北京珍道中
by かげやん

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2002年12月30日
(第3日目: 二胡レッスン・琉璃廠でお買い物・またまた二胡レッスン)


3日目、7時半起床。
昨晩はベッド横の床にも大量に水をまき、マスクもしていたので喉の具合はまだまし。
だけど鼻水がとまりません。股関節も筋肉痛もましになりやれやれ。靴擦れもまし。
朝食をとりに2階の食堂へ。
メニューは変わりばえしないが、今日のパンはやわらかくてどれもおいしい。
昨日のパンはもしかして売れ残りだったんだろうか?
ちょっと遅いせいか大好きなライチヨーグルトがなくなっていた。残念。

さて、午前中はいよいよ二胡レッスン。レッスン部屋は6階のまるさん達の部屋に。
本日はしまさん・シャンさん・まるさんが3人一組で1時間、次に私がひとりで1時間というメニュー。
3人は当初、北京行きは観光と買い物のみで、レッスンを考えてなかったので、北京での老師のレッスンを受けるためのレッスンを始めたのが私より1ヶ月ほど遅かった。
だから3人1組のレッスンになったのだ。

老師と通訳係のシエさんとは9時半にロビーで待ち合わせ。
最初のレッスンの3人は部屋に待機してもらって私がロビーへ。
9時半といっても老師は遅れるかもしれないということをパイさんから聞いていたが、ちょっと前にロビーに行くと、もうすでにシエさんが。
シエさんは昨日すでに琉璃廠で二胡のセミハードケース(発泡スチロール製)と松脂と弦を買っていたので、そのお店を地図を見ながら教えてもらう。
昨日パイさんに聞いた店は移転していて、シエさんがふらっと入ったお店を聞いた。
そこではセミハードケースが、なんと45元(675円)だったそう。
日本で買ったら4、5千円はするものが・・・。
しまさんと私のこの旅行での目的のひとつが、kanaさんが持っているのと同じセミハードケースを買うことだったのだ。
(ちなみにチャイナドレスをつくるという目的は時間がないためにすでにあきらめざるをえなかった・・・。)

そうこうしている内に老師がご到着。10月頃に心臓の手術をされたばかりで、一時はレッスンの老師が変更するかもしれないとい話もあったくらいなのに、もう自転車を乗り回されている。なんて元気なんだろう。
挨拶をしてレッスン部屋へ行く。老師は聞いていた通りの気のいいおじいちゃん(のような感じ)。

3人のレッスンをしている時に私がいたら、きっと、一緒に練習しなさいと言われるから、部屋を出てた方がよいというシエさんのアドバイスのもと、私は自分の部屋で二胡の練習を。
部屋に戻り練習をしていたら、メイドさんが2人入ってきてベッドメーキングと洗面所の掃除をしてくれる。何か話しかけられるかしらんと思ってびくびくしていたが、何もなくそのまま2人は去っていった。

さて、11時前になったのでそろそろ行こうと思ったらトイレの電気がついている。
このホテルはカードキーなのでカードを差し込まないかぎり電気はつかない。
カードは私のかばんの中に入ってるのになぜ?と差込口を見たらカードがささっていた。私達のとは違う種類だったので、メイドさんが忘れていったみたい。
カードを取って2つ向こうの部屋にいたメイドさんに、「すいませーん」と思わず日本語で声をかけてしまった。
中国語を習って9ヶ月になるというのに、この語学力のなさったら・・・。
カードを渡すとメイドさんびっくりして「謝々」と言う。
もしかしたら、私が部屋にいて二胡を弾いているのに気をとられて忘れていったのかも。
(あまりの下手っぴさに)

そして、レッスン部屋へ。ちょうど3人が終わったところだった。
3人が口々に、「全然二胡をさわらせてもらえへんかった。」「右手の持ち方ばっかり〜。」と言う。 ええ〜、そんなあ。
どうやら弓の持ち方が駄目だったようで、ひたすら弓の持ちかた、弓の動かし方ばかりやっていたらしい。ほな私もそうなるやん・・・と、不安になる。

