コラム「ソナタ形式を知るなんて、10年早い!」
ソナタ形式の曲ばかり作っているような時代、それが古典派だ。なぜそうなったかというと、私の推測にしかすぎないが、ソナタ形式が作る側にとっても聴く側にとっても面白かったからに違いない。
そりゃそうだろう。主要な旋律は基本的に2つ持つというし、調の違いや節回しを微妙に工夫しながら2つの旋律を自由に使いまわしてよいというし、作曲する側にとっては、腕のふるいどころが多いのだ。
それと比べて他の形式は、よく、3部形式とか[A-B-A-C-A-B-A]とかで表現されるように、乱暴に言えば、ただ複数の旋律が並んでいるだけのような形式がほとんどで、正直旋律が面白くなかったらほんとにつまらないぞという形式なのだ。それでも工夫するのが作曲家ではあるけれども。
そもそもソナタ形式という名前は、ベートーヴェンを代表とする古典派の曲を研究する際に音楽学者が命名したものらしいが、それはいったい誰だったのだろう。ともかく、ソナタ形式はソナタという組曲の急速楽章(特に第1楽章)に用いられる形式だった。だから、ソナタによくある形式=ソナタ形式なのだ。
しかし、聴いて面白いかどうかが音楽の最大かつ唯一といってもいいポイントなので、ソナタ形式という言葉を覚えることなんてどうでもよいし、ましてや、構造を覚えることも必要ではない。
それでも、どうやらそこがわかっていない人がいるようで、ソナタ形式の解説を授業で始めた先生もいるらしい。音楽大学じゃないよ、中学校でだ。そりゃ生徒の皆はきょとんとするわな。普段からソナタ形式というかクラシック音楽とは縁のない生活をしているのだから。
ソナタ形式には(主題)提示部、展開部、(主題)再現部という3つの部分があるというが、そんな言葉を授業でいきなり聞かされた日には、私が最初に唖然とする。ダメです。そういう言葉を最初に出しては。音楽を感じてほしいのか学んでほしいのか、いったいどっちなんだ? そういうことをするから、クラシック音楽、ひいては西洋の芸術から疎遠になるんだ。
音楽のそういう形式の名前を並べて見せる前に、少し考えさせてあげたらいい。「さあ、とても素敵なメロディが頭に浮かんだ。あなたならどうするのか」と。
そのメロディがどんなにすばらしくても、ものの10秒で終わってしまってはつまらないだろう。最初に歌ってニンマリしても、2度3度と繰り返して歌ってみればだんだんつまらなくなるに決まっている(*)。
そうなると、その旋律を少し工夫して長くしてみたりとか、ちょっとだけ変化させて2度繰り返してみたりとか、別の旋律を作曲して組み合わせてみようとか、思うよね。
それが音楽の形式の始まりだ。もちろん、いろいろな工夫でいろいろな形式が考えられるけど、誰が聴いてもまとまりが良く聴こえるのがよく使われる形式として生き残っているわけだ。そのうちのひとつがソナタ形式でもある。古典派が形式的に均整のとれた音楽を作曲した時代といわれるのは、そのように音楽の形式を充実させてきた時代だからだと思う。
そういう、人の心の動きで音楽が発展していく様子を納得させなければ、音楽の指導なんてできっこない。音楽は、人の心に何かを与える芸術なのだから。
(*)歌詞が1番2番3番とついていれば、面白い。そう、歌詞がある音楽は、歌詞さえ面白ければ何度でも繰りかえすに足るのだ。
(2010.7.9)