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2012年03月04日

公開をどこまで許容するか 〜世代差や個人差〜

今朝の新聞(毎日)で久しぶりに坂村健さんの論調を読んだ。 Googleの新方針(データ統合)には、反感もあるが大した問題でもないし、Facebookに対抗するためには当然の策じゃないか、とGoogle擁護的な見解を示していた。 当たり前であるが、プライバシー公開には世代や個人で差がある。 プライバシーを知られることの「わずらわしさ」に対する許容度に違いがあるためである。 「わずらわしさ」という感覚的なものだけでなく、不利益をこうむることもある。 カード被害などには、補償交渉するためのエネルギーも必要になる。 年をとると、そういう「わずらわしさ」を避けたくなるのである。

一方、若者の中にはもっと積極的にプライバシーを公開してもいい、という連中も多い。 多少の攻撃には十分対抗するエネルギーも持ち合わせている。。 ネット時代では、「わずらわしい」なんて云ってると、「時代に遅れてしまう」という感覚である。 だから、YouTubeや2 Chanel が花盛りなのである。 エネルギーを発散させるのが若者の特徴だから、それは当然だろう。 FacebookもGoogleも若い連中の運営だから、老人のことなど眼中にない。

こういう世の中で、「わずらわしさ」から逃れて生きていくには、どうしたらいいか。 答は簡単で、できるだけ関わらないことである。 Facebookには登録する気はないし、カードは(偽造された経験から)ネットでは使わないで、支払いは代引きで済ますなど、「危うきに近寄らず」を心がけている。

幸いなことに、Teblogは検索エンジンに引っかからないので、安心している。

投稿者 tadashi : 2012年03月04日 06:58

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