トラブルシューティング (2)


 昼食抜きで作業に没頭し、すっかり日も暮れた頃。俺の百倍ぐらいのスピードで打ちこむ竹崎のおかげで、なんとか明日には帰れそうなめどが立ってきた。
「よし、今日のところはこの辺にするか」

 タクシーを呼び、到着した本日の宿泊施設に、竹崎が目を丸くした。
「……なんですか、ここ」
驚くのも無理はない。そこはなんと宿泊施設付きの健康ランドだった。俺も、取引先にここを紹介してもらったときは正直驚いたものだ。
「ここらへんってろくなビジネスホテルがないんだよ。でもけっこういいんだぜここ。安いし、いろんな風呂があるしさ」
「部屋風呂ってないんですか?」
「あれお前、銭湯とか駄目なタイプ?」
「そうじゃないですけど…」
困惑気味の竹崎を従えて玄関に入ると、備え付けのスリッパに履きかえ、靴を靴箱にしまった。館内はすべてスリッパで歩くのだ。
「出張でこんなの初めてですよ」
「何事も経験」
 腹が減っていたので何はともあれ晩飯をすませ、部屋の方に行った。
「荷物置いたら風呂に行こうぜ」
「…はい」
 扉を開け中に入る。シングルの部屋はベッドが半分以上を占めるといった感じだが、寝るだけだし別に問題はない。荷物を置いて上着をハンガーにかけ、竹崎を呼びに行った。が、なかなか出てこない。しばらく待っていると、あわてた様子で出てきた。
「お待たせしました」
「遅かったな」
「すいません、コンタクト外してたので…」
「? なんで? メガネならわかるけど」
「その、目が乾いちゃって」
「そっか、今日は酷使したもんなあ」
 エレベーターで1階に降り、脱衣所に入った。
「すげーぞここの風呂は。ジャグジーとか薬草風呂とか、サウナもあるし」
そんな話をしながら、服を脱いでいる竹崎を眺めてみる。風呂を嫌がってたみたいなので、貧弱くんだからなのかと思ったけど、そうでもなかった。
「けっこういい身体してるじゃん、竹崎」
「テニス部入ってるんで」
「へえ」
うちの会社には、同好の志が集まってやっている部活がいくつかある。しかし、そういう活動に竹崎が参加しているとは意外だった。
「テニスか。俺も前やってたけど、そういえば最近全然やってないなあ」
学生時代に始めて、入社してしばらくもやっていたが、営業の仕事が忙しくなるにつれ疎遠になっていったのだ。
「今度、やりましょうよ」
「そうだな」
久しぶりに身体を動かすのもいいかもしれないな。ストレス解消にもなるし。

 たくさんある風呂をひととおり回って、最後はいちばん広い風呂に落ち着いた。
「一時はどうなるかと思ったけど、このペースならなんとか明日には終わりそうだな」
「そうですね」
「竹崎が来てくれて助かったよ。神様仏様竹崎様だ」
ばしゃりと顔を洗う。疲れが湯に溶けて流れていくようだった。やはり日本人は風呂に限る。
「そうそう。今日思ったんだけどさ、竹崎って手がきれいだよな」
「え?」
「キーボード打ってるとこ見てて思ったんだ。ほら、指長いしさ」
俺は浴槽の縁にかけていた竹崎の左手を持ち上げた。
「へえ、爪もいい形してんだなあ」
「やめてください。女の子口説いてるんじゃあるまいし」
竹崎は俺の手を払いのけると、顔を背けて黙り込んでしまった。
 ありゃ、怒らせたかな。

「ほら」
風呂上がり、ビールを二つ買って差し出したら竹崎はきょとんとしていた。
「お前の分。サービス」
「…どうも、ありがとうございます」
 それから、マッサージ椅子のコーナーに行った。風呂上がりにビールとマッサージ。うれしすぎる。
「うぅ極楽〜」
ふと横を見ると、普通の椅子に座った竹崎が、ビール片手にくつくつ笑っている。
「浜田さん、オヤジくさい…」
「お前、俺と二つしか違わないだろ?」
「三つです」
「え?」
「僕、三年の専門学校卒なんで。入社は二年下ですけど」
「なんだとぅ? 三つも年下のくせに口答えするな」
「浜田さん、わがまま」
「うるさい」
普段はあまり抑揚のない表情をしている竹崎だが、こういう笑顔を見るとまだすこし幼い感じがする。今日一日で、ずいぶん竹崎に対する印象が変わった。苦手なタイプだと思ってたけど、しゃべってみると別に普通じゃないか。これからはもっと気軽に声をかけられる気がする。たまにはこういう経験もいいかもしれないな。


 ところが、ついてない時はとことんついてない。なんと、二日目になって別のトラブルが起こったのだ。
 いや、トラブル自体は俺とは関係ない。しかし、それが竹崎の担当したシステムだったので、主要戦力が電話対応に忙殺される羽目になってしまったのである。
「ですから課長、そこはそうじゃなくて…」
「いやそれは別の機能ですから…」
「そのファイルは関係ないので…」
あっちには課長が直々に出向き、復旧作業をやっているらしい。しかし電話でのやりとりは思うように進まず、俺はタコ課長に殺意を覚えた。
 それでもなんとか終わり、頭を下げて店舗を出たが、これから駅に向かっても東京行きの最終にはもう間に合わない時間だった。
「すみませんでした…」
「いいよいいよ」
すっかり憔悴した様子の竹崎がかわいそうだった。電話の内容から察するに、たぶん今日のトラブルは、竹崎が会社にいればすぐに解決するようなものだったんだろう。
「とにかく終わったんだし、今日はゆっくり風呂につかって、さっさと寝ちまおうぜ」

 タクシー会社に電話をかけ、待っている間、二人でタバコを吸いつつ、話をした。
「お前んとこの課長ってさ、人が何言おうと、まず自分の思ったことをひととおり試さずにはいられないタイプじゃねえ?」
「…そうです」
「それって他人を信用してないってことだよな。部下は苦労すんだろ? 同情するよ」
竹崎はふーっと長く煙を吐いて、言った。
「浜田さんって、人の性格とか特徴を捉えるのがすごく上手ですよね」
いや、そんなたいそうなもんじゃなくて、単なる悪口なんだが。
「僕は、どんな人間に見えますか」
「え?」
急に何を言いだすのかと思ったが、竹崎が妙に真剣な目をしていたので、ちょっとまじめに考えてみた。
「そうだな」
一服吸って、口を開いた。
「すごい技術を持ってる。でもそれを人に説明したりするのは苦手なタイプだ。職人肌ってやつだな。人と話す時も同じで、自分から話をするのは苦手だろ。違うか?」
「…当たってます」
俺はタバコの灰を落としながら続けた。
「正直とっつきにくいやつだと思ってたよ。でも別に他人を拒絶してるわけじゃないし、ちょっとうちとければ普通にしゃべれるってわかった。年相応に可愛いとこもあるしな。あと、仕事はしっかりしていてとても頼りになります。まあ、そんなとこかな」
そう結ぶと、竹崎はうれしそうに笑った。