« 亜麻色の髪の乙女 〜CMで流れる曲〜 | メイン | 官製は失敗する 〜地震予知〜 »

2011年09月09日

楽曲、ソフトウェア、・・・・・

楽曲には作曲者の個人名がつく。 これは絵画もそうだし、芸術作品なら、アイデンティティを示すために製作者の名前を明示する必要がある。 そして、評価がつけられ「いいもの」だけが残る。 「いいもの」は個人名がついて、「ゴッホのひまわり」のように呼ばれる。

ソフトウェアも、ブルックスさんの云うように、個人名の残るものが「いいもの」のハズだった。 これを壊していったのは「マイクロソフト」。 会社組織の作品になってからは、個人名が消えてしまった。 Javaのように初期のSun Micro時代の名前があっても、今や名前が語られなくなったものも多い。 逆に云えば、進化したソフトは創始者の名前だけになるようである。 Linuxもそうで、Ubuntuのようにグループ名になってしまうのも、致し方ない。

最近は、政治の世界も同じようになってしまった。 AKBの選挙みたいに選ばれたのが首相になるが、責任はグループである「民主党」にある。 しかし、これは進化の結果ではない。 試行錯誤の「泥沼」に陥ってるだけ。 泥沼から出てきた人が「ドジョウです」と云ってるが、必要なのはドジョウではなく、実行力のあるリーダーなのである。


投稿者 tadashi : 2011年09月09日 06:32

コメント

コメントしてください




保存しますか?