弦楽五重奏曲も、ねらい目
Op.29 ハ長調
Op.137 フーガ ニ長調 単一楽章の短い曲
Op.4 変ホ長調 管楽八重奏曲Op.103の編曲(?)
Op.104 ハ短調 ピアノ三重奏曲 Op.1-3の編曲
弦楽五重奏は、通常の弦楽四重奏(2vl,vla,vc)にビオラが追加された編成だ。チェロを追加したほうが低音が豊かになって面白いんじゃないかと常々思っているが、どうやら違う考え方らしい。
弦楽四重奏をキリッと引き締まった体脂肪分の少ない身体とするなら、弦楽五重奏はややふくよかな身体つきだと言えるだろうか。
ご存知の通り常設(職業として)の四重奏団は多いが、五重奏団があるとは、とんと聞かない。だから弦楽五重奏曲を生演奏するにはどこからか仲の良いビオラさんをひとり呼んでこなくてはいけないので面倒そうだ。おまけに「聴きたい!」と思うほどの名曲が無い。モーツァルトには五重奏が比較的多いようだが、それでもモーツァルトも含めて客が呼べる五重奏曲は皆無といえる。結局、CDでしか聴けないものばかりになる。
ベートーヴェンに四曲ある弦楽五重奏曲は、各々全く別の意味でどれも聴いておくべきものだと思う。そういう観点で弦楽三重奏曲より実は打率が良いかなと思う。
Op.29のハ長調は、普通の4楽章の曲だ。5人いるという余裕もあってか豊かな響きで始まる。四重奏では得られない響きとか楽器の使い方を楽しむというのが本来の目的だろうか。私も、のんびりと弦楽器の音を聴きたいなあと思うときにはこの曲を選ぶことが多い。けっこういろいろ工夫がされていそうであるが、知識としてどこが何の工夫なのかはわかっていない。
Op.137は、五声のフーガだ。多声フーガを書きたくなったら音色を統一できる弦楽器でまとめるのが順当である。五声という声部の多さと、こんな珍しい編成であることを考えると、よほど純粋に芸術的衝動にかられて書いたのだろうなと思いやる.小節を数えながら聴くと、半端な数のために妙な感じになる。3小節とか5小節区切りの場面があるので実に不思議な感じがするなと思いながら聴いていると、すぐに終わってしまう。
Op.4 の原曲Op.103の編成は、2Ob , 2Cl , 2Fg , 2Cor
である。オーボエ2本は音色としてかなり鋭い(または硬い)。
そうそう、オーボエ2+コール・アングレによる3重奏という珍しい曲(Op.87)があるが、あれは私の感覚では硬い音になりがちで、聴くにはとても億劫になる。そのような理由もあって、この八重奏曲が弦楽五重奏曲になったものは、音色として私にはかえって聴きやすくなった。8人が5人になっているが、音が極端に少なくなったという印象は無い。
さて、この曲には上記を吹っ飛ばすほどのモノ凄い問題点(?)がある。内容が異なっているのだ。たしかにこの曲の主題はOp.103を踏襲してはいるし、おおらかな印象という意味ではあまり変わらない。しかし、主題はただ借りてきただけのもので全く別の曲を作ってみたと言うべきものである.「弦楽器だなあと思いながら書いていたら、ついつい違う曲になっちゃったテヘ」という、さすが本家作曲者だからこそ可能な芸当といえばいいのか。
Op.104の原曲は、ハイドンの批評で有名なピアノ三重奏曲だ。元がピアノ、バイオリン、チェロなので、ピアノがバイオリンとビオラ2に変換されただけではないか、と思うだろうが…思った通りだった。
こちらもピアノが置き換わったから音色が統一されるが、元のピアノの印象が強いせいか、弦楽のみでは迫力が小さくなるような気がした。Op.29と好一対になるとはちょっと言い難いのが残念かもしれない。
以上、元の曲や逸話を抜きにしても、楽しめる隙間音楽である。
余禄
あたりまえなのだが、弦楽五重奏曲を作曲したのは弦楽四重奏の練習のためでもなく、その逆でもない。
(2014.7.20)