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                           発責 大館市東台6-5-83 鷲谷豊   

  北羽歴史研究会 会報  NO.185  2006(H18)年11月1日

 

   11月・研究発表会を開催します

第47回研究発表会を下記により開催しますので、参加ください。

        記

・日時  11月19日(日)、午前10時30分から午後3時30分まで

  ・場所  大館市中央公民館

 

  ・発表テーマ・発表者

   1、浅利史余聞・浅利館の事など  …… …… … 鷲谷 豊

2、石井氏由緒(続き・四家) … …… …… … 武田政二郎

3、合川・川井の延慶の碑について ---

        --- 板碑に関する一考察  --- …… … 千葉 克一

                                   以上

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■ 1018古文書学習会終了当日テキストの一部「佐竹六郎覚」を紹介。

 「山據人斎藤和泉大肝煎斉藤喜兵衛先頃由緒書差出候通逐詮議之處に右両人共に

斉藤和泉と申者之子孫にて先祖の候然由緒同相見得候然共和泉喜兵衛一家之様にハ

不書出ニ付其様子委細以書不可申出事  喜兵衛先年御知行拝領之由右之御黒印此

度不差出ニ付可差出事  右之通早々可披仰度候 以上 元禄十四年四月十三日」

註・この佐竹六郎とは大館城代五代目佐竹義方(東家義秀五子)称・六郎の事です。

 斉藤氏系図については『秋田の中世浅利氏』の「第三部浅利氏の流脈・浅利―斉藤―館氏」258p

〜を参照してください。・尚学習会内容は北鹿新聞10/20に掲載して頂いていました。謝々。

 催事  ■ 秋田県公文書館・歴史講座「奥羽列藩同盟と秋田藩」 111013:3015:00

情報  古文書解読専修講座「蝦夷地警衛」「砲術訓練」 111710:3014:00 

■ 秋田県立博物館 名誉館長(新野直吉)講座、

「菅江真澄からの連想〜みかべのよろい」11月10日と11月24日、時間14:00〜15:30 

■ 千住と奥州を結ぶ 街道・宿場町フオーラム 11月26日(日)13:00—17:00

場所・東京都足立区千寿小学校多目的ホール

・基調報告…安藤義雄足立史談会会長・特別報告…赤坂憲雄福島県立・博物館長

     地域報告…三浦忠司八戸歴史研究会会長・平田輝明小山市立博物館学芸員。

       主催・安藤昌益と千住宿の関係を調べる会・足立史談会

:安藤昌益の『自然真営道』は江戸北方の街道起点の足立区千住の橋本家から発見された。

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 (小論)    江戸時代人口の推移             金沢長一郎

日本の人口は、今後少子高齢化により減少することになります。400年前の江戸時

代初期の人口は、現在の約十分の一の1230万人であったと推計されています。そ

れが明治初めには3330万人に増加しています。

 それでは、江戸時代の平均寿命はどうであったのだろうか。江戸時代初期の17世紀

初めは30才位、18世紀では30才台半ば、19世紀では30才台後半であったと考えら

れています。いずれにしても明治以後人口が激増していることが分かります。

 江戸時代の気候は寒冷化し凶作の年が続きました。それでも平常年には出生率が死亡

率を上回り人口が増加していますが、異常年には当然人口が減少しており、陸奥国では

18世紀には人口の20%が減少しました。北秋地方のお寺の過去帳でも、天明・天保

の二大飢饉の天明四年(1784)と天保五年(1834)の死亡者数はダントツ多いとの事です。

 津軽地方の飢饉の惨状は、菅江真澄や橘南渓が詳しく記録しており、広く知られてお

ります。秋田地方の被害は津軽南部に較べ少なかったといわれておりますが、これはた

だ単に地力の差ではなく、藩の対処の違いが被害の拡大減少の差に繋がったといわれて

おります。

これからの人口減少・長寿社会は、今までと違った対応が求められるとのことです。

それには世界の歴史に学ぶ必要があります。

 いま高校の必修逃れが大問題になっていますが、その教えられない科目が「歴史」だ

ということは本当に「シンジラレナイ」ことです。教育者は歴史など知らなくても良い

と考えているのでしょうか。      (参考文献『人口から読む日本歴史』等)

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■ 戊辰戦争、南部盛岡藩主の謝罪文             臣 利 剛 

恐懼頓首奉嘆願候 当春会津容保御征討之砌奉応接之命速ニ出兵仕候得共 同藩謝罪

之儀仙米両藩ニテ周旋ニ付同盟仕候 其後秋藩ヨリモ及違儀候砌 同盟諸藩進撃之上

弊藩ヘモ屡々才足ニ付 遂ニ進撃ニ至り候処 今般重臣三戸式部京師蒙御内旨 且久

我様ヨリモ御内諭有之帰国ニ付到仁好生之叡智ヲ以相伺奉感候 朝廷之御趣意柄ニ

相戻り候儀ト今更悔悟恐懼之至りニ不堪候 全東之国柄当今情態通徹不仕一時誤方

向重畳恐入候 然ル処此度御内旨蒙国臣一定仕候上ハ奉仰朝裁之外他事無之 深謹慎

罷在候 臣雖不省勤王之素志当夏九条殿弊藩へ御滞陣中奉建言候通り 誓天地二念御

座候間 前後御燐察被成下蒼生安堵ニ至り候様 偏ニ奉嘆願候 誠恐誠惶謹言

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短信   ■ 北上史談会が実地研修で大館へ。

10月30日一行20数名が来訪しました。戊辰戦跡と大館城跡の検分ということで、

十和田ICで出迎え、十二所町内をへて扇田神明社、扇田町内、餌釣・東台をへて大館市内

入りとしました。午後、花輪で戦没者墓地参拝とのことでありました。

     矢立峠 10月28日連合秋田・山を見る会があり地元とも50名近く。

依頼あり10月3日の秋田からの前視察と当日も遊歩道・歴史の道の案内など出動。

■サテ冬遠からず風邪に注意しましょう。      wasi

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