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わしは浮遊霊ではない


いわゆる成仏しない霊は悪さをするものだ。下記は、動機は不純かもしれないが、それほど悪さをしなかった稀有の例であろう。

 音楽的教育を受けていないローズマリー・ブラウンというおばちゃん、ある日、リストという紳士が来て、ピアノを弾かせてあげましょうと言う。それは、実は幽霊だったのだ。リストは、おばちゃんにいわゆる憑依をしてピアノを弾いたわけだ。それだけではなく、自作のピアノ曲を楽譜に書き取らせた。これは自動書記という。そのうちショパンやシューマンやらブラームスまでもが来て、曲を書き取らせていった…。

 実際に、レコードとして発売された。

「ローズマリーの霊感」
日本フォノグラム(今のPHILIPS=ユニバーサルミュージック)
1981年発売
収録曲

1.ベートーヴェン バガテル
2.シューベルト 樂興の時
3.ショパン 即興曲ヘ短調
4.ショパン 即興曲変ホ長調
5.リスト 水上を歩むイエス・キリスト
6.リスト グリューベライ
7.リスト 華麗な円舞曲
8.ドビュッシー ダンス・エキゾチック
9.ブラームス ワルツ
10.リスト コンソレーション
11.リスト たそがれの白鳥
12.リスト 夢の小舟
13.リスト 哀愁
14.リスト イエスの祈り
15.グリーグ 羊飼いの笛
16.シューマン あこがれ
17.ショパン バラード

大権現様のお話。

 正直言って、わしは、こんな曲は作らんぞ。この「バガテル」の出来は、はっきり言って18世紀止まりだ。今のわしなら、もっと気の効いた曲を書く。少なくとも、他の皆も、同じようなことを思っているだろう。

 まず、正しく認識しておいてほしいのは、いわゆる日本的にいうところの「成仏」した霊は、基本的には、この世に舞い戻ってきてはいけないのである。日本では、宗教上特別に許された「お盆」には戻る奴もいるらしいが、それは、いまだにこの世に未練が残っている、情けない奴だけだ。普通にしっかりした奴ならば、たとえ「お盆」でも、この世に戻ってくることはない。霊だって、ヒマではないのだ。それなりの、なすべきことがある。「お盆」は日本固有であるが、それ以外の法則は、世界でほぼ共通だ。死んだら、あの世に行ったままだ。
 詳しく言うと、正しくは、神様が「よろしい」と言ってくださった場合に限って、この世に来てもいいのである。一時的な許可の場合がすなわち、日本で「お盆」に相当する。しかし、常時、この世に滞在を許可される場合がある。そのような霊を、守護霊とか、守護天使と呼ぶ。しかし、そのような霊は、人間を守り導くという崇高な目的のために特別に来ている霊なのであって、間違っても、生きている人間に乗り移って、あれこれ勝手に行動するために来ているのではない。守護霊や守護天使は、守る対象の人間が生命の危険にさらされた場合に限って、最低限のレベルで憑依することはあるが。

 生きている人間に勝手に乗り移るというのは、生きている人間の意思、魂を無視して、霊が、自分の好きなとおりに動かしてしまうことである。これを憑依という。それは、生きている人間のことなど考えていない、つまり、霊が自分の欲望を満足させるためにしている、自分本意の行為なのである。一般的に悪霊というのは、自分本意で、しかも呪ったり、恨んだり悪さをする奴のことを言う。
 そういうことでは、このローズマリーに憑いた霊は、たしかに自分では悪さをしていないつもり、ということになるが、神様の目から見れば法律違反なのだ。生きている人間の手を通して、勝手にピアノを演奏してはいけないのである。いわゆる自動書記であるが、隠されていた神の意志の一端を世に表すというような、神の意志を具現したものではない、このような自動書記は、本来はやってはいかん。しかしまあ、レコードの説明文を読むと、わしが交響曲を伝授するなどと言ったという。本当にわしだったら、わしの音楽をわかる奴のところか、出版社にでも行くところだ。そのほうが、よっぽどこの世に残るではないか。
 考えるに、この霊はたしかに生前は音楽家だったのだろう。しかし、あまり売れなくて、この世に未練があって、浮遊霊になっているのであろうか。
 いろいろな霊が来たことになっているが、霊は化ける。また、少々の技術がある音楽家なら、他人を真似るのは簡単だ。ほら、いつか有名音楽家風のビートルズを演奏して、しこたま儲けたピアニストがいただろう? あれと同じである。ちょっと出来のいいメロディがあれば、誰か有名な作曲家風に演奏することはできるのである。素人は、それで騙される。

 しかし、そこらへんの霊には、絶対できないことがあるぞ。
 わしと即興演奏の勝負をせい!

 ナニ!? おぬし、霊など、いないと言い張るとな?
 ナルホド。しかしな、デカルトも言っておるぞ。
 「我思う。ゆえに我あり。我あり。ゆえに神あり」
 神がいらっしゃるというのは、まぎれもない事実であるぞ。



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