝統?
ベートーヴェンでよくある説明のひとつに、メトロノーム表記の話がある。
簡単に書くと、ベートーヴェンの交響曲にはメトロノーム表記の速度指定があるが、それが、丁度良さそうなものもあれば、速すぎたり遅すぎたりしているものがあって、困ってしまうというものだ。たとえば「第9」の第1楽章。
Allegro ma non toroppo , un poco maestoso
速く。ただ、速すぎることなく。また、やや荘厳に。
この指定をそのまま読むと、遅めに演奏しなくちゃいけないという感じがするだろう。しかし、この後ろに四分音符=88という記述がある。このメトロノームの数字が妙に速くて、奇異に感じられるのである。
メトロノームの数字に合わせた高速な演奏を聴くと、力強さはあっても荘厳さが希薄になってしまう。やや物足りない感じがしないでもない。荘厳というのは、やはり「どっしり遅め」という印象を持つのだが、イタリア語のニュアンスはどうなのだろう。実際にいろいろな演奏を聴くと遅めのものが多いので、どこの国も似たり寄ったりじゃないかと思う。
ベートーヴェンのメトロノーム表記が変だということについては、メトロノームの目盛の読み間違いであるとか、操作の間違いであるとかいう意見がある。壊れていたんじゃないかという意見もある。(各自、探してお読みください)
私は、じつはベートーヴェンはメトロノームを持ってはいてもあまり使っていなくて、いざ数字をどうしようかと考えたときに、実際にメトロノームでの測定が面倒になって、結局は頭の中で適当に数えて書いてみたんじゃないかと思ったりする。これが一番しっくり来る答えじゃないかなぁ。
別のページでも書いたが、速度表記が変な音楽に、交響曲第7番第2楽章がある。ある交響曲第7番の解説では「この曲にはほんとうの意味での緩徐楽章(かんじょがくしょう)が無い」というが、それは譜例のように第2楽章が
Allegretto であって、Adagio や Moderato
ではないということを言っているのだ。しかし、うその意味での緩徐楽章はある。ほとんどの指揮者がこの楽章を遅く演奏してしまうからだ。
Allegretto
でありながら、メトロノームの数字は四分音符=76だ。この楽章のよくある演奏は、四分音符=60あたりなのだが、どうだろうか。
ベートーヴェンの遺品のメトロノームを手にしてあれこれ推理してみるのもよいが、もしそんなに速度が気になるなら、実際に当時に演奏した人に訊いてみるのが一番いいんじゃないのか? 普通ならそう思うに違いない。それが出来ないので皆悩んでいるのだ。しかし、別のページを書いていて思ったことがある。
そう、ウィーン・フィルに訊けばいいじゃないか。
ウィーン・フィルはそもそも、ウィーン古典派の音楽の伝統を守るというのが設立の目的のひとつ。ならば、少なくとも、1842年の設立当時の演奏の秘奥義が伝授され続けていたのではないか。そう思った理由が、故岩城宏之氏の著書「フィルハーモニーの風景」(岩波新書)なのだ。著書によると1961〜1962年のことなのだろう。その部分を引用してみる。
次の朝は、定期演奏会の練習だった。ベートーヴェンの「交響曲第七番」である。第二楽章のテンポを、カラヤンはかなりおそく演奏したい様子だった。伝統的なテンポより、相当ゆっくりなので、オーケストラは抵抗した。何度もやり直し、やっと彼の思い通りのテンポになった。 (中略、翌日の本番で) 彼が最初の二小節をはきり1・2、1・2、と振ったときには、思わずニヤリとしてしまった。昨日のいきさつを知っているからである。メトロノーム68くらいのテンポで押し切るつもりだったのだろう。ところが、第三小節からの弦楽器群のテーマ演奏に、びっくり仰天した。カラヤンの棒とは全く関係なく、もっと速いテンポ約90で、整然と音楽が流れ出したのだ。彼もさるもので、その瞬間まるで自分が望んだかのように、オーケストラに合わせて優雅に指揮していた。完全にカラヤンの敗けだった。 (中略) カラヤンに抵抗し、彼の棒とは全く関係のないテンポで、整然と弾き出したあのアンサンブルの秘密は、いったい何なのだろう。 コンサートマスターが大袈裟に合図をしたわけではない。実に不思議だった。 |
ほんとにその場で見て聴いてみたい演奏会であるが、これからわかることは、
@カラヤンは、メトロノーム68程度にしたかった。
A岩城氏が言う伝統的なテンポは、メトロノーム68よりもかなり速い。
Bウィーン・フィルは自分たちのやりたいテンポで演奏してしまった。
メトロノーム68が遅いと岩城氏は言うが、後述のとおり、68以下で演奏する指揮者も多い。岩城氏の記憶に頼ったその68や90という数字があいまいだとしても、少なくともウィーン・フィルは岩城氏が驚くほど速く演奏したというのは間違いないのだ。ウィーン・フィルが嫌がらせの意味も含めてわざと伝統の速度よりさらに速めで演奏したかもしれないが、少なくともウィーン・フィルのいう伝統の速度とは、ベートーヴェン指定の76よりも上、さらに80に到達するほどの速度と想像していいと思う。岩城氏が言うウィーン・フィルの伝統の速度は、76を超えた、まさに
