「第2バイオリンは右が正解」その1
ここで採り上げるのは、楽器配置だ。
・第2バイオリンを舞台右側
もう、最初から正答を書いてしまう。楽器配置は以下が正しい。なお、図では簡単に書きすぎているがホルンは左側になる。
この並びは、ジャーマン・スタイル(ドイツ式と呼べばいいかな)である。現在の主流であるアメリカン・スタイル(だったか?)、すなわち第1バイオリンも第2バイオリンも全て左側に配置するものとは決定的に違うのだ。
第1、第2バイオリンが隣同士で並んでいるということは、結果として演奏家の都合に他ならない。なぜなら第1、第2バイオリンが並んでいたほうが、お互いに演奏を聴き合うことが簡単だからなのだ。つまり練習がはかどるのである。そもそも第1、第2バイオリンは、密接な演奏内容になりがちなので、たとえば3度並行で鳴ったり一方が伴奏であったりする。
では、ビオラやチェロはどうなのと言われると、もちろん密接な関係の演奏をするわけだから、弦楽器全体でお互いに聴きながら演奏すべきなのであるが、結局バイオリンは音域的にも近親者を大切にしてしまうということなのだろう。
しかし、よく考えてくれ。楽器の並びは作曲家に従うのが第一だ。
また、昔から疑問に思っていたことに、「あのような」偏った並びでは、右側が低音、左側が高音で、音域が偏ってしまうのではないかということがある。第1バイオリンも第2バイオリンも、フルートまでもが右側。一方、コントラバスもチェロも、ファゴットもチューバもトロンボーンも右側である。ちょっと変ではないだろうか。さらには、オーディオ関係の雑誌記事で「オーケストラは右側が低音なのだから、低音の増強をする場合には、右側でやればよい」などというものがあった(記憶はあいまい)。歴史を知らない評論家ということが露呈したことになるのではないか。
実際のところ、別ページにも書いたようにベートーヴェンはいくつかの聴き所で左右にバイオリンがある場合を想定しているのだ。そして、私はここにこだわりを持つのである。
一旦、ベートーヴェンから離れよう。
・ベートーヴェンに限った話ではない
ラヴェルのボレロ。ここにも、第1、第2バイオリンは、左右に分かれていなければならないという証明をすることができる。
その個所は上の譜例。ここは後半、譜面のように、第1、第2バイオリンは各2段に分かれ、その各段はさらに2部に分かれている。つまり、第1バイオリンが4つの声部、第2バイオリンも4つの声部に分かれて演奏される。そして、その両バイオリンの4部が各々同じ旋律を演奏しているのだ。
つまり、第1バイオリンを1a,1b,1c,1d、第2バイオリンを2a,2b,2c,2dに分けたとすると、
1a=2a,1b=2b,1c=2c,1d=2d
なのである。
もし、第1、第2バイオリンが隣同士ならば、おかしなことになる。なぜなら、第1、第2の各バイオリンを各々2部づつに分けておけば計4つの声部になるのだ。両方のバイオリンを4つに分ける必要が無い!