日本で9月からやってきた、仕事をほっぽりだし、睡眠時間も削りやっていた練習(その割には上達してない)が無駄になったらとどないしようと思ってしまう。
シエさんに、老師にみてもらう曲は?と聞かれ『小曲好唱口難開』と『南泥湾』と言うが、どちらか本当にしたい1曲の方がいいよとアドバイスが。
老師のレッスンはあちこち飛んでいって、2曲もみてもらえない恐れがあるようなのだ。
というわけで、好きなほうの『小曲好唱口難開』にする。

老師は椅子に座られ、シエさんとしゃべっておられる。
時々「ほーほっほっほ」と笑われるのがとてもかわいらしい。
私はベッドに座って教本をテーブルに置き、いつものように二胡の底がすべらないように、三味線のすべりどめシートを左足のつけねに置く。
と、それを見た老師が、「これは何だね?」と聞かれる。
「二胡の滑り止めですよ。」とシエさんに言ってもらい、老師に貸してあげる。
老師がそれを置いて二胡を弾いてみると、やはり滑らずに弾きやすいようで、どうやらお気にめしたようだ。
すべりどめを返してもらって、曲を弾き始める。この曲は劇中歌なので、京劇などを思い浮かべながら弾きなさいといつも日本の先生に言われているが、ま、私が京劇を思い浮かべなから弾いたらどこを弾いているのかわからなくなるので、一切考えずに譜面をひたすら追って、追って、追って・・・。(先生ごめんなさい)
とりあえず最後まで弾かせてもらえて、どうやら曲のレッスンをしてもらえるみたい。

次に老師が弾かれる。
一見、普通のおじいちゃんが奏でる二胡の音は力強く、正確で、やはり京劇が見えてくる。
何より楽しげに弾かれていていいなあと、そして改めてすごい人なんだなあということを実感。
で、老師が弾かれてると途中で装飾音が書き直される。
シエさんに、「K小姐(日本の先生)に、ここの装飾音はこう変えなさいと言っといてくれるかね。」と老師が言われる。
シエさん、通訳もして、先生に伝えなければいけないこともメモって大変。

あと、「湾柱」という珍しい奏法を教えてもらった。
この曲はG調だが、譜面には下の3が出てくる。G調は内弦の開放弦が下の5で、下の3は出せないのでいつもは普通の3(外弦の)を弾いていた。
老師に教えてもらったそれは、二胡は前に倒し気味で、左手の指は5本とも棹を持ち、中指・薬指・小指は内側(身体側)に押し、人差し指は外側を押し、弓は内弦を弾くというものだ。
老師が弾かれると下の3のような音がするが、私がやってもいまいち変。
ていうか5本の指を2つにわけて力を入れる方向が全く逆ってこと自体がむつかしい。
本当に二胡って、いろんな不自然が力の入れ方があって、もうこの年になるとなかなか脳から指まで指令がいかないんですよね。

そして、もう一度弾いてみるが今度は「ビブラートをかけなさい」と言われる。
私はまだビブラートができないので、そう言ってもらうと、老師が(駄目じゃないの〜)という感じで顔をしかめて、「ビブラートは絶対かけるべきだよ」と言われて、老師が二胡を置いて鏡の前に行かれた。私も二胡をおいて老師の隣へ行くと、鏡をみながらビブラートの練習が始まる。
シエさんも一緒にやらさるはめに。
右手を握り、こぶしを顔まで上げて、左手の中指の先を右手首のでっぱってる骨の上に置き、ゆっくり、そして、ひたすら揉む。途中で時間切れのタイマーの音がぴこぴこと鳴るが、15分延長してもらえるようだ。
ビブラートは手首で動かすのではなく、二の腕の筋肉を使って、ひじから手首までは筋肉を使わず力を伝達するだけの役割でないと駄目だそうだ。
私は案の定手首しか動いてないので、「ここを両手でもってなさい。」と老師の左手の二の腕をもたされる。
老師の二の腕はぴくぴく動いている。そして、ひじから手首までの方をさわると動いていない。こんなことができるのね。
私もそれからえんえんずっとやって、時々「好(ハオ)!」(いいぞという意味)と言ってもらえるが、それはまぐれですぐにまたできなくなる。
また、ぴこぴこぴこ・・・と音がなり、レッスン終了。
結局あんまり二胡は触らせてもらえなかったが、最悪、音階練習だけで終わったり・・・なんてことも考えてたので、良かった。日本に帰ったらビブラートの練習をしなければ。
でも、もうちょっと二胡を使ったレッスンをしたかったな。
そうそう、滑り止めシートが気にいられたようなので、老師にあげたら嬉しそうにしてくださった。ふふ、活用してくださいね。

