三重協奏曲
「楽しいお祭り」
ベートーヴェンは、彼の音楽を知らない人ほど「努力の人」というイメージが強くあって、彼の音楽もきっと「努力の音楽」じゃないかと思っているであろうし、交響曲第5番に代表される音楽こそ、ベートーヴェンの真骨頂ではないかと思っているのだろう。
それは音楽教育の弊害かもしれんと思うし、それでこそクラシック音楽の権威が守られるのかもしれないなんてないぞと思う。私がそんないかめしい音楽ばかり聴いているのかと言われるとそういうわけでもない。それに、楽しい音楽だってあるのだから、それを探して聴かないでいては、もったいないでわないか。たしかに威厳のある曲や、重厚さや熱気あふれる曲、内容の濃い曲は有名で多いが、当然、いろいろな音楽があるはずで実際にそうであって、でなければベートーヴェンは自在性に乏しい、チンケな人間ということになってしまうではないか。
「楽聖」などと日本では呼ばれているが、かの地で「楽聖」と呼びならわしているわけでもないし、楽聖だから高邁な音楽ばかり作っていなければならない理由もない。そもそも「楽聖」は日本人が付けたレッテルでしかない(のではなかったっけ?)。
だから、初心者は特にそういうウワサ話でベートーヴェンという人間の音楽をとらえてはいけないのだ。
「あーら奥様、あそこのルイときたら、いかめしくて重い、聴くのに疲れる音楽ばかり作っているんですってよ。大変ね、聴かされるほうも…」
そういった観念を吹き飛ばすためにも、ぜひ聴いておきたいのをあげるとすれば、まずは三重協奏曲になるだろうか。そもそも、ピアノ、バイオリン、チェロという室内楽に管弦楽がつくという編成は、つまりは人気者を3人従えてのお祭り騒ぎのようなものだ。実際にこの協奏曲は楽しい。というのは少々受け売りで、LPレコードの解説にそのような内容の文章があったからだ。発表当時、オーストリアよりフランスのほうが受けが良かったとか。それには、このような特殊な編成がフランスで流行っていたという理由もあったそうであるが、その曲種でありがちな楽しい雰囲気がベートーヴェンの充実した書法とあいまって、当時はフランスの知識階級をおおいに楽しませたに違いないと思う。
第1楽章
この曲は冒頭から「遊んでいるぞ」と言わんばかりの音のつながりを聞かせる(譜例↓)。
最初は厳かに鳴るので、「おお、これは…」と思わせるが、おどけたようにポンポンポンと弾み(6小節め)、pp
, cresc. , pp の流れがトリルを伴っていて、ちょっと滑稽である。
いきなりフォルテでギョッとさせる(譜例↓)が、すぐに静かになる。(ここでは、ホルンが一番上にある)
しかし、ここから先は、ずっと能天気な音楽が続く。たしかに重厚に響く部分はあるが、決して深刻にはならない。あくまでも長調であり、リズムもうきうき気分である。それが、第2主題を通過しても独奏楽器が出現しても延々と続く。この雰囲気は変わらないまま、結局コーダに到達する。15分以上にわたって続く陽気な音楽は、ベートーヴェンとしては大変珍しいものだ。しかし、まだ終わらない。
第2楽章
速度が遅くなるので雰囲気は一転するが、前楽章で能天気であったのが、なんとか落ち着いただけのようなものである。優しくおだやかに進んでいく。
第3楽章
しかし、最終楽章へのつなぎめでチェロが遊んでしまい、切れ目なく続くこの楽章は、第1楽章に増して面白くなる。ロンド形式なので3つの旋律が現れるが、どれもが明るく楽しい。事実上まさにお祭り状態で、おしまいまで進む。
この協奏曲のように、どの旋律をとっても面白く明るいのは、交響曲でもピアノ協奏曲でも無かった。比較的おだやかなバイオリン協奏曲でも、物悲しい旋律が含まれている。三重協奏曲は、ベートーヴェンの一番楽しい面が出たのだろうか。今となってはわからない。ピアニストにルドルフ大公を想定していることも理由になるだろう。しかし、独奏が3人いるというにぎやかさが、雰囲気にストレートに反映しているということなのだろうな。
(2006.5.12)