Allegretto だったのである。
ウィーン・フィルの設立が1842年だから、ベートーヴェン没後15年のことだ。もちろん、記憶に頼る速度のイメージは変化しているかもしれない。しかし、それはわずかなものであろう。ベートーヴェンが一般音楽新聞にメトロノーム76として掲載したことを考えても、それよりも速いことが伝統であるとするなら、どうしてそのような速度になったのだろうか。
しかし、私たちがスタジオ録音されたものを聴いても、それは指揮者の意向に沿ったものであるだろう。いつまでも残る録音のために、オーケストラが指揮者を無視した速度で演奏して指揮者のメンツをつぶすことはできない。
ただ、岩城氏の逸話にもあるように、生演奏は調べてみてもいいんじゃないかと思う。ちなみに、ワインガルトナーは、ここの速度を66が適切だと著書で述べている。ロマン派的な指揮に反発し、スマートな印象を伴うワインガルトナーであるが、結局他の指揮者と同じだった。著書の中では、この楽章は
Adagio や Andante
の意味に解釈されるべきではないと書いておきながら、66では
Moderato 以下じゃないかと、正直思った。
というわけで交響曲第7番第2楽章。冒頭の和音を除いての主題の24小節の速度を、ウィーン・フィルの演奏に限って調べてみた。ちなみに主題24小節を32秒で通過すれば、メトロノーム90になる。下の「時間」「メトロノーム」は、誤差0.5程度ということでご勘弁願いたい。歳くってるからテンポが遅いのかなと思って、年齢も並べてみた。(録音年がおおまかなので、指揮者の年齢は1歳のずれを見込んでください)
指揮者 | 年齢 | 録音年月日 | 時間(秒) | メトロノーム | 備考 |
フルトヴェングラー | 64 | 1950 | 52 | 55 | |
クナッパーツブッシュ | 71 | 1954/1/17 | 53 | 54 | ライブ |
フルトヴェングラー | 68 | 1954/8/30 | 46 | 63 | ライブ |
カラヤン | 50 | 1959 | 46 | 63 | |
イッセルシュテット | 69 | 1969 | 54 | 53 | |
ベーム | 76 | 1970 | 53 | 54 | |
ベーム | 76 | 1970/9/6 | 50 | 58 | ライブ |
クーベリック | 60 | 1974 | 54 | 53 | |
ベーム | 81 | 1975/3/16 | 52 | 55 | ライブ |
C.クライバー | 46 | 1976 | 41 | 70 | |
バーンスタイン | 60 | 1978 | 47 | 61 | ライブ? |
アバド | 54 | 1987 | 49 | 59 | |
岩城(NHK交響楽団) | 36 | 1968 | 43 | 67 | |
岩城(アンサンブル金沢) | 70 | 2002 | 43 | 67 | ライブ |
ご覧の通り、手持ちの中で一番速いのがカルロス・クライバーだった。それでも、残念ながら76にも及ばない。クライバーの指揮では、ウィーン・フィル盤以外にバイエルン放送交響楽団の録音を2種持っているが、それらもウィーン・フィル盤とほとんど同じ速度だった。クライバーの思う
Allegretto
は、この速さなのだ。しかし、誰も岩城氏の言うところの「ウィーン・フィルの伝統」を引き出していないことになる。
ということで、ウィーン・フィルの秘奥義は、私が持っているCDでは聴けなかった。生演奏ではないCDなんて、しょせんそんな程度のものでしかないのかもしれない。誰でもいいから「ウィーン・フィルに完全にお任せで演奏してみました」という録音は、現れないものだろうか。それでもどうせ、もともと個性の強い仕事である指揮者には無理な相談なのであろう。つまり、ちまたには「うその意味での緩徐楽章」が氾濫しているのだ。
当の岩城氏は2種類の録音とも67であるが、上記の表ではクライバーに次いで速い。
一方、日本代表としてもうひとり、「朝比奈隆 ベートーヴェンの交響曲を語る」の中では、第2楽章の速度については全く言及していない。他の曲では、あれほど細かく速度について分析しているのに、である。避けたとしか思えない。結局残されている実際の速度は、ゆったり遅めだった。
追補:
ベートーヴェン存命中の一般音楽新聞では、ベートーヴェンによる交響曲第7番の第2楽章を、「アダージォ楽章」と表現している。遅い楽章なら何でも「アダージォ楽章」と呼ぶ妙な習慣があったのか、それとも、意外と遅い速度で実際に演奏していたのか、それとも1小節を1拍と数えてしまったのか、私にはわからない。ただ、アダージォにしては速いのだろう。でないと、Allegretto
なんて書かないはずだ。
(2009.6.22)(2009.9.11追補)