そして、3人も部屋に戻ってきて片付けていると、老師が「あの3人は一人ずつレッスンしないのかね。明日だったら一人ずつ見てあげるよ。」と言われる。
でも、明日はお買い物にいきたいので丁重にお断りしてもらうと「今晩は?」ときた。
これが噂の老師のエンドレスレッスンか・・・。
老師のレッスンは、ほっといたら終わりがないので、あとは用事があるからここまで!とはっきり申し上げないといけない、と日本でkanaさんはじめこれまでにレッスンを受けた人に聞いていたのだ。もう逃げられないと思った3人は結局8時からレッスンをしてもらうことに。私もまぜてもらおうっと。
買い物などはすごくしたい、でももうちょっとレッスン受けてみたいなとも思っていたのでラッキー。

さてさて、夜にレッスンが入ったので予定を大幅に変更。今日は王府井のあたりをうろつく予定だったが、急遽、琉璃廠へ二胡用品を買いに行くことになった。
その前にまずは両替。明日も買い物をするだろうから私は2万円で、しまさんは1万円。
ふたり一緒に両替したので、両替した時にもらった証明書がかなりの高額になった。
これは帰国時の両替の時にいるのでなくさないようにしまっておく。

そして出発。琉璃廠へはシエさんに行き方を聞いていたので地下鉄で和平門(故宮の南)まで行って、あとは歩く。
通訳なしでの行動は初めてなので、ちょっとドキドキ。
お昼ごはんを食べてないので、琉璃廠に行く前にどこかで食べることに。
ごはんを食べるところは何も下調べをしてない私達。地下鉄を上がって大通りを南に向かわなければならいので、私が旅行用に持ってきた方位磁石を見て歩く。
しまさんが、進行方向と反対の看板に南って書いてあるよとつぶやくが、かまわず歩くと道路標識が逆方向になってるので、やはり私が間違っていた。
うーん、方位磁石を見間違えるなんてまぬけ。

気をとりなおし、歩いていくといくつかのレストランがあったので、ガラス張りでお客さんも入っているのがすぐわかる店を選んでみた。
入るなり、なぜか「火鍋、火鍋」といわれて2階に案内される。1階はテーブルがいっぱい空いているにもかかわらず。そして、火鍋を食べるなんて一言もいってないのに。
言われるがまま2階に上がると、客はおらず店員4人が火鍋を食べている。
まかないの時間?

しかし、床が油でつるつるすべる。かなりのすべり具合で、中学生の時分、大掃除の時に教室の床にモップで油がけをしていたのを思い出すくらいすべる。
中国のレストランの床はみんなつるつるなのだろうか。
まかないの時間中の店員のテーブルの横(なぜここに?)に案内され、メニューを見る。
漢字ばかりだけどほとんど解読不可能なので、かろうじてわかるチャーハン・坦坦麺・水餃子と、あとは適当に頼む。

適当に頼んだものが運ばれてきたが、イメージしていたものとなんか違う。
10センチくらいに細長く切ったよく冷えた瓜(すっぱい)、冷奴(ねぎが上にのってごま油がかかっていて底に塩がひいてあって、それがまた塩からい)というもの。
うーん、外は寒いので暖かいものを食べたかったのに、なぜこんなものが?
4人の知恵を総動員して頼んだのがこれかい・・・。