そこで、ジャーマン・スタイルを考える。そう、オーケストラの左右が、各々4つの声部で歌うのである。左右に分かれたバイオリンであって初めて、各バイオリンが4つの声部に分かれている理由がわかるのだ。あの「ボレロ」のすばらしい旋律は、オーケストラの左端から右端まで、全体から聞こえるはずなのだ。客席中央に座ったあなたがいるとして、あの名旋律が舞台全体から響くさまを想像してみてほしい。およそベートーヴェンから現代にいたるまで、このような部分はたくさんあるので探してほしい。楽器の使い方しか考えていないようなラヴェルのボレロですらこうなのだ。これから考えてみるとほとんどの音楽の演奏は作曲家を無視したものなのである。ベートーヴェン以降の、思いつく限りのほとんどの名曲が、バイオリンが左側に偏っていることにより何らかの演奏効果を消されてしまっていることだろう。
・楽器の古さや楽譜の版の問題よりも重要だろう
極論を言ってしまえば、たとえ古楽器演奏とか原典版演奏だなどと誇ってみたところで、第2バイオリンが右側に無い限りはベートーヴェン存命当時の音楽を再現したなどとは言ってはいけない。まさに片手落ち(バイオリンの右手落ち)なのである。
ベームやカラヤンがどんなに頑張ったって、アバドやラトルがベーレンライター版を使ったところで、ベートーヴェンが作曲した当時の楽器配置をしていないようでは、いけないのである(もっとも、アバドの2000年発売版などは、聴いていないが)。
こういう、アメリカン・スタイルを普及させたのは指揮者たちなのか、それとも管弦楽団なのだろうか? 最初にこのスタイルにしたのはストコフスキーだそうだ。また、これを広めたのはクーゼヴィツキーだとか。本当かな。ともかく、そんな指揮者や楽団の都合で、こういう面白い効果を台無しにされたくないのが、ホンネなのである。
そういうことでベートーヴェンに戻ると、このジャーマン・スタイルではバイオリンの両翼展開(対向配置)が最も目立った特徴だ。しかし、それ以外にもいくつか作曲上で重要なポイントがあるはずなので、このコーナーでは、ベートーヴェンの「ステレオフォニック(立体音響)」な作曲上の工夫について整理してみたいのである。
ということで、このバイオリンの両翼配置をベートーヴェンでほぼ常に実践しているのは、モントゥー、クレンペラー、クーベリックということらしい。クーベリックが第2バイオリンを右側に置いたドボルザークの「新世界」交響曲なんて、とても新鮮に聴こえる。こんなことだけで新鮮に聴こえては、いけないんですがね。新しい録音では、マッケラス、飯守泰次郎の指揮のものがある。マッケラスは古楽器を使っていることもあり、注意しておきたい。
意識しないにもかかわらず、その楽器配置が音響に効果をおよぼす例として、フガートの使用が考えられる。たとえば交響曲では、「英雄」の第4楽章や第7交響曲の第2楽章がそうだ。フガートの各声部は、おそらく音色が統一されているほうがなんとなく都合がいいという理由で主に弦楽が担う。その結果、音域も音色も当然等しい第1、第2バイオリンが織物のようにまとわりつくように鳴るわけであるが、その2パートをどう聞き分けるかといえば、それは楽器の配置でしかないのである。位置が違えば誰でも簡単に聞き分けができる。せっかくのフガートなのであるから、聞き分けで面白さがわかるように演奏してほしいものだ。バロック音楽などではフーガが多いが、現在はどのような楽器の配置で演奏しているのだろう。
第1、第2バイオリンの配置を意識的に活用した例は、「田園」第1楽章の展開部や第7番最終楽章のコーダである。このどちらも別ページにすでに記してあるが、後ほど再度譜例を出しておきたい。
この2例くらいならば、かなり目立つので誰でも気付くに違いない。この部分は、左右で音のキャッチボールをするから面白いのである。そのキャッチボールがわからないようでは面白さ半減だ。せっかくの面白さが半減してしまう演奏が多いのは、いったいどういうことなのだろうか。
こういった面白さは、ジャーマン・スタイルをとる楽団が少ないためにスコアを読む人にしかわからなくなっている。そこが私には残念なのである。ベートーヴェンの管弦楽法は、まさに立体音響までも考慮した先進的なすばらしいものなのである。
