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母のこと・・
2004.1.14(水)
 旅行記の更新作業をする前に、母のことを少し書きたいと思います。

私の母は67歳になります。
ずっと自営業でしたから、母はずっと職業を持った主婦でした。

今から15年前に自営業同士の婦人部という集まりの行事で小旅行をした時に、旅行先で脳内出血で倒れ、以来右半身にはマヒが残っています。
てきぱきと身体をフルに動かして働いていた母にとって、歩行もままならない当時はとても辛かった時期だと思います。
でも、本人の前向きなリハビリで歩行も可能になり行動範囲も広がりました。
友人たちと小旅行に行ったり、家事をこなしたり、お店に出たりもしてましたが通院は続いていました。脳内出血倒れた時に行われた輸血が原因で「C型肝炎」になっていたのでした。

定期的な検査入院や通院は欠かせないものとなっていましたが、それでも母は前向きで一生懸命でした。

去年の春先に母の実のお姉さんがガンで亡くなりました。
生前、叔母が入院中何度か母と共にお見舞いに行きましたが、母もなんだかとても疲れたような感じでした。叔母の葬儀の時にはいつまでも祭壇の前に座っていたそうです。母は3人兄弟で下に弟さんがいます、唯一の姉を失った悲しみはとても深かったようでした。

そして、昨年の11月。
父の電話で母の入院を知らされました。
いつもの検査入院と思っていた私には、電話口から聞こえる父の声、内容が信じがたく「とりあえずは私も先生の話を聞くから・・」とだけしか言えませんでした。
後日、父と弟と私とで先生の話を伺う日が訪れました。
主治医の先生からのお話は、今まで何度も何度も「ドラマ」や「映画」で耳にした言葉ととても似てました・・

「子宮ガンであるという事」
「肝硬変になっているので手術は殆ど出来ない状態だという事」
「抗がん剤に関しても・・・同様に、効果を見る期間さえも出来ないかもという事」
そして・・・
「もってあと1ヶ月くらい、今年一杯は厳しいです」

説明を聞いて、ほのかに持っていた期待や希望は殆どなくなってしまいました。
とても悲しくて辛い時間でした。
しぼり出すように私は「一生懸命頑張ってきた母なんです、どうかもう辛い思いはさせないで下さい、どうか痛い思いはさせないでください。宜しくお願いします」と主治医の先生に言いました。
10年来ずっと母を診てきた先生も、私の言葉につらそうにこたえてくれました。

先生のお話を伺ってから私は「ずっと毎日母のそばに付いていてあげよう、毎日会いにこなければ」と心に誓いました。後悔したくない!という想いだけでした。

入院中、日を追うごとにだんだん弱っていく母。そして病室も大部屋から個室へと変わりました。最初の1週間は話も出来たのにその後は殆ど眠っている状態が多かったので、ただただ病室で母の顔を見てぼんやりと昔の事などを思い出したり、手足を拭いてあげたり・・・そんな日々が続きました。

 その母が平成15年12月22日に亡くなりました。
まだまだ親孝行と言える事、殆どしていないのに・・・
まだまだ話したい事、一緒に行きたい所、沢山あるのに・・

もう、「みんな変わりないかい?子供たちは風邪引いてないかい?」という母からの<たまには実家においでよ!>という思いが伝わる電話が鳴る事は無いんです。
でも、母の笑顔と明るい声は今でもずっと心の中に生きてます。



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