小澤征爾と小沢一郎と島田紳助、もしくは引き際の考え方
ここんとこ病気がちの小澤征爾氏ががんばって指揮をしようとするのは、一種の執着かもしれないが、まあ芸術家はそんなもんと思うのが普通だろう。私も正直言って、小澤氏はもう引退してもいいんじゃないかと思うが、指揮台の上で死ぬのを潔しとするような人たちこそが指揮者なので、棒を振る腕が動く限りは指揮を続けると思う。さて、指揮者はオーケストラという子分を従えて活動するが、そもそもこの子分は世間一般で言うところの取り巻きと同じではないから、小澤氏がいなくなることで芸術活動が滞ってしまうというものでもないし、小澤氏の一挙手一投足に人生を踊らされることもない。
同じように指揮をする立場で、同じような苗字を持つもう一方、政界の小沢一郎氏は、裁判沙汰になった時点であっさりと引退してりゃ、民主党も自民党も少しはマシに何かできたんじゃないかと思う。そう思わないかね? 今まで、党員も党員でない人も、議員も議員でない人も、どれほどの心と時間と金と人を小沢某のために使っちまったのだろうか。小沢某に関与していない人はちょっと想像してみてほしい。また、小沢某に実際に関係した人は、思い出してほしい。小沢某に何もかも吸い取られて、身動きできなかった関係者も大勢いたと思う。踊らされるのが取り巻きのみではなく国民全体にまで波及しているのだから、影響は甚大だ。
この、2011年8月末という政治的に(仕方なく)注目すべきタイミングの直前に、これまた良い(?)タイミングで島田紳助氏が、黒い癒着のために芸能界をあっさり引退宣言してしまったことを考えてみれば、この小沢某は一体どのような引き際を見せておくべきだったか誰にでもわかるはずだ。いやぁ、鮮やかな引き際を見せ付けるなんてもう遅いけどねぇ、と私は思う。
島田某が今後どのように過去を洗い出されていくかはともかくとして、同じような立場の小沢某は今後どのように過去を再評価されようとも、引き際を誤った。
あの日、鳩山総理大臣(当時)は言った。「私も退くので、(小沢)幹事長も身を引いて頂きたい」(2010年6月2日)
鳩山/小沢のご両人は「しばらく謹慎のポーズを見せればよい」と思っただけなのだろうか。しかし島田紳助氏は「謹慎だけでは後輩に示しがつかない」と思ったのだ。
同じように子分が多い者同士、そして、その界隈に影響力が強い者同士、どうしても以上のように比較せざるを得ないのである。
(2011/8/29)