批判に近くなってしまうが、指揮者の皆さんはこういったことくらい気付いていいはずなのに、バイオリンの両翼展開を実施しないとは、いったいどうしたことなのだろう。マエストロ・カラヤンは何をしていたのだろう。衣装の見栄えも大事でしょうが、知的な配慮も見せてくれよ、って、もう遅いか。しかし、ものの本ではフルトヴェングラーがこの配置を実践していたという。なるほどさすがというべきだろう。でもモノラル録音では、どうしようもない。
・効果がよくわかる座席は少ない
たしかに、左右両翼に展開されたバイオリンが出す面白さをはっきり分かってもらうためには、聴衆は、あまり広くない演奏会場の、しかも中央ライン近くの限られた部分に座っている必要がある。それは本当に少数の人にしか恩恵にあずかれない。また、曲を練習し演奏する上では、バイオリンが2つに分かれていることは面倒臭い話なのであろう。ジャーマン・スタイルをちょっとした工夫にすぎないと思われるならば、労多くして益少なしということかもしれない。昔、会場が小さかった場合には、楽器配置の効果があった席の比率も高かったろうなと思う。
しかし、たとえば演奏を特徴付けるために「原典版」を標榜したところで、効率は似たようなものである。ベートーヴェンの交響曲において、通常流布版と原典版ではそんなに曲の印象が変わるわけではないのだ。いや、原典版というものは、セールス面ではジャーマン・スタイルよりもずっと効果的なのだから、表に出したいという気持ちはわかる。
・貴族の館なら、効果倍増か
あといくつか思うことは、作曲家がこのような楽器配置をしっかりと考慮した曲を作ることは、その作曲家が積極的に指揮台に上がる人だったからこだわった、というのも理由のひとつだろう。また、18世紀頃、貴族の館でおかかえ楽団が演奏するようなときには、聴衆でも一番偉い人は一番近くて良い席にすわっているはずだ。また、劇場ではないので楽団と聴衆がほとんど同じ高さの位置関係だったはずだ。結局、こういったいろいろな制約が、逆にステレオ音響効果を非常にはっきりと聴かせてくれ、その結果、聴衆は大いに面白がってがってくれたことに違いない。そうなれば、ご褒美も多くいただける可能性が高いに違いない。
・現代は自分の家で聴ける
貴族のように遊んで暮らすわけではないが、室内で交響曲が聴ける時代になったわけだから、曲のステレオ的効果を楽しめるような録音がありがたい。ヘッドフォンなら、なおさらだろう。時代的にも、ジャーマン・スタイルを見直して良い時期になったと思う。
ということで、ここまでは弦楽器の配置を問題にしてきたが、なんと配置図をよく見れば、管楽器や打楽器までも位置が違うのである。ティンパニは右奥にあり、ホルンは左側になる。
それで、ここではジャーマン・スタイルの観点から、スコアを検証していきたいのである。結果として、第2バイオリンが右側にあることで生まれる効果に限定されるかもしれない。これは仕方が無い。発見したら随時追加していきたい。
ここでちょっと考え方を整理しておきたい。
これから曲の各部分を楽器配置と関係づけて考えるわけであるが、その部分を、
A型 楽器配置を考慮したことが明確であると考えられる部分
B型 楽器配置を考慮したかどうかは不明確であると考えられるが、結果として面白い効果があった部分
に分けよう。
なんでもかんでも、得体のしれないものは全部プラズマのせいにしたり、全部UFOのせいにしたりする、間抜けな態度はとらないようにしたいのである(笑)。世の中、不思議なものといえば、プラズマもあればUFOもあるし、念力もあれば神様や守護霊様の力もある。幽霊もあれば、悪魔も妖精もいるのである。
しかし、理由が何であるにせよ、A型もB型も楽器の配置がもたらすことによる聴き所であるということは事実なのだ。面白いところはしっかり楽しもうという姿勢が大切だね、うん。
第2バイオリンを右側で聴いてこそ、私たちは初めてベートーヴェンの交響曲の真の姿、すなわち一般流布版の本来の姿を見ることができるのだ。原典版? まあ、いいでしょう、聴きなさい。しかし、細部の音の違いやイントネーションの違いだけで、真の姿を知ったと思っていただいては困るのである。
第1番
調べてみたところ、楽器配置を考慮したと思われるところは一個所も無い。
ただ、第2楽章の冒頭の主題は第2バイオリンで始まる。
第1バイオリンはより高い音域にしたかったのか、しばらく後になって出てくる。結果としてこうなったとみるべきか。したがって「B型」。舞台の右側から聞こえるのは面白いので、注意したいところである。
それ以外では、かろうじて偶然に効果がありそうな部分はあるが、それほど印象深くないためこれ以上考えなくていいだろう。
