情報

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                   発責 大館市東台6-5-83  鷲谷豊

   北羽歴史研究会 会報 NO.188 2007(H19)年2月1日

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 2月、古文書学習会を開催します。  

2月22日(木)、古文書学習会開催、 13:1515:30

於・大舘市中央公民館

            記

 

テキスト・岡本家文書「葛原村百姓木次谷源十郎打殺一件」     

講師・・千葉克一氏

      ・・・秋田・南部国境の問題が惹起する・・・

 

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     20回定例総会を終える 

 1月28日、第20回定例総会は、司会丸屋副会長、議長岩谷満男氏によ

り所定の議事をへて報告・提案等、可決決定となりました。続いての講演

も予定どおりの時間に納まり、会場を二階和室に移しての懇親会もほどよく

の会となり、柴田副会長の〆で無事終了致しました。総会資料、講演資料は

参加出来なかった方にも送付されます。今年予定など確認下さい。未決定は

次回幹事会送りです。講演資料戊辰戦争論の観点など参考にして下さい。

    訂正 3月学習会の予定。中公会場借用都合により、3月学習会は22

(木曜)午後になりますので、総会資料メモなど訂正しておいて下さい。

    4月実地研修会予定は2526(一泊平泉一関)です。日程ご配慮の程。

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   催事情報

@ 比内町歴史文化講演会 於比内公民館   317日(土)

   講師・渡辺英夫(秋田大学教授)    13:30~15:30

     演題「近世北日本経済と比内地方」−北前船世界の再検討

 

A 大館市民カレッジ・歴史講座「大館地方の歴史探訪・撰三話」

        会場・大館市中央公民館、  担当 鷲谷豊

 217日 中世比内浅利氏の盛衰と大館の浅利館     

 224日 大館城と城下、城代佐竹氏と武士団について    

 3 3 日 大館地方での戊辰戦争は如何に戦われたか     

開催時間 各日13:3015:30

 

B      秋田歴研協理事会223日、於秋田市中央公民館。

案件・会報についての総括と編集、歴史フオーラムの開催について。

 

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(資料書参考)

 

■ 津軽藩の矢立峠封鎖 

仙台藩主導の反政府同盟が出来た。それによって庄内攻めに出動していた奥羽鎮撫使沢三

位副総督と薩長筑鎮撫隊は撤退に追い込まれ、秋田を経て津軽から函館(この時は既に新

政府管理地)に向おうとしていた。だが津軽藩に矢立峠を封鎖され、大館に滞在を余儀な

くされた。そして津軽経由の危険を理由に能代湊からの海路をめざしたが能代に留まり、

仙台脱出で盛岡廻りの奥羽鎮撫使九条総督・醍醐参謀と土佐小倉隊の久保田到着を待つ結

果となった。

 津軽藩の裏事情は??仙台藩使者来る!!  

 『新編弘前市史』抜粋資料↓

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5月12日、再々度、藩の方針は転換された。仙台藩使者水野邦助が弘前に到着

し、53日の奥羽列藩同盟の成立を伝えたのであった。その日の内に御目見以上

を登城させ、藩主諭告を公表した。沢副総督一行のうち、特に薩長両藩の兵に領内

を通行させることは、奥羽列藩同盟における衆議に反することにもなるので、許可

できないと判断が下されたのである。」 

「家老、用人たちが藩主承昭の前に呼ばれ、「勤王佐幕之儀」について話し合いが

もたれた。しかし、同盟に背反すると、今度は同盟から制裁を受けることが懸念さ

れ、結局、事態は同盟側に沿った方向で押し進められた。 勤王派は、奥羽諸藩が

同盟を結んだのは、会津・庄内の恭順謝罪を嘆願し、和平的な解決を望むためであ

ったのに、特に仙台藩主戦派の勢いに押され、反官軍的な様相が強くなってきたこ

とを指摘し、鎮撫総督軍の通行許可を強く求めたが、意見は聞き入れられなかっ

た。」

 「5月14日には、仙台から同盟に調印した山中兵庫が帰藩し、より詳しい事情

を得た弘前藩は、16日碇ケ関へ家老杉山上総を派遣して、秋田藩との藩境の街道

を伐採した倒木などで封鎖した。これによって沢副総督一行の弘前藩への入領を実

際的に不可能にしたのである」

「16日、杉山上総・加藤善太夫らが碇ケ関で、同盟に従い、薩長勢を討つように

命じたが・・・・・」

「そして沢総督がこの弘前藩の処置に対して「立腹」したという風聞が藩内に知ら

れる・・・」

「やがて、藩内の対立が激化する様相に危機感を抱いた藩では、5月21日、徳川

家名の存続と諸道官軍の撤去命令が出されたという情報に触れ、重役の面々が登城

して評議し、沢一行を通すことを決定した。・・・」

「5月22日に矢立峠の封鎖を解除し、沢爲量副総督の領内通行を許諾する通知を

送った。使者は鉄砲頭舘山善左衛門・勘定奉行神東太郎である。ただし、いまだ同

盟を脱退するまでには藩論は統一されていなかった。同盟遵守の方向で行動をとっ

ていた藩の急激な方針転換に関する釈明は、容易に納得されなかったため、弘前藩

は総督府および秋田藩に対する必死の弁明を続けた。・・・」       以上

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あとがき

■朝おきたらかなりの雪、累積30cmを越えている。これでアメッコ市も雪の風情となっ

て幸いかな?・雪不足で冬イベントの中止などお気の毒のむきもあるが、老人世帯は除

雪が大助かりの冬ですね。

■第20回総会の節目でした、来期は戊辰戦争140年と歴研満20年をどう意義づけるか。 wa

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