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最初の1ページ 交響曲その2



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交響曲第5番 Op.67
 言わずと知れた有名な冒頭。なぜ弦楽器にクラリネットのみが加わっているのかとか、第4小節は無くてもいいんじゃないかとか、第6小節からの動きが第2バイオリン→ビオラ→第1バイオリンになっているのはなぜなのか、とか、このページだけでも話題が3つある。そのあたりはとりあえず脇にどけておく。
 第1ページは意外と空きが多い。この楽章を最後まで聴いて初めて、第1ページは簡潔にして要を得ており、今後の発展に十分な余力を残しているのがわかる。
 19世紀、ベートーヴェンが神格化され始めた頃から、この曲をどう演奏すべきか、さまざまな説や演奏が入り乱れたはずである。この冒頭5小節を速度や雰囲気などの点でどのように演奏すべきなのか。音楽がロマン派の時代を迎えてしまったために、歯止めが効かなかったのではないかと思う。この曲は(実はこれだけじゃなかったはずなのに)、交響曲を西洋音楽最高の形式にならしめた曲ということになり、(たぶん)無能なあまたの指揮者に、いいようにおもちゃにされてきた曲でもある。幸い現代は、録音が充実した世紀であり、また世界中がネットワークでリアルに接続された時代だ。そのおかげで、けっこうまともな演奏が多いと思う。
 どんな演奏であるにせよ、私は、すんなり6小節めにつながる演奏がいいなあと思う。なぜ? 冒頭5小節と次の6小節以降は、速度が同じだからである。あからさまな速度の切り替えはダメ。

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交響曲第6番「田園」 Op.68
 ティンパニなどは後の楽章で登場。
 チェロ(ファ)とビオラ(ド)の、5度の和音がのどかな雰囲気を出す。4小節めにフェルマータがあるので、交響曲第5番の類似を見出す。しかし演奏している内容は比較的素直なので、大抵の指揮者は悩まないだろう。せいぜい、フェルマータへ続く3小節めをリタルダンドするかどうかだ。ちなみに、ベートーヴェンは、速度の微妙なニュアンス付けは許したであろう。
 田舎に着いた時の感情は人それぞれなので、無理にベートーヴェンに合わせる必要は無い。

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交響曲第7番 Op.92
 2小節の息の長い旋律が管楽器の間で受け渡されていく。回数を重ねる少しずつ楽器が増えていく。第1、2楽章とは異なり、序奏そのものが長くなりそうな予感は、このあたりだけでもわかる。交響曲第2番と同様な、古典派のごく普通の始まり方で第2番に続く正統的なものであるが、じつはこの後からがクセモノである。序奏限定の主題が出てきたりする。第2番より何もかもがずっと進化している。結局、序奏は10ページ続く。

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交響曲第8番 Op.93
 楽団全員が一斉に主題の演奏に参加して始まる曲は、これだけだったと思う。(他にすぐ思いつくのは、弦楽四重奏曲第11番、ピアノ三重奏曲第5番であるが、どれも室内楽)
 冒頭の問いかけに対し、5小節めから少ない楽器で応えるという構造になっているから、このような始まりでも耐えられたと思う。また、全体が短く仕上がっているので、序奏を無用と思ったのかもしれない。
 序奏が無い分、もったいぶったところが無く、気楽に聴けるような印象を持つ。

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交響曲第9番 Op.125「合唱付」
 ホルンが4本。
 冒頭の、第3音が抜けた5度の和音の特徴があると言われるが、いきなりそう説明されても、よくわからないと思う。これも、音楽にどっぷり漬かった人にわかる話である。ホルンの響きは、この和音にはしっくりくる。
 第2バイオリンとチェロの刻みは6連符になっている。ある誰かが解説で以下のような意味のことを書いていた。
 「この6連符をどう演奏するかが問題だ。何も考えずに単なる6連符として、きっちりその通りに演奏していないだろうか。よく考えて演奏したとき、たとえばフルトヴェングラーのような響きになるのだ」
 というような感じだったと思う。これは詭弁だと思う。フルトヴェングラーをよほどお好きなのだろう。それより、4連符や8連符ではないところ、あるいは、細かく刻まない単なる持続音ではないというあたりをちょっと考えたほうが良いと思う。


(2010/3/20)



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