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ルーベンスのコメントの最後に選んだ絵は、ルーベンスと最初の妻・イザベラとの絵です。もちろん、ルーベンスの名作としては、『エレーヌ・フールマンと子供たち』(1636年頃・ルーブル美術館)やアントワープのノートルダム大聖堂の『十字架昇架』(フランダースの犬でネロ少年が理想とする絵)など沢山あります。
イザベラとエレーヌ・フールマンという二人の女性は、ルーベンスに多大の影響を及ぼしています。どちらに、ウエイトをおくか迷ったのですが、イザベラの方を選びました。理由は、この絵が好きだったからです。
この絵は、ミューヘンのバイエルン国立絵画収集 アルテ・ピナコテークにあります。ウィンザー宮王室コレクションにあります。大きさは、縦178.0cm×136.0cmで、1609〜1610年頃に、と板に描かれてます。
ここでは、ルーベンスはとても優しい顔をしています。前のページの肖像画とはかなり違います。イザベラもニッコリと微笑み、手と手を取り合っています。たまには、こういう絵も良いではないですか・・・。何かホッとさせてくれます。
ルーベンスとイザベラが結婚したのは、1609年10月3日(ルーベンス32歳,イザベラ17歳の時)です。画家でイザベラの兄・フィリップと親交があったことで、知り合い結婚して、ルーベンスはアントワープに定住します。イザベラは、1626年に35歳の若さで他界します。この時、ルーベンスは友人にこのような内容の手紙を出して嘆いています。
「私は最愛の妻を亡くしました。彼女には女性にありがちな欠点がまったくありませんでした。気まぐれや甘えたところはなく、やさしく善良で、正直そのものでしたから、生前は誰からも愛され、その死は皆に悼まれています(後略)。」
本当に素晴らしい女性だったみたいです。
すいがずらの木陰のルーベンスとイザベラ |
イザベラを亡くした3年後、ルーベンスは、1630年12月6日にエレーヌ・フールマンと再婚します。エレーヌ・フールマンは、とても奇麗で、魅力的な少女(この時16歳)だったみたいです。5人の子供を産んでます。画家の最後の10年を豊かなものにしています。
ゴッホの悲惨な人生を読んだあと、ルーベンスの人生を読むと、「少しわけてあげれば良いのに・・・。」とさえ思ってしまいます(^-^)。ただ、どちらかというと、ルーベンスの方が珍しいのでしょう。
(2002年9月21日作成)