第2番
第2バイオリンが右側にいて効果がある部分は、ほとんど無い。したがって、第2バイオリンが左側になっても何も問題は起きない。
第3番
第1楽章、第1主題提示の後半(b.35)
私の「英雄」初体験はトスカニーニだ。小遣いの少ない(今でも少ないが)中学生だった私にとって、当時2000円を超えるステレオLPレコードは高根(高値?)の花だったので、トスカニーニのLP(それでも高い、1500円)を買ったのである。ただ、その頃にはモノラルが何であるのか知らなかったのだ。なにせ初めて買ったLPレコードが、ワルターのモノラル盤とかカラヤンの電気的ステレオ盤などで、本当のステレオ盤なんて、高価すぎて買えなかったので仕方が無いのである。
そこで「英雄」を聴くと、少々進んだところ(b.35)でこのようになる。
第1、第2バイオリンが、クロスしているのだ。
当然モノラル録音の場合は、さも第1バイオリンが下がって上がるように聞こえる。しかし実際はご覧のようになっている。まさにこの使い方、これこそ第2バイオリンが右側にあって初めてわかるものなのである。
私は、トスカニーニで「英雄」に親しんできた。また、その後ステレオ録音盤で聴いてもバイオリンというものは左側から聞こえてくるものであった。結局「エロイカ」のこの部分は、かなり長い間モノラルのままで聴いていたようなものだ。なんとももったいないではないか。
ただ、これをA型とするかどうかであるが、音の進み具合を考えると、一方は上昇、もう一方は下降ということで、ただ単にそれだけのことかもしれない。私は「B型」ではないかと判断しよう。
第1楽章、展開部(b.186〜)
ここでは、後に出てくる「田園」の有名な箇所のように、第1、第2バイオリンの間で旋律の交換がおこなわれる。かたや激しい動き、かたやシンコペーションの持続音である。
この曲では、1オクターブ並行か、3度並行で演奏されることが多いバイオリンであるが、それはともかくとして交互に演奏されるこの部分は、どう判断しようか。激しい動きを、ずっと第1バイオリンが演奏したままでも構わないではないか。
では、ベートーヴェンの意図は?
私は、ここで初めて「A型」が現れたと断言したい。さすがベートーヴェン、さすが「英雄」である。実際のところ、本人の考えはどうなのだろう。
第4楽章
第165小節からしばらくを見たい。ここでは、第2バイオリンが第1よりも高い音を演奏している。
私は、ぜひ第2を右側に置いて聴きたい。限りなく「A型」に近い「B型」である(あいまいになってきた)。
第302小節。ここではやはり第1、第2で最も高い音の入れ替えがあるので、うっかり聴いていたり第2バイオリンが左にあると、進行が、ラ(フラット)→シ(フラット)のように聞こえてしまう箇所である。例の■のところ。
とはいうものの、ここはフガートの箇所なので、音の高さの入れ替えは、ある程度予想できる。よって「B型」といえるだろう。ただ、聴いた印象が違ってしまうので、やはり2つのバイオリンの違いがわかる配置にして聴きたいものである。
「英雄」については、だいたい以上ではあるが、じつはこの曲、第1、第2バイオリンがオクターブで並行して動いている部分が非常に多い。この場合、第2バイオリンが右側にあると非常に面白いと思うのであるが、どうだろうか。
第4番
第2楽章 再現部の前
再現部の前で、全管弦楽が下降音型で大きく盛り上がる部分があるが、それに続いて第1、2バイオリンによるからみがある。左右で交互に鳴るので非常に面白い。「A型」
第4楽章 クラリネットの前
上はクラリネットを導くバイオリンの掛け合いである。じつはこの前に、ファゴットを導く部分があり、そこはチェロと第1バイオリンの掛け合いになっている。よって「A型」に近い「B型」である。
他にも言及したい個所があるが、省略したい。
第5番
第1楽章 冒頭
第6小節から。
ここでは、第2バイオリン、ビオラ、第1バイオリンの順で音が出る。どうして、このような順番なのだろうか。音が少しづつ上がっていくのなら、ビオラ、第2、第1バイオリンの順序で良いのではないだろうか。あるいは旋律線そのものを第1バイオリンで全部やってしまうというようなことにはならないのだろうか。なぜ第2バイオリンの次がビオラなのだろうか。
