発責 大館市東台6-5-83 鷲谷豊  

  北羽歴史研究会 会報  NO.180   2006(H18).4月3日

 

4月通例学習会を開催します、ご参加ください。

4月20日(木)・通例学習会開催13:10〜15:30 於・大館市中央公民館

           記

 実地研修会に向けてのおさらいになります。

テーマ (仮題)

 1、征夷大将軍坂上田村麻呂と蝦夷アテルイの戦い

        前九年の戦い・奥六郡の司安倍氏 ……… 担当 柴田次郎氏

2、大館と岩谷堂の因縁、

相馬大作事件の鍛冶師たち … … …  担当 鷲谷豊

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■ 古文書学習会・3月14日終了  

参加できなかった方々のため、テキストの冒頭のさわりをお伝えします。

1 「親先祖申置事 一此度由緒證文御状成共所持仕者指上可申由御触被 遊付乍恐

申上候私先祖常陸御普代者志賀右衛門与申者之弟志賀大炊助与申候岩城江貞隆公

様御出被遊之節御腰添被遣候由  貞隆公様岩城被遊御座節二 ……志賀老之助」

2 「佐竹六郎組下大館給人 小林伊織  一宇都宮下野守国綱より常陸介義重公ヱ書一通……」 

 「藤原氏小貫一家小林系図 

 頼胤--- 小林和泉長倉住ス亍時奥州窪田合戦時天文年中七月九日致討死由申伝候 …」

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■ 萌えたつ春、5月の実地研修会は南岩手・奥州市を主に、金ケ崎町も

 実施日、5月16日(火)、 

     平成18年2月20日、水沢市・江刺市・胆沢町・前沢町・衣川村が合併して奥州市(人口

13万人・岩手県第二位)が誕生しました。水沢市役所が奥州市役所になっている。

水沢は歴史上の人物三傑が名高い。高野長英(1804-1850)江戸後期の蘭学者、長崎で蘭学・医学を学び西

洋科学体系にふれ認識を高め、ドクトルの称号を与えられる。江戸に医院を開き、診療講義訳述に勤める。西洋学

術による政策提起が幕府の忌避するところとなり蛮社の獄で囚われる。逃亡し変名で活動するがついに幕吏に襲わ

れて自殺した。後藤新平(1857-1929)明治大正期の政治家、24歳の若さで、愛知県医学校長兼病院長を務め、内

務省衛生局技師に。台湾や満州での活躍、寺内内閣の内相、外相。東京市長に就任、関東大震災後の東京復興計画の

立案などに名を残す。斉藤実(1858-1936)後藤新平とは竹馬の友。当時の江刺県庁の給仕も勤める。

海兵、海軍省勤務から、海軍次官、大臣、総理大臣となる。2.26事件の襲撃で死去。合掌。

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      実地研修会 5月16日  ご参加ください

テーマ・古代東北の戦いの地と伊達藩北部の要衝を探る

出発:7時30分・大館中公発、扇田・大滝経由、十和田IC 東北自動車道― 北上金ケ崎IC… 

金ケ崎町(鳥海柵・金ケ崎城跡・武家屋敷跡)−北上川・県道108— 旧江刺市(蔵町・岩谷堂城跡・豊田舘跡)…

 国道458− 出羽神社−新幹線水沢江刺駅(昼食)… 国道397---北上川(北上川夜曲歌碑・古代戦場跡)--

水沢市街(水沢公園・大安寺・プラザアテルイ・武家住宅資料館・奥州市役所)… 県道270

胆沢城跡(埋蔵文化財センター) 15:30… 国道4号---

水沢IC・東北自動車道 − 十和田IC – 大滝・扇田・大館中公、帰着予定18:30—18:50 

参加者募集・事務局金沢まで42-3929、参加費\5,000(但し昼食自弁)、一般参加歓迎、

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研修地点描

      金ケ崎城跡 古代安倍氏白糸柵とも、戦国時代城主小野寺氏、伊達藩当初桑折氏留守氏、正保2年から大町定頼

以後まで九代240年明治維新まで続く。南部領と接する伊達藩の重要拠点の一つだった。付近に武家屋敷11棟と街

路が残り「重要伝統的建造物群保存地区」の国指定がされている。

■岩谷堂城址(展望台) 中世は葛西氏系の江刺氏の居城、秀吉の奥州仕置で葛西氏滅亡、江刺

氏は南部氏を頼る。伊達藩万治2年から岩城宗規が城主、以来明治維新まで続く。発掘調査で平安土器など発見し、

藤原清衡館説により、藤原経清・清衡の顕彰堂が本丸跡に建てられている。

豊田舘は、従来からの藤原清衡の館跡とされている場所。

水沢城址は市街地の中に消えている。市役所前に三の丸名残の姥杉と黒門。

      大安寺 水沢城留守氏の菩提所。留守氏は文治6年源頼朝によって奥州留守職に任命され多賀城に入城した鎌倉御

家人伊沢家景の後裔にあたる名門。戦国以後伊達氏に服し、水沢入城は寛永6年、以来明治廃藩まで1万5千石の城下

だった。 大安寺には高野長英の墓もある。

      水沢公園は明治11年蓑虫山人の設計による。同公園内には戊辰戦死者碑ほか諸碑、後藤・斉藤両銅像等、隣接して駒

形神社、高野長英記念館、文化会館などあり。水沢公園にある水沢留守氏3代宗景の妻松平悦子の墓、悦子は黒田

52万石の娘、格式違いのため松平氏の養女となり障害をこえて恋する宗景に嫁ぐ、しかし24才の若さ

で死す悲恋の物語

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