メロンパン憧憬


 とある地方の商店街の一角。昔ながらの小さなパン屋が一軒。
 古びた自動ドアをくぐると、広くない店内には雑多に入り混じったパンの香りが充満している。
「いらっしゃい……あれ?」
 レジを打ちながら半ば反射的に挨拶を吐き出した店主が、僕と気づいて顔をほころばせた。
「お前帰ってたの?」
「うん、今日」
 店主は常連らしい子供にお釣りと、パンの入った紙袋を渡し、
「落とさないように気をつけてな」
「はーい。ありがと、おっちゃん!」
「おっちゃんって言うな!」
 駆け足で店を出ていく元気な後ろ姿を見送った。そして、レジの奥から出てくると、
「新聞で読んだぞ。やったな、おめでとう!」
 満面の笑みで、僕の肩をたたいた。

 僕らは高校の頃、進路志望を同じくする者として知り合った。その後一緒に上京して同じ製菓・製パンの専門学校に進み、卒業後、僕は都内にある高級ホテルのレストランの厨房に、彼は地元に帰って父親のやっていたこの店に入った。現在、僕はそのレストランでデザート部門を任される身になり、彼は引退した父親の跡を継いで店主となっている。彼の言葉は、先日僕が出場したとある製菓の技能コンクールで優勝したことに対するものだった。
「お前昔から練習熱心だったもんなー。それにしても日本一か、ほんとすげーな!」
 彼は元同級生の快挙を我が事のように喜んでくれた。でも実は、専門学校時代、僕は彼にどうしてもかなわなかったのだ。子供の頃から家業の手伝いをしていた彼は、パンやパイの生地作りや焼成のような大仕事から、フルーツのカットやクリームによるデコレーションといった繊細な作業まですべてに秀で、学生の時点で既にプロとして通用するであろう腕前だった。

 その話をすると、彼は軽く笑い飛ばした。
「何年前の話だよ。お前さっき聞いただろ、俺最近近所のガキに『パン屋のおっちゃん』って呼ばれてんだぞ」
 先生に都内の有名ベーカリーへの就職を勧められた時、「うちの店が好きだから」と断った彼。彼は今その技術を、ごく普通の食パンや惣菜パン、菓子パンに注いでいる。中でも動物やキャラクターを模した菓子パンは、子供たちに人気だと聞いた。

 ずっと、憧れていた。
 そして、今も。

「これ、いいね」
 僕はずらりと並んだトレイの中の一つに近づいた。小さめのメロンパンに顔と手足を付けた、カメの形のかわいらしいパン。「カメロンパン」なんていう直球な名前がついている。
「おお、それ大人気なのよ。食ってみ」
 一口かじると、しごく真っ当な、あたりまえのメロンパンの味がした。熟練の職人が手抜きなしで作る、さくさくのクッキー生地が乗ったふんわりパン。毎日食べても飽きない、懐かしい味わい。子供たちが喜んで食べる姿が目に浮かぶ。
「うまいよ」
「なんか、お前に言われると照れくさいな」
 はにかんだ彼の顔に、胸が詰まった。

 僕がどんなに頑張って、きらびやかなデザートを仕上げても。
 君のパンには、かなわない気がするんだ。


−終−