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交響曲第7番 某番組の冒頭(2006.11.7後半追加)



 この曲の第1楽章第1主題が、フジテレビ系「のだめカンタービレ」の冒頭(タイトル掲記時)に、しばし鳴ることになった(2006年10月16日初回放映から)。じつにめでたい。
 なぜタイトルがこの曲なのかというと、主人公(千秋真一)が初めてオーケストラを練習で指揮する曲(第3回放映)であるからだ。第3回放映を見る限りにおいては、原作にあるように千秋に任される曲が突如として「英雄」に切り替わることは無かったので、次回(11/6放映か?)での演奏にそのまま続くと思われる。これは良い扱いであったと思う(後述)。もし、あの第4楽章で筋書き的にフィナーレを迎えれば、絶大な効果がある。

 効果ということでは、第3回放映における冒頭の第1楽章の使い方は、じつに秀逸だった。素人ゆえのボロが出ないように控えめにまとめた竹中直人が良かった(たぶん後ろ姿は別人だろう)が、彼が導く第1主題の最初の咆哮が、そのままタイトル表示につながっているのだ。踊りまわるタイトルの文字たちを見たその瞬間、正直、身震いした。この曲がこうしてうまく活用された例は、二度と現われないに違いない。文字通り「舞踏の権化」(ワーグナー評)の中で、タイトルは踊っていたのだ。

 ともかく、作中で練習し披露する曲は、かつての某番組のようにマーラーなんかではないぞ(あれは一応プロのオケだったが)。マーラーの交響曲は、4管編成を基本とする大型編成だ。プロのオーケストラでさえ、演奏するためにエキストラを多量に必要とする場合が多いから、学生、あるいはアマチュアのオーケストラでは、なかなか演奏は難しい。難しいというのは練習時間だけの問題ではないのだ。人や楽器や必要な物資を用意しようとする運用の仕事(はっきり言って雑用)だけでエネルギーを使い果たす。学業をしながらの練習は、無理のはずだ。だから、2管編成のベートーヴェンであり、ブラームスなのだ。
 ここで、クラシック音楽を聴き始めて数年以下の方に、楽器編成について説明しておきたい。2管編成というのは、同じ楽器が2個ずつあるということで、表のようになると思えば、あながち間違いではない。なお、弦楽器は省略してある。

  ピッコロ フルート オーボエ クラリネット ファゴット コントラファゴット ホルン トランペット トロンボーン ティンパニ 他の打楽器
ベートーヴェン
交響曲第9番「合唱付」
1 2 2 2 2 1 4 2 3 2個 シンバル
トライアングル
大太鼓
ベートーヴェン
交響曲第7番
0 2 2 2 2 0 2 2 0 2個 なし
ベートーヴェン
交響曲第3番「英雄」
0 2 2 2 2 0 3 2 0 2個 なし
ブラームス
交響曲第1番
0 2 2 2 2 1 4 2 3 2個 なし

 ベートーヴェンの交響曲第9番(以降、第9)は、Aオケの練習用で出てきた。おそらく、単に有名だからそうしたのだろうが、最終楽章に独唱や合唱があるから、そもそも音楽学校の発表会にはうってつけなのかもしれない。それとは違い、第7番は、小ぶりの編成に見える。ただし、古典派(西暦1800年前後)では、こちらのほうがごく普通な組み合わせで、じつは第9のほうが特殊なのである。その特殊さは、ホルンが4個、トロンボーンが3個、シンバルなどの打楽器があるところで見る。

 原作では、突如、練習内容を第7番から第3番「英雄」に切り替えられてしまうが、じつはここに難点が2つある。ホルンが2個から3個になってしまう点、そして、演奏効果も、ドラマ上のクライマックスも全く変わってしまう点である。
 ホルンが3個になるということは、ホルンのメンバーが最初から3人いたのか、それとも途中で1人追加したのか、ということになるが、たぶん、作者はこのことについて何も考えてはいまい(確認していないが)。
 テレビなどでの演奏効果ということでは、第7番と第3番「英雄」は、全くレベルが違う。これはよく聴いている人は知っている。「英雄」はたしかに名曲であるが、ドラマ的にはとても地味なのだ。そして、第7番には、ビジュアルに置き換えやすい全てがある。

 個人的に期待の高いのは、第7番の最後の1分間である。ここは、現代に聴かれる全ての音楽の中でも、まさに空前絶後の盛り上がりを誇る。その重厚さ、スピード感、ホルンやトランペットの咆哮、綿密に組み立てられたスケール感は、見事に演奏されたとき、まさに絶頂を極める陶酔という言葉がふさわしい。注意しておきたいが、マーラーなどの4管編成の管弦楽は、ベートーヴェンに代表される2管編成の2倍だから、迫力も2倍なのではないかと思われるだろうが、全くの間違いである。込められたエネルギーは、ベートーヴェンのほうがはるかに大きい。次回のクライマックス、はたして、ドラマを観る者は、それに少しは期待していいのだろうか。

 ちなみに、原作では、その後、ブラームスの交響曲第1番を演奏することになっている。一応、比較として表に載せておいた。

(ここまで2006.10.31)

 というわけで、次の回(11/6)ワーグナーが評した通り、見事に楽器たちは踊り、第4楽章のコーダは期待通りにクライマックスに達したのであった。大変めでたい。コントラバスが回転するシーンは、なんとか可能であるが、次の音はうまく出なかったろう。オーボエなどが管を上に向けると、いい音は出ないだろう。ま、そんなことは、どうでもいいが。テレビの貧弱なスピーカーでは面白くないので、録画されている方は、ぜひ、ヘッドフォンで聴いてみることをお勧めしたい。
 ちなみに、Aオケの演奏が、第9の第1,2楽章という設定は、ちょっとお粗末。

 それにしても…
 ここのテレビ局は、過去、「いいひと」しかり「ソムリエ」しかり、ジャ●ーズ系タレントを起用すると、原作を換骨奪胎ドラマにしてしまったものである。それも、原作者を怒らせるほどに。だから私は、今回も、あまり期待していなかったのである。
ここにあることを真実とすれば、そちらのテレビ局も、同じことをしようとしたわけであり、ほんと、そんなキャスティングや設定でドラマにならなくて、本当に良かった。ジ●ニーズ系タレントに、ベートーヴェンを任せられるか! そういう意味もあるが、●ャニーズ系タレントを使うと、ベートーヴェンすら換骨脱退されかねない!のである。それは、事務所の仕業だったとは。クラシック音楽をわからん奴、いや、わかろうとしない奴は、これだからいけない。何事も、対象をわかろうとしない奴は、どうしようもないのである。調べれば、二ノ宮智子氏の以前の作品も、完全に換骨奪胎されてドラマ化され、二ノ宮智子氏は激怒したという。大人のすることではない。
 しかし、うれしい誤算か、主題曲は第7になった。そして筋書きは、原作を圧縮しつつも、コンセプトはそのままに流れていく。そのことだけでも、大変にありがたいことなのだ。こういったクラシック音楽が多量に作中に流れるドラマで、どうして、ジャニー●系タレントが主題歌を歌うという発想になるのでしょうな。原作者無視というのは、どこの愚か者の仕業でしょう。


(2006.11.7)



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