そして料理は運ばれてくるが取り皿がないので、シャンさんが店員に、「小椀ちょーだい」と中国語で言う。
店員さんはわかったという感じで下に行くが、一向に持ってこない。
そうしたら次にきた店員さんは違う人だったので、再び「小椀」という。
「OK、わかったわかった」という感じでもってきてくれたものは、一個のれんげだった・・・。私達はあきらめてそのまま食べることにした。

隣にはここの店員とおぼしき4人がごはんを食べているのに、誰も取り皿を持ってきてくれない。私達は休憩だもんという考え方なのでしょうか。
でも、この店員さんたちの食べっぷりは見事。鍋の具をかきこむかきこむ。
ごはんもかきこみ、おかわりし、またかきこむ。食べるという表現よりかきこむというか食らうという表現がぴったり。女性3人と男性1人でみんな若くてとくに女性はぴちぴちはちきれそうな、でも生き生きしている感じをうけた。男性は細かった・・・。

それにしても、ここの五目チャーハンは絶品だった。ごはんもぽろぽろしてて何より味がよい。こんなごく普通のちょっと小汚い店(ごめんなさい)で、こんなおいしいチャーハンに出会うとは。ああ、もう一度食べたい。
他に坦坦麺はあまりにもあまりにも辛く、一口食べて無理とわかり、でもおいしいので、忘れたころにもう一度食べてみるが、風邪にやられた喉が火を吹くばかりでやはり無理。
水餃子は香草がきいてておいしかった。おいしくてお腹いっぱいになって4人分全部で21元(315円)。満足満足。

そしてセミハードケースを買いにいくために大通りを歩く。
車がびゅんびゅん走っていてそして自転車もびゅんびゅん走っている。
数日前に降った雪がまだ残っているのでましだが、普段はすごいほこりっぽいんでしょう。
歩いていると外人とすれ違う。日本では全然気にしないが、中国で外人に会うと何故かすごく珍しい気がする。

やがて琉璃廠の入口にさしかかる。琉璃廠は清の時代の家並みを復元したところで、書画骨董などの店が連なっているそう。
なるほど、琉璃瓦を使った見事な建物が見える。通りの東側を歩いていた私たちは、目的の店が西側にあるので歩道橋を渡るが、歩道橋の上でかわいらしい少女にであう。
小学校1年生くらいで、おかっぱ頭でほっぺたが真っ赤な、いかにも田舎にいそうな少女だった。
私達は一緒に写真をとったが、笑顔がまた素朴で本当に嬉しそうな顔をする。
そんな笑顔を見るのは久しぶりだったので、子どもがこんな笑顔をするのは、なんかええなあと思った。本当にかわいらしくてすごく印象に残った出来事だった。
中国語がしゃべれたらコミュニケーションがとれたのになあ、と本当に残念。
(って、9ヶ月ならってるやん)

歩道橋をおりて、さあ店どこかいなと思っていると、しまさんが「シエさんが書いてくれた店の名前の紙もってきた?」という。
ああ、そういえば老師のレッスン前に、「メモ、ここに置いとくし」ってしまさんから言われてたなあ。
でも、レッスン受けた私は、そのメモのことは綺麗さっぱり忘れていて、 持ってきた記憶がない。かばんを探してみるが、やはりない。
ふと走るみんなの冷たい視線。すんませーん、この旅行中はかなりぼけぼけな私。
おかしいなあ、普段だったら忘れないはずなのに。

こうなったら後はシエさんから、直接店への行き方を聞いた私の記憶が頼り。
でもそれもあやふやだったりする。店の名前は「〇〇琴行」だったような・・・。
あとは、通りの西側にあって、店のウインドウには二胡がずらっと並んでいて、ショーケースには白い箱の「阿炳」の松脂があるという。
ずんずん歩いていると「琴行」という名前がついた店はそこここにあり、もちろん、二胡を店頭に並べている店はたくさんあって、私の記憶は全く役にたたない。
そして、ここまで来ては間違いという目印の、ウエディングドレスの店にたどりついてしまったので、引き返す。

