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発責 大館市東台6-5-83 鷲谷豊
北羽歴史研究会 会報 NO.220 2010(H22)年3月1日
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3月、通例学習会を開催します。
3月18日(木)通例学習会開催13:10〜15:30 於大舘市中央公民館
記
テーマ 1、「神仏分離、修験禁止」を読む。
〜南無八幡大菩薩は不可〜村々の堂社は〜
2、秋田の「梵天まつり」から考える。
〜梵天とは〜梵天の様々〜 担当・鷲谷豊
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■ 多ページの古文書テキストを読み解く。2月18日古文書学習会終る
当日の勉強で千葉講師より解説の古文書は「出府諸払覚帳」と同翻訳でB4版
7+4=11枚、追加「小笠原保五郎日記」抜粋、岩瀬村「稲刈并役数当高共取調帳」と
同翻訳でB4版2+3+3=8枚。併せてB4版19枚に及ぶものでした。解読演習テキスト
として繰返し自習できるよう配慮されております。各人活用ください。
主テキスト「出府諸払覚帳」では、岩瀬村久内、早口村勘右衛門が11月11日に
久保田に向けて出立、綴子村で昼食から出費記録が始まる。15日久保田到着、久保田
から帰郷出立は29日。この久保田滞在の間、二人の村役は、御扱様.秋山様.山口亀五
郎様.御支配様.安東様.菅生様.赤田様.橋本様.長吉殿.金崎様.等々の人物にあれこれの届
け物をし、特に御扱様.御支配様には数量が多い。帰村後の決算では「内2,120メ890
文.大槻様へ銀穀上納、2メ500文栗林様上納分頼遺候…払惣メ5,530貫788文」とも
記録されている。届先はどこか?郡奉行配下に関係するか?不明。地方の村役がわざ
わざ出かけて贈答品持参の挨拶廻りや銀穀上納とは? 秋田藩政の村々その農政への関
心を持たされる古文書学習となりました。会員各位の探求も期待されます。 w
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■ 明治維新と秋田 〜戊辰戦争後の秋田〜 金沢長一郎
2月20日、標題の「美の国カレッジ」特別公開講座(県生涯教育センター主催)
を受講した。講師は前公文書館副館長菊池保男氏でした。これは昨年実施し他会場で
好評だった講座を中心に北秋田市等四会場で開講するという企画であった。
この講座のテーマは、「東北諸藩唯一官軍として甚大な戦禍を蒙りながら戦った秋
田藩が戦後評価されるどころか、藩閥政府から不当な処遇を受けた。その結果秋田県
のその後の低迷につながったという通説は本当か。それは具体的にはどういうこと
か」を検証するというものであった。
まず幕末期秋田藩の状況をみると、言われていることと異なり情報収集はよく行
っていたという。資料「風雲秘密探偵録」(安政慶応年間平田鉄胤・同延胤、京都
及び江戸で探偵し藩主に提出した自筆報告書。百八十四通、415枚)がある。
情報源は充分にあった。平田篤胤門下生は俗に4500人以上といわれている。情報の
中には文久二年(1861)ロシア軍艦の対馬占領事件の報告があり、しかもロシア宮廷内
の内情まで正確に記録されていた。しかし情報は集めただけでは何にもならない。
分析し対処方針をたてることが重要である、おそらく藩首脳部には、情報を理解する
人がいなかったのではないか。その証拠に、「三卿合流以前の家老の動き」(畑中康博
「戊辰戦争時の秋田藩」)をみると、家老等は藩にとって重大なときに「暇」をとっ
ているつまり責任逃れをしている。
次に戦後になると秋田藩に四大事件がおこる。すなわち八坂丸事件・贋金鋳造事件・
初岡敬治反乱事件・志賀為吉殺害事件である。八坂丸事件は事件として、その船を購
入しても船を運用する人材がいたのだろうか。船の目利きをするひとがいたのか。幕
府等の海軍の伝習生、留学生には秋田人は一人もいない。贋金鋳造事件では、当時担
当でない財政担当の佐藤時之助に全責任をとらせている。しかも密告だったという。
藩を代表する公儀人初岡敬治の政府転覆陰謀事件は完全に冤罪だと思うが、彼は「
封建制の上にたつ尊王攘夷論」から一歩もでず、しかも同じ思想の人間だけとしか交
流がなかった。維新の目指す意義を理解していなかった。 人事問題で殺害されたと
いう志賀為吉事件などもあり、秋田藩は自壊していったと言える。
慶応3年12月「王政復古の大号令」で「人材登用第一の御急務」と宣言し有能な
人材を官軍・賊軍の別なく広く求め登用している。 例えば山口県(長洲)の初代県令
中野悟一は五稜郭生き残りの幕臣である。「政府官員出身県」表等(明治8年掌中官
員録)をみても旧幕臣等は多数任官しているのが判る。また酒田県(庄内)の官員
49名中43名は自県出身者(鹿児島5宮崎1)であり、政府要人とのコンダクトの有
無もまた重要だったことが判る。
以上、秋田藩は人材面においても他藩人に及ばなかったと見るべきでなかろうか。
同じ東北諸藩と比較しても、その感はぬぐえない。私見では藩校教育に原因を求め
たい。また戦争では西南雄藩と共に戦ったのだから、その線で繋がりがあってもよさ
そうなものだが・・。簡略記であり菊池先生の意をどこまで記し得たか自信はないが、
同講座の内容を紹介する次第です。 (金沢記)
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・・・余滴・・・
■4月実地研修会は、「きちまち坂から藤里町」史跡等、4月下旬20何日か(日帰)
を予定しております。コース等共4月会報で周知しますので、参加予定心おき下さる
よう願います。
■ 当会副会長武田政二郎さんが、この2月に大館市明るい選挙推進協議会会長とし
て、総務大臣表彰を受けられ、新聞等に報じされております。おめでとう御座います
。更にご健勝を祈ります。 wa
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