発責 大館市東台6-5-83  鷲谷豊

   北羽歴史研究会 会報 NO.189 2007(H19)年5月1日

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■ 5月22日、通例学習会を開催します。  

平成19年度第2回通例学習会開催、5月22日(火)13:1015:30

於・大舘市中央公民館

            記

 

テーマ1・ 戦国時代・飢餓と戦争・・・  担当・金澤長一郎

 

  テーマ2・ 「福者」と天正の遣欧使・・・・担当・丸屋 悧

                          

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■ 4月実地研修会無事終了

 42526日の第43回実地研修会「テーマ・平泉藤原氏・一関田村氏」は

参加20名で小雨模様ながら晴れ間もあり無事終了する事ができました。

平泉・一関とも桜は満開で大館より早めの花見ができたのは幸いでした。

一関祥運寺では田村氏の土饅頭墓や、経堂・保性院廟など興味どころでした。

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催事情報   秋田歴研協「2007年歴史ホーラム」

62日(土)13:00開場13:30開会~17:00終了 

於・秋田市千秋明徳町・秋田県生涯学習センター分館ジョイナス2Fホール

      (千秋公園広小路口左側、県民会館連結左隣入口、旧記念館跡)

テーマ・地域史研究の方向性を探る〜他県の実践に学ぶ

    先進県の取り組みに学び、秋田の視座から地域史研究の方向性を探る

          次第

1、趣旨説明・・秋田歴研協会長・田口長一郎

2、基調報告「イサベラバードの足跡とその顕彰」講師・梅津保一氏(山形県)

3、報告   1)岩手の先人顕彰について・・・杉沢文治氏

       2)青森における民俗漁業館設立・・・鎌田幸男氏

   3)千代女の里、俳句館と千代女国際シンポジュウム・・茶谷十六氏

司会進行・・半田和彦(秋田歴研協常任理事)          以上

             (どなたでも参加できます、資料代¥500)     

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■ 廃仏毀釈のこと ・・・・・・ 『歴史研究』第403号所収・城福雅伸稿より引用

 廃仏毀釈とは仏教排撃運動である。これは明治初年に全国で起ったものと、江戸時代

にすでに小規模ながら各地で行われたものの二つがある。江戸時代で有名なものは水戸

藩の二度にあたるもの、会津藩や岡山藩のものが挙げ得る。しかし一般に廃仏毀釈言う

場合、明治初年の仏教排撃運動をさす。これは神仏分離令に端を発し、全国レベルで大

規模に起ったものであり、激しい廃仏毀釈が日本全国を度巻した。・日本では仏教伝来以

来、神と仏が信仰上並存し、神仏習合の形態で神が祭祀され、儀礼さえ行われてきた。

神は仏菩薩の現れであるという本地垂迹説(ほんじすいじゃく)が平安中期から広まり、

鎌倉時代には一般化した。神と仏は同一に礼拝され、神と仏が心に並存し融合した信仰

が育まれてきた。 ・神仏分離令・慶応四年三月十三日、明治政府は王政復古の趣旨が

神武創業に基づくもので祭政一致の制度とすること、そのため神祗官を再興し、神主・禰祗

・祝・神部をことごとく神祗官に属させる旨を告告した。続いて三月十七日に「神祗事務

局より諸社へ達」が出され、神社の別当・社僧など、僧侶身分でありながら神勤してい

るものの復飾を命じた。神仏分離令と言われるのは、この十七日を初見とする一連の布

達の総称であり、布達は十月まで様々な形でだされている。三月廿八日には、神社の祭

神であって権現や牛頭天王などのように仏教的な名を持つものは報告せよと命ずると共

に、神社の礼拝対称が仏像であれば取り除き、その他本地として仏像を置いたり、鰐口

    梵鐘などの仏具を置いてある場合も取り除くように命じた。この様な布達をきっかけ

に大規模な廃仏毀釈の嵐が吹き荒れることとなった。 ・大級の廃仏毀釈に日吉神社

大津)の例がある。日吉神社は古来より延暦寺の鎮守社であり、延暦寺の管理下にあっ

て神習合の形態で祭祀されていた。閏四月一日、社人樹下茂国(政府神祗係)が人足や神

官などを率いて日吉神社に押し寄せ、延暦寺に本殿の鍵を渡すように要求し、延暦寺の

拒否にもかかわらず強引に神域に乱入し、神殿の鍵をこじあけ仏像・仏具・経巻類など仏

教に関係するものをことごとく取り出し破壊・焼却した。破壊・焼却された仏像・仏具

    経巻など百廿四点、社人等持ち帰った品が四十八点であったという。 ・奈良は古い

仏教王国であっただけに、廃仏毀釈の被害にはすざましいものがある。平安時代に創建

された永久寺は『大和名所図鑑』には壮大な堂塔伽藍が見えるが、すべて蒸発したよう

に無くなった。 ・また地方でも廃仏毀釈の嵐は吹き荒れた。富山や佐渡などにみられ

るような寺院の破壊・統廃合から、民間信仰の祠や石仏の破壊、仏壇の焼却までと枚挙

に暇がない。その形態や程度は地方によって異なるので一概には言えないが、国学の影

響が強い地域や壱岐・佐渡などの閉鎖部で激しいようである。 ・廃仏毀釈の嵐から免

れた珍しいケースに日光東照宮がある。明治四年、東照宮と二荒山は輪王寺から分別さ

れた。仏教色の堂屋が問題だった。折りしも明治天皇の行幸に際し、この地を訪れた

戸孝允は、三仏堂が壊されつつあるのを見て嘆き、住民の嘆願もあり、この文化財保存

に尽力。日光東照宮は神仏習合の様式を現代に残しています。 

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