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「第10」を作って、何が面白いのか


 今さらながらなのだが、IMSLPに、交響曲第10番(http://imslp.org/wiki/Symphony_No.10_(Beethoven,_Ludwig_van))があり、そこに今まで知らなかった何かを発見した。IMSLPでは、いつもは珍しい曲があるかどうかを見ているだけだったので、Symphony付近をしっかり見ていなかったのだ。おまけに読まずに推測して、きっとクーパー先生の書いたアレなのだろうと思った。だから今まで気付かなかった。
 しかし、それが違っていた。IMSLPには、交響曲第10番を復元したという全4楽章のpdfと、演奏があった。作ったのは、この人(http://www5.hp-ez.com/hp/hallogrossmogul/page1)

 楽譜と演奏については、ひととおり見て聴こう。実際の管弦楽団の演奏では第1楽章のみ。シンセサイザーでよいなら、全楽章を聴ける。なんだか、MIDIが途中で止まるんですけど……。

 あらかた予想できると思うが、本来ならこれは、復元(元の姿にもどして見せる)ではなくて旋律の素材を借用して構成したにすぎないので、日本語の使い方がおかしい。ベートーヴェンはもともと完成させていないからだ。IMSLPでは、しっかりと Arrange になっている。

 というわけでよくがんばったね、と言えるかもしれないが、管弦楽法、つまり楽器の使い方は本人の色が強く出てしまうし、素材もスケッチ段階だから、そのまま使ってよいかどうかもままならない。それより、ベートーヴェンのあの展開技法、独特の緊張感は全くと言ってよいほど無いし、曲の進む方向もよくわからん。特に第4楽章では素材そのままが何度も頻繁に出てくるが、もっと工夫しないといけない。エネルギー感がスッカスカである。楽譜をさらっと見ても、どこかで見た眺めか、さもなくばスッカスカの眺めが続く。

 ベートーヴェン推敲済ではなく推敲途中の素材を使うのだから仕方がないのかもしれないが、ベートーヴェンは素材そのままの姿ばかりを執拗に繰り返さない。執拗に繰り返すなら、第5や第6の各第一楽章のように、必然性を感じさせる構造にする。他に書くなら、ベートーヴェンは特に第1楽章、いやソナタ形式の主部において、数小節後あるいは数十小節後に何か起こりそうな予感を感じさせる曲(特に管弦楽で)を作る(これが狭い範囲における有機的な構造だ)が、その要素がここには無い。そして、第1楽章は diminuendo が多すぎるし、たどたどしい。

 第10番をどのような全体像にするのかは、難しかったと思う。
 もし、第9番の延長線上で作ったとすると、旋律も巨大で、細胞も大きい。細胞と呼んでみたのは、曲の流れとしてまとまったひとつの構造で、たとえば、第9番第1楽章の冒頭から第1主題が一旦終わり序奏が再起動されるあたりまでを1個の細胞と見立てて、約1分半である。第5番第1楽章では、それは30秒にも満たない。第9番は、どの楽章もこういった細胞が大きいので、聴きなれた私の耳には、たとえば第5番と第9番の各第1楽章が長さの点で2倍以上の大きさの開きがあると感じられないほどなのだ。せいぜい、1.2倍くらいに感じてしまう。
 さすがに第9番を踏襲する構造にするには過去の大作曲家でもムリなので、それでは第8番のような小さめの構造を真似て推し進めるとするなら、今回のような曲になるかもしれない。
 ただ、第1楽章の序奏が長すぎる。弦楽4重奏やピアノソナタを思い浮かべるなら長い序奏もアリかもしれないが、これは交響曲。ソナタ主部に拮抗するほどの内容(第7番第1楽章とか)にすることができないのなら、今回序奏はいっそ無いほうがよいかもしれない。
 第2楽章は、あの後期弦楽4重奏やピアノソナタにある崇高さが微塵もない。
 第3楽章は、交響曲第2,3,5,7,9番のスケルツォの要素をふんだんに盛り込み、ただそれだけで散漫。
 第4楽章は、つまんなかった。もう真面目に聴けない。

 結果できたのは、(ベートーヴェン+ブラームス)÷10以下の出来。私の好きなビゼーの交響曲にも、数倍劣る。

 いやいや、あやつの展開能力を真似てみせろなんて、そりゃ殺生なことですよと思うかもしれない。そう、あれを真似るなんて絶対無理。だから、ここで言えるのは、旋律の素材を使って1曲作ってみました、という、ただそれだけである。正直、最初から「ベートーヴェンが遺した主題による交響曲」、さもなくば「ベートーヴェンが遺した主題と当時の様式による交響曲」として自分の流儀の作品を新たに作ったほうがマシなんじゃないかと思った。

 では、そうであるとみなして聴いてみても、ダメなものはダメ。

 ベートーヴェンを筆頭とする古典派の様式を熟知し実際に名品を残した作曲家たちのの霊感と技術と工夫は本当にスゴイものなのだなぁと改めて感じさせるものであった。

 まあ、編曲者本人には見せられないか、ここは。

(2016.09.01)



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