しょうがないので、今まで通り過ぎてきた中で、比較的大きい店に入ってみる。
中に入ると店員さんがいない。仕方ないのでセミハードケースはないかとあたりを物色してみると、端の方に大きいケースや小さいケースが山積みになっている。
そして、この店のおかみさんのようなちょっとふくよかなおばちゃんがでてきたので、見せてもらうと、私たちが欲しいと思っていたセミハードケースだが、なんか小さい。
どうやら琵琶のケースみたい。

そうではなくて二胡のセミハードケースがほしいので、シャンさんが「アルフー、ハードケース」というが、通じない。
「ケースって何やったっけ?」「箱?」「箱ってどう言うの?」という内輪のやりとりをしてみるが、通じないときはやはりこれ、筆談ですね。
私がノートを取り出してシャンさんに渡すと、彼女は長方形(ケースのつもり)の中の二胡と長方形の中の琵琶を書いて私達は二胡のケースがほしいとおばちゃんに説明する。
おばちゃん、も〜、わかったわかったという顔と身ぶり手ぶりを交えながら二胡のはこれ、と持ってきてくれたのは、ソフトケース。
いや、それじゃなくてとソフトケースをさわりながら琵琶のケースの表面をさわって説明するけれど、おばちゃんは琵琶のケースを指し示す。
だからっ、この琵琶の材質のもので二胡のケースをちょうだい!と私達は日本語で言う。
そして通じない・・・。
そこでシャンさんが突然、「寝台列車の硬い席(硬 臣ト)と軟らかい席(軟 臣ト)ってどういうんやったっけ?」
ああ、中国語教室で習った習った。でもこの私が覚えているわけがない。
ソフトケース(軟)、セミハードケース(硬)なのね。なるほどと思って、ノートに2つの字を書いてみて「硬」という字にマルをしたらやっと通じたみたいで、思っていたセミハードケースを出してきてくれた。

もうひとつ欲しいと伝えて、これで一安心と思ったが、kanaさんの漂流記にもあるように、二胡の長さを測ってきていたので、何センチか計らないといけない。
もう一人の若い店員さんにケースの両端を両手で示して、ノートに「cm」と書く。
いまいちわかってくれない。が、目につくところに定規があったので、それで計らせてもらった。私の二胡は84cmでケースは85cmちょっとだったので、十分入るのでこれに決めることにした。やれやれ。
おばちゃんがしまさんの分ももってきてくれたので、しまさんは二胡の胴部分を紙になぞり書きしていたもので入るか計っていた。

あとは、欲しいと思っていた「阿炳」の松脂があったので、それを買って私のお買い物はおわり。他の3人は譜面台を物色していた。
さて、ここからがお決まりの値段交渉。
「(中国語を)雰囲気でしゃべってんねん。」と言いつつもなんだか相手に中国語が通じているシャンさんの登場。
松脂はひとつ10元、ケースは65元。値段を聞くとまずはお決まりの「太貴了(値段が高すぎる)。」
身ぶり手ぶりそして表情を加えて、シャンさんは「ケース50元、まけてちょうだい」と交渉。でも、このおばちゃんはまけるそぶりを全く見せない。
まけてくれない店もあるのか、それとも日本人だからぼったくられているのか。
しまいにシャンさんは、お願いっ!って感じで手をあわせるが、それでも首を横にふるおばちゃん。
「あかんわ、ケチやわ」とシャンさんがつぶやく・・・。
シャンさんが交渉しても駄目だったのを私がなんとかできるはずもなく、値段が伝票に書かれてゆくと、ケースが60元になっていて、書き終わったおばちゃんはニッと笑う。
シャンさんが「言うことはきついねんけど、根はやさしい中国のおばちゃんは好きやわ」
と言っていた。同感、同感。

