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「第9」は果たして成功したのだろうか


 掲示板でのご質問にもあったように、この曲はその「出来」についてとやかく言われがちである。果たしてこの曲は「成功した」(さもなくば「大変よくできた」)といえるのだろうか。
 と、ここまで書いた時点でもいろいろ思い浮かんだので、書いてみたい。

 まず気付いておきたいのは、そもそもそれを評価する立場によって「成功した」の意味が変わってしまうということだろう。いったい、何を基準にすれば成功だ失敗だと評価できるのだろうか。

 たとえば、演奏会での儲けが少なかった点を考えると、「第9」は成功したとはいえない。伝記では、初演時の利益の少なさにベートーヴェンが友人たちにあたり散らしたとある。すなわち、興行という意味で失敗であった。赤字にはならなかったが、それは友人たちの寄付もあったからだろう(推測)。でも、おまんま食えないんじゃあ、仕方がないよね。
 貴族がそのおかかえオーケストラに「余は次の日曜にあれを聴きたい」なんて言った日には、演奏家は揃って頭を抱えるに違いない。「第9」はおいそれと演奏できる代物ではないのだ。普及が難しいという点でも失敗作である。
 ただ、現代のオーケストラではドル箱だったりするから面白い。何割かの演奏会では合唱の人たちが手弁当で歌ってくれるというのも大きいだろう。現代のオーケストラにとっては興行的に容易に成功可能な安全パイといえる。

 社会的にみるなら局所的に成功であったといえる。最初はロンドンでの初演(*1)を画策していた(*2)ベートーヴェンであったが、周囲の人たちはウィーンで初演するように強く働きかけたとある。ウィーンで活躍するベートーヴェンの超大型で祝祭的な音楽をロンドンで初演されてしまうのは社会的にみてウィーンの面目丸つぶれとでも思ったのだろうか。ということで、ウィーンで初演できたというのは、ロンドン初演に困惑した人たちにとっては成功と言っていいんじゃないかと思う。もし本当にロンドンで初演してしまったら……音楽の歴史的にはあまり変わらなかったかもしれないが、少なくともウィーン初演が遅れに遅れて、ウィーン市民には恥ずかしい歴史の1ページになったということは考えられる。

 音楽の歴史としても、成功であったといえる。単独の交響曲としても、全9曲のシリーズの最後を飾る記念作としても、その影響力はハンパじゃなかった。
 しかし、時代は流れているとはいえまだ古典派の時代だ。その時代の交響曲としてはアンバランスであったため、この点では「失敗」だったはずである。ただしこのアンバランスさも、聴き終わって落ち着いてから思い返してみたときにわかる話であって、曲の終了直後の拍手の中で「この形式のアンバランスさはダメだ!」と思う人がいるかどうか。いないに違いない。

 それはそうと、全4楽章というのは微妙な数だと思う。まず重要なのは、前半3楽章でベートーヴェンは、お得意の形式を全部思いっきり使い切ったことである。そういう意味では彼にとって「成功だった」と言っていいはずだ。では、全4楽章を期待する聴衆のために、最後に何を持ってくればバランス良く収まるか、どうすれば大団円でビシッと10点満点の着地ができるか。

 ここに、若い頃から曲にするという構想をあたためていたシラーの頌歌があった。
 どのように曲として成立させるのかを常に考えていたとするなら、やっとここで使えそうだと踏んだのは正しい選択である。しかしそれが難しい。前半3楽章を生かすためには、第4楽章も管弦楽主体の音楽とする。ここまでは私でもわかる。しかし第4楽章があのような構造になったのは、熟考のたまものではないかと思う。他に、あのような構造になった曲は見当たらない。
 いわゆる単独のカンタータにしてしまうと作曲は容易だったと思うが、それほど有名になることもなく、その結果人々に歌われることも少なくなる。だから、シラーの歌詞をけずってまでして歌の部分を減らした。現在のあの楽章は25分もあるのだから、実際のところ歌詞をけずらなければいけないほど狭苦しいわけではない。しかし削ったことで、合唱の部分は正味5分ほどになった。それが逆に誰にでも合唱に参加し易い性格を得た。旋律の親しみやすさもその性格を倍化させた。だから、シラーの頌歌を不滅のものとし、広く歌われるようにするためには、大成功の構成だったのである。他のページに書いたことと同じになってしまったが、もともと私の意見は、そういうことである。

 何かを評価する上で、手段と目的を取り違えてはいけない。
 「第9」があのような構成になってしまったのは、たしかに交響曲という手段では失敗だったかもしれない。しかし目的は達した。だから、これは大成功ということなのである。


*1 正確には、「ロンドンに真っ先に楽譜を送ること」(つまり初演になるわけだが)
*2 ベルリンでの初演も画策していたが、面倒なのでここの文章を直さないことにする。
 
(2012.12.29)



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