トラブルシューティング (1)


「大変申し訳ありませんでした、すぐ作業に取りかからせていただきますので」
俺は恐縮しながら担当者に頭を下げていた。
 ここは地方のわりと大規模な家具店。この不況時に貴重な我が社のユーザーだ。三ヶ月ほど前、俺こと営業部営業1課関東甲信越地区担当・浜田(はまだ)は、それまでマニュアル一辺倒だったこの店に初めて商品データの管理システムを導入した。そして昨日のこと、操作の問合せ時にサポートの電話オペレータがポカをやってデータを10件ほど消してしまった。しかし、そこまではまだ良かった。焦った彼女がそれをデータのバックアップシステムで元に戻そうとしたのが運の尽き。なんとそのバックアップシステムにバグがあり、データがすべてぶっ飛んでしまったのだ。
 データを飛ばしたのはサポート。バグを作ったのはシステム。でも頭を下げるのは俺。営業ってのはつくづく損な役回りだと思う。
 社長がコンピュータに疎いおじちゃんだったことが今回は幸いした。作業に先立って挨拶に行ったのだが、クレームどころか「遠くからわざわざ大変だねえ」なんつってお茶まで出してくれそうになったものだ。営業時にはこれでさんざん苦労したのだが、今日ばかりは後光がさして見えた。

「じゃあ、たくさんありますけど、よろしくお願いしますね」
そう言って担当者が持ち場に戻ったところで、ユーザーの端末をいじっていた男が声をかけてきた。
「浜田さん、やっぱり駄目です。かけらも残ってません」
冷静な声に、俺は舌打ちしそうになった。声の主は竹崎(たけざき)。まだ若いが技術力はシステム課の中でも一、ニを争うエンジニアだ。今まで一緒に仕事したことはなく、時たまタバコ部屋で会うと話したりするぐらいのつきあいだが、技術者にありがちな寡黙な男という印象で、どちらかというと苦手なタイプだった。
「修正版入れておきましたから」
「ああ」
バグ自体はしょーもないもので、コードを一ヶ所修正したらすぐ直ったというのだからますます腹立たしい。だが、竹崎にあたるわけにもいかない。というのも、実はバックアップシステムは竹崎の担当ではないのだ。本来の担当者は今、別件のややこしい不具合修正をかかえていて手が離せないため、代わりに竹崎がよこされたのである。
 それにしても、システムの課長が竹崎を出すときのもったいぶりようも思い出すだに腹が立つ。今回は明らかにシステム側のミスだっていうのに、応援を出すのを散々しぶったあげく「営業はちっともわかってないからしょうがないな」だぁ? タコ課長、そんな台詞はまともに動くものを作らせてから言いやがれ。
 いつまでも営業の悲哀にひたっていても仕方がない。ため息をひとつついて、椅子に腰掛けた。
「初期データも入れてくれたか?」
「はい」
稼動当初の大量データ入力は外注に頼んでいたため、その時点まで戻れるのは幸いだった。しかしユーザーがこの三ヶ月に入力した数百件分はこれから、俺と竹崎の二人でやり直すしかない。相手が苦手だとか言ってられないのである。
 竹崎はてきぱきとノートパソコンを接続していった。ユーザーのマシンを塞ぐわけにはいかないから、LANで繋いでこちらで作業するのだ。その間に入力すべき商品情報の書かれた原稿を確認する。何やらついでに新しい原稿も入っているような気がするが、今はとても断れる状況ではなかった。
「ほれ」
作業体勢を整えた竹崎に原稿を渡すと、
「うわ……」
と言ったきり、絶句した。無理もない。山のような原稿は、家具の図も描きこむためだろうが、よりにもよってコピーした方眼紙に手書きしてあるのだ。
「これ、FAX無理ですね」
要は単純なデータ入力なので、原稿によっては東京にある本社にFAXして応援を頼むこともできる。が、これでは送信してもつぶれてしまって読めない。しかも決まった形式がなく、担当者によって微妙に書き方が違う。送信できたとしても質問責めに遭うのがオチだ。応援はあきらめざるをえなかった。
「貧乏クジ引いたな」
「しょうがないです」
竹崎はわりとすぐ気分を切り換えた様子で、俺のパソコンの画面を指差した。
「浜田さん、これ」
見ると、デスクトップに見慣れないアイコンが一つ増えている。
「エクセル?」
「このフォーマットにデータを打ちこんでいってください。後で僕がまとめて変換します。その方が早いですから」
「お、おう」
「こまめにセーブしてくださいね」
「わかってるよ」
ちょっとむっとしながら答えた。このパソコンは時々フリーズして、ついつい保存を忘れる俺は、作りかけの資料などをすっ飛ばすことがままある。まさかそのことを知ってるわけじゃないだろうが、先回りしたような物言いをされるとあまりいい気分ではなかった。
 しかし、その後の竹崎の仕事ぶりを見たらそんな気分は消えてしまった。データ入力モードに切り替わった竹崎のタイピングは、尋常じゃないぐらいに速かったのだ。
「すげー…」
俺は状況も忘れ、しばらくぽかんと見つめてしまった。決して打ちやすいとはいえないノートパソコンのキーボードで、こんな速度で入力できる人間を俺は他に知らない。流れるような指さばきとはまさにこのことだ。
 と、指が止まった。
「浜田さん」
「ん?」
「あんまり見ないでください。集中できません」
「おう、悪い悪い」
そうだ、見とれている場合じゃなかった。目の前には原稿が山積みで、これがなくならなければ永遠に帰れないのだ。
「おっし、やるか」
 それから俺たちはタイピングマシーンと化して、ひたすらにデータを入力していった。