この箇所の楽器の使用順序は、私には子供の頃からの疑問だったのであるが、ある時、ある著作でこの説明を読んで、はじめて納得したのである。それは、オーケストラの配置がジャーマン・スタイルならば、音は右から左に流れるということなのである。これで疑問は氷解だ。交響曲第5番では、第2バイオリンが右側に存在しなければならないのだ。「A型」。
この曲では、全楽章の管弦楽法が記録的な集中度で完成されているために、どうも楽器の配置まで考えが及ぶ隙は、あまり見受けられないようである。
第6番「田園」
第1楽章 展開部
ここは有名である。
完全に「A型」。この楽章、いやこの曲全体における際立った特徴であり、長大な繰り返しだ。この場合、第2バイオリンが右側に存在しなければ、この繰り返しの手法は絶対に解決しない。
この繰り返しの前半は、かなり昔に読んだ指揮者バーンスタインの解説によると、
第1、第2バイオリンによる旋律の受け渡しでは
(4小節+4小節)×3回
調性の変化では、
(4小節×3回)+(4小節×3回):前半は 変ロ長調、後半はニ長調
という、二重の変化を持たせてあり、さらに、各4回では管楽器に若干の変化が加えられている。さらに、しばらくすると別の調で再度繰り返しがある。
もう30年ほど前に読んだので、詳しいことはすっかり忘れてしまった。この解説で、バーンスタインは第2バイオリンが右側に存在すべきだということを言及していただろうか。していなかったはずである。なぜなら、晩年に録音したウィーン・フィルとの演奏では、見事に第2バイオリンは左側に存在するのだ。結局、あれほどの経験を積んだ指揮者でも、楽器の並びには無頓着ということなのだろうか。つくづく残念なことだ。
私が以前に関係していたアマチュア・オーケストラでは、かつて「田園」を演奏したことがある。その時には私の進言を採用していただき、第2バイオリンを舞台右側に配置するという試みをした。
結果は?
舞台を見てその違いに気付いた人には面白がっていただいたが、それ以外の人には、違いは何もわかってもらえなかったのである。あらかじめその配置の事実と理由を教えてあげなければ、えてしてそういうものだ。原典版の演奏とて、同じことであろう。また、現在のように広い演奏会場では、オーケストラが左右いっぱいに広がったからといって、その左右のステレオ感を十分に得るためには、中央あたりの狭い範囲に席を確保するしかない。それも、気付かない理由であろう。
また、演奏メンバーの意見では、第2バイオリンが舞台右側では、練習も演奏もやりにくい、ということだった。だから、その後交響曲第7番を演奏したときには、第2バイオリンは第1バイオリンの隣だったのである。
労多くして益少なし。ということで、世界のオーケストラの並びがジャーマン・スタイルからアメリカン・スタイルに急激に移行したのは、きっとそんな理由が本当なのであろう。
今となっては、ジャーマン・スタイルの配置は、ウィーン・フィルによるニュー・イヤー・コンサートなどでしか確認できないのじゃないか。たしかに、コントラバスは左側に配置させていたはずである。ここ数年は指揮者が毎回替わるようであるが、今後、楽器配置はどうなっていくのだろうか。
第2楽章
第2バイオリンが右側にあることで、第2楽章の特長であるチェロのソロ2名は指揮者正面に配置されることになる。
他にも、第5楽章などで第2バイオリンが右側にあると効果として面白い個所が多数発見できる。
第7番
第1楽章 序奏
左右で「序奏主題」と「駆け上がり」を交互に演奏する個所である。
これも、第2が右にあってはじめて面白いと感じられるところだ。「A型」。
第2楽章 フガート
楽器間で受け渡しが発生する。
やはり、第1、第2バイオリンは明確に分業がおこなわれ、受け渡しが発生している。「B型」。フガートなので、必然的にこうなってしまうであろう。
第4楽章 コーダ
あの、急激に盛り上っていくところだ。「A型」。
上のように、第1、第2バイオリンが交互にあの主題断片を演奏している。ここは左右に分かれなければ、少しも面白くないところである。この交響曲の特長でもあるので、ぜひ第2バイオリンは右側で体験したい。
第8番
コンパクトに、さりげなく作られていることもあってか、今回の問題に関する箇所は無い。しかし、第4楽章のコーダなど、やはり第2が右にあると面白い個所は多い。また、この曲では第1、第2バイオリンが並行して演奏するところが比較的多いため、楽器配置によっては面白い効果が出そうである。
第9番
別ページにて述べたい。
(2000.12)