音楽を聴く力
音楽を聴くとき、自分の「聴く力」に疑問を持ったことがあるだろうか。私はある。でも、それだけでは残念がったりはしない。「聴く力」を過信して、その時に気に入らないと思ったCDやLPを売ってしまってから、しばらくして「惜しいことをした!」と残念がったりする。これは痛い! やぁ、無用に懐が痛いのが残念なだけ。
聴く力がブレるときはいくつか理由があると思う。
(1)体力の低下に惑わされたとき。
(2)個性的な演奏に惑わされたとき。
(3)録音の質に惑わされたとき。
(4)評論家に惑わされたとき。
(5)イデオロギーに惑わされたとき。
では順に。
(1)疲れていると面白い曲もつまらなく聴こえる。たとえばベートーヴェンの名曲には聴くために体力を要する曲が多い。疲れたときは休むに限る。
ある曲の演奏のテンポがあまりにも微妙で、体調によって速く聴こえたり遅く聴こえたりする場合があった。この体験ひとつでわかるのは、たった1度聴いただけで演奏の良し悪しを判断することは避けたいということ。演奏会場では仕方が無いが。
特に、たとえばピアノ三重奏曲「大公」。この曲を聴くには、ひときわベストなコンディションが必要だ。演奏するにも難曲と思うが、聴くほうだって難儀なのだ。4楽章を通して聴くには、よほどの名演奏か、最高の体調が必要と思う。
(2)個性的な演奏を聴いて感化されると、あっさりした演奏が物足りなくなる場合がある。たとえばリヒテルなどのピアノ演奏を聴いてから他の演奏を聴く場合などである。
そこで思ったのだが、ウィーン系のピアニスストは表現がややあっさりしているのではないだろうか。良さが控えめに聴こえるのだ。もちろんリヒテルの若い頃の「熱情」と比較しちゃ、そりゃダメだろうと思う。しかし、どうしても比較してしまう。これも録音芸術の時代だからだろう。
比較はなるべくやらないようにして聴きたい。
(3)ヘタな録音は演奏を殺しかねない。だから、ある演奏を気に入らないと思ったとき、それは演奏のせいなのか録音のせいなのか、十分注意をしておきたい。どんなに良い装置で聴いても、ダメ録音は結局ダメなのだ。年代的に仕方が無いが、モノラル録音も演奏の評価を惑わす。うまい演奏でも、モノラル録音では聴き栄えがしないことが多い。だからといってモノラル録音を避けるのももったいない。
(4)音楽評論とは仕事だ。仕事だから、その仕事を求めてきた人に気に入るようにこなすものだ。一方、音楽鑑賞は趣味だ。それでお金を儲けるわけではないから、自分の最も良いように聴くわけだ。自分が聴いて、あの評論家も聴いて、お互いに聴いた感想を比べてみるならともかく、評論家の演奏批評で聴く対象を厳しく選ぶとするなら、それは正直どうかしていると思う。
そしてもちろん、評論家とて何度も聴いた上で批評をするわけではない。新録音ならたった一度しか聴かないことも多いだろう。その場合、上記の(1)(2)(3)に該当する場合は多いかもしれない。
その演奏が良いかどうか聞き分けるのは、やはり自分なのだ。
一方、趣味っぽい感覚で評論をしている評論家もいるが、その評論家に従う理由も無い。他人の趣味で自分の趣味を置き換える義理は無いのだ。
(5)たとえば、アンチ○○派。扇動的な言葉が多用されるので、落ち着いて謙虚に対応したい。
さて、何年か前にエランド(と読める名前のピアニスト)のベートーヴェン・ピアノソナタ全集があったので買った。クリーム色のBOXセットで10枚組、2000円である。
少し聴いたらそれがつまんないのなんの。なんというか、「パサパサ」という表現がしっくりする。体調が悪かったからかもしれないと、数曲を2度ほど聴きなおし、あるいは中には良い演奏が隠れているかもしれないと思いなおしてさらに10曲くらい聴き…、それでも「パサパサ」という印象は消えない。無味乾燥とはこういう演奏のことなのかと初めてわかった。
ダメだこれ、もう聴かないなと思いながら、エランドがどんな人か写真をネットで探したら…。カビも生えないような生気の無い、まさに無味乾燥な枯れたおばさんの顔がドーンと表示されたので、ドン引きした。「ドン引き」って、ああいう精神的ショックのことを言うのな…。
無駄な時間と金を消費したが、自分の鑑賞力を評価するには持って来いの録音だった。「安かろう、悪かろう」とは、このことである。
昔、ホロヴィッツが初来日したとき、演奏会が生中継された。たしか最高額が5万円もするようなチケットで、いわゆるセレブが聴きに来た場面も映していた。こいつら、ベートーヴェンを聴くのかよ、てなことを思いながら見ていた。演奏曲は、ベートーヴェンのソナタ28番。それ以外はベートーヴェンじゃないので覚えていないのは私らしいことだ。
ベートーヴェンのソナタは、つまらなかった。「この曲、こんなにつまらなかったか? いやそんなはずはない」と自問自答しながら観ていた。貧弱なテレビのスピーカーだからか、などと思ったが、他にもたまにNHK交響楽団の演奏を観ていたので、スピーカーのせいではないはずだった。
演奏会の途中での、評論家吉田秀和氏のお話があの有名な言葉だった。
「ヒビの入った骨董品」
ああ、この人も、つまらないと思ったのだろう。
かなり後になって、当日ホロヴィッツが薬のせいでヘロヘロになっていたことを知った。演奏内容がボロボロだったのはそれが理由だったのだが、取り巻きはそんなヘロヘロの爺さんに演奏させたのだ。きっと演奏会キャンセル、つまり儲けが吹っ飛び負債が残る事態だけは避けたかったのであろう。つまり、彼ら自身は別の理由でヘロヘロだったのであろう。
セレブたちが何とのたまったかは覚えていないが、きっと「素敵だった!」と言ったような気がする。
でもまあ、私は一聴して少なくともヘタクソな演奏はわかったということだ。世間一般の平均的レベルというところか。
(2012.5.17)