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2011年09月07日

IBM 〜昔話ですが〜

IBMについては「いろんなこと」を思い出す。 1980年に世界一周できたのはIBMのおかげ。 通信学会のある研究会の幹事をIBMのAさん(当時)と一緒にやっていた。 Aさんを通じて、IBMからアメリカとヨーロッパ(スイス)の国際会議出席の旅費を出してもらうことが出来た。 ぐるっと北半球を一回りしたノーマルチケットは100万円ぐらいした。 ノーマルなのでどこでも降りることができ、ヨーロッパ内ではパリ、ジュネーブ、ニース、ロンドン、フランクフルト、・・・のように日本まで少し寄り道も出来た。 ただ、ビジネスクラスの出来るまえで、すべてエコノミークラス。 今なら(ディスカウント)ビジネスに乗れるだろう。

IBMについて書き始めると沢山ありすぎるので、1つだけ。 OS360という歴史的なシステムのリーダーだったブルックス・ジュニア(Brooks, Jr.)さん。 すでにIBMをやめてノースカロライナ大教授になっておられたが、来広されて広大で講演された。 要旨は「優れたプログラミング言語は1人かせいぜい数人の作品である」というものだった。 グループでスペックを決めたAlgolはダメだったが、WirthさんのPascalは良い、そしてC言語も素晴らしい、・・・等々。 当然、「OS360も素晴らしい」と云いたかったのだろう。 この要旨は現在でもあてはまる。 日本発のRuby(まつもとゆきひろ)も素晴らしい。

面倒を見られたN先生宅で夕食もご一緒できた。 さぁ食べましょう、という段になって、お祈りを始めた。 食べようと伸ばした手を「あわてて引っ込めた」ことを思い出す。

(Brooks, Jr. ウイキペディアより)

フレデリック・フィリップス・ブルックス・ジュニア(Frederick Phillips Brooks, Jr. 、1931年4月19日 - )は、アメリカ合衆国のソフトウェア技術者で、コンピュータ科学者である。IBM のメインフレームである System/360 およびそのオペレーティングシステム OS/360 の開発者として有名である。バーチャルリアリティ技術に大きく貢献した人物でもある。

System/360 と OS/360 のプロジェクトを率いた経験の後、有名な『人月の神話』 ("The Mythical Man-Month") を書いた。彼は自身のOS/360の経験から、ブルックスの法則、セカンドシステム症候群 (second-system effect, second-system syndrome) 、など多くの教訓を書き記している。

ブルックスは、アメリカ合衆国ノースカロライナ州ダーラムに生まれ、デューク大学を1953年に卒業、1956年に応用数学(コンピュータ科学)でハーバード大学から博士号を授与された。ハワード・エイケンが彼の指導教官であった。

ブルックスは、1956年にIBMに入社し、ニューヨークのポキプシーおよびヨークタウンでの勤務を行った。ロスアラモス国立研究所向けの一千万ドルもする科学計算用スーパーコンピュータであるStretchコンピュータや、HARVESTコンピュータの開発に従事した。その後、System/360 およびそのオペレーティングシステム OS/360 の開発グループのマネージャとなった。

1975年には、その著書 "The Mythical Man-Month" (日本語版での書名は『人月の神話』)[1]において、ソフトウェア工学におけるプロジェクト管理の経験則であるブルックスの法則を提唱した。1986年に発表した論文で No Silver Bullet(銀の弾丸など無い)というフレーズを用いて、全て問題に通用する万能な解決策などは存在しないと論じたことから、理想論的なソフトウェア設計について否定的な意味で Silver Bullet (銀の弾丸)という言葉が用いられるきっかけともなった。 1999年に、情報工学におけるノーベル賞とも言われているチューリング賞を受賞した。

投稿者 tadashi : 2011年09月07日 06:41

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