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2006年01月08日

時代による変化(#7:大学)

日本の大学ほど変化したものはない。 戦前はヨーロッパを見習う形で、大学は旧帝大を中心にあとは専科大学と若干の私学のみ。 それが、アメリカに負けてから、すっかりアメリカナイズされた。

駅弁大学といわれたように各県に国立大学が誕生した。 しかし、これは工専などを昇格させたから、看板の架け替えだけ。 食うことに事欠いた時に新たに建築されるわけはない。 私大も続々誕生した。

長田(神戸市)にあった神大の土木の建物はひどかった。 中学時代、西代の日興無線という電機部品屋へよく通った時に付近を通ったので、木造の壊れそうな建物をよく覚えている。 

もっとも、広大へ来たとき、同じような木造の建物が千田町(広島市)にあるのにも驚いた。 原爆の「爆風で倒れたのを起こして使用している」ということだった。 この建物は1982年の工学部移転時まで存在した。

進学率50%を超えるのはアメリカと日本だけ。 世界の中では異常ともいえるが、日本がアメリカの1つの州だと思えば、不思議ではない。 よくいわれるように私学がそれを支えているし、おかげで職にありついている。

高卒の数と大学入学数はもうほぼ一致しているから、高校の延長気分で大学へ来るのが殆んどである。 しかし、大学は細分化されているので、とまどってしまう学生も多い。 形式だけアメリカに習うから、問題が起こる。 アメリカのように始めの2年はカレッジで基礎教育とし、3年目から大学を選択させたらいい、と思う。 カレッジはどこでもいいし、専門の選択はカレッジ在学中に考えればいい。

戦前の日本では旧制高校がこれを担っていた。 今の日本では、大学が旧制高校、大学院が大学、と思ってもいい。 だけど、優秀な学生にとっては、大学4年は長すぎる。 3年、人によっては2年でもいい。

つまり、「飛び級」を20%ぐらいの学生に適用すれば、大学院生の数が爆発的に増える。 これで、すべてがうまくいく、と思うのだが。



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前大学時代、「どうしたらDrコース(博士課程後期)の学生が増やせるか」という議題で、意見を求められた。 私の持論はつぎのとおり。

「学部3年、修士1年、博士2年」とすればいい。 博士取得まで6年、これは今の修士終了までと同じ。 アメリカでも優秀な人はこの程度ですませている。 工科系では6割以上は修士へ行く。 もっと時間のかかる人は今までどおりやってもいいが、横並びの必要はない。 

同じような考えは阪大(情報)のM教授も持ってられた。 2000年ごろの情報関係の会合での話。 今やM先生は阪大総長(学長)。 じつは、情報関係では同意が得られても、分野が変わるとそうもいかない。 だから、情報だけでもやらせばいいのに、「抜け駆け」のように思うらしい。

こういう「規制緩和」はもっと積極的にやったほうがいいのだが、「足を引っ張りたい輩」の多いのも事実。

投稿者 tadashi : 2006年01月08日 03:27

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