「ベートーヴェン勝手解説大全集」とは
著者によるお話
このページは、掃いて捨てるほどある定番の解説は極力避け、独自の視点、独自の切り口で、ベートーヴェンの音楽に肉薄するという、こりゃまた大変おめでたいところです。
したがって、ここにある意見に「ほおーっ」と感動しても、それは、独断と偏見に満ち満ちたものであるかもしれず、即、皆様のお役に立てるというものではございません。また、「えーっ、そんなぁ」と思われても、こちとら「勝手」に書いているわけで、決してあなたに迎合しているわけじゃないもんね。
ということで、お子様の学校の夏休みの宿題や授業の参考資料、あるいは3時のおやつ、お酒のおつまみには、そのままでは流用できませんし、うかつに使ってしまうと、「わしは、ベートーヴェン通じゃけんのぉ」という、根拠のないレッテルを自ら貼ることになりかねませんよ。
そこは覚悟の上で、各自、ここにある情報を掌握し、適切に活用することで、ベートーヴェンの音楽を人生における修養の糧とすることができるわけです。
というわけで、せいぜいご利用ください。
※このサイトがいつからあるのか、もう忘れてしまいましたよ。
大権現様によるお話
私の音楽を賛美する諸君、まず言っておきたいことがある。
私の音楽は、芸術である。それは、人が感激感動するためにあるものであって、決して、論じたり理解したりするものではない。
諸君が私の音楽を聴いて、言葉で表現できないような魂の揺さぶりを感じたならば、それこそ私の音楽が役に立ったということだ。
逆に、私の音楽をわかったつもりになって、ひとりよがりの虚言妄言を撒き散らすことばかりに執心し感動を忘れたならば、私の音楽どころか、誰のどの音楽も聴く資格は無いであろう。
また、私の音楽を私の偉大さでくくって説明しきったかのように錯覚する輩もいるらしいが、それは全くの間違いである。
無論、私の作った曲の全てが偉大だというわけではない。ただただ音の並びを楽しむだけの音楽もある。心地良いだけの音楽もある。それは、私の魂と時代の趨勢が求めたものである。しかし、決して私にとって無用のものであったというわけではない。
そもそも私が偉大であるのは、私の偉大な生涯ゆえであって、偉大な曲ありきではないのだ。
わが生涯において私は、音楽芸術とはそれを聴く者の魂の向上に役立たねばならぬ、ということに気付いた。諸君の中で感激感動が生きる力に化したとき、私の音楽は存在意義を持つことになるであろう。