と、隣を見ると、まるさんが中国人のおじさんにナンパされていた。
値段交渉がひと段落したシャンさんに助けを求めていたが、私達は日本から来て、二胡を習っているというようなことを話していた。
そして、私達の買い物が終わり店から出ると、そのおじさんが待っていて声をかけてきた。シャンさんに聞くと、どうやら知り合いの二胡の店に行って一緒に二胡をひこうというような内容だったらしい。国際交流だわ。
行ってもよかったのだけど、そろそろ帰らないと8時からのレッスンに間に合わない。
お断りして私達は琉璃廠へ向かった。

琉璃廠は古いけれど立派な店がまえが多く、古い建物好きの私としては嬉しくなってくる。
そして楽器屋さんの2階でCDと楽譜を物色。
すごい種類の楽譜があり、どれがいいのが迷ってしまう。
しまさんが、どんな楽譜を買えばいいか先生に聞くはずだったのが、しっかり者の彼女とあろう者が忘れてたので、わからずじまい。なので、以前、日本の先生のところで見た音階練習用の楽譜を1冊購入することにする。一冊5元(75円)。
どうやらしま・かげコンビは、ぼけぼけ度がましてきたみたいだ。

さて、次はCDを物色。これまたいろいろ種類があって迷ってしまう。
私は『瑶族舞曲』の入ったCDが欲しかったが残念ながらなかった。
あれこれ見ていると老師の名前の入ったCDがあってびっくり。
しかも『空山鳥語』ばかり。どれか1枚買っていこうとしたが、結局、ありすぎて決められず1枚も買わずに店をあとにしてしまった。
ま、他の店でも買えるでしょう、と思ったら甘かった・・・。
CDをおいてる店に行くことが、その後できなかったので、結局、帰りに空港でよくわからないまま2枚買うことに。やはり何事も縁のものなので、思ったときに買わないと駄目だと後悔。もったいないことをしてしまった。老師の『空山鳥語』、次に行ったときには必ず買います!

そして、店を出て次は「友誼商店」という建国門にあるデパートへ。
ちょうど地下鉄の乗り継ぎの駅なので寄ることにする。もうあたりが暗くなってきている。
実は1月に教室の発表会があるので、何か衣装もしくは小物があれば買おうということになっていた。

しかし、友諠商店はひとくちで言えばひと昔前のデパートという感じ。
あまり心ひかれるものもないので、みんなパンダクッキーなどお菓子のおみやげを買う。
パンダクッキーは18個入りだと45元(675円)。日本の観光地で買う饅頭などと変わらない値段だ。きっと他で買えば安いんだろうけどほとんどみやげものが買えてないのでここで買うことにした。
そろそろレッスン時間がせまってきたので、夕食を食べに行くことにする。
王府井まで戻ってきて、「東方新天地」というショッピングセンターに入り、地下レストランを探す。
この東方新天地はもう、北京のイメージががらりと変わるくらい明るく綺麗でおしゃれ。京都にある某デパートを改装して若者向けのデパートになったような、そんな感じ。でも、ここでも飾りつけはやはりクリスマスで、流れるBGMもクリスマスの曲だった。なぜ?

私達が入ったのはおしゃれなチャイニーズレストラン。
メニューを見ると中国語と英語が書いてあるが、今度はガイドブックの後ろに書いてある料理名一覧を見ながら頼む。注文したものは、くらげの酢の物、鶏としいたけのオイスターソース炒め、チャーハン、トマトと卵の炒めものと茉莉花茶。
トマトと卵の炒めものは、シャンさんがそれのスープを頼んだつもりだったのが、炒めものを注文していたらしい。これはスクランブルエッグにトマトを入れたものだが、おいしかった。自分でもよく作るメニューだが中華のメニューだとは知らなかった。
あと、ここは茉莉花のサービスがなく、注文しなければいけない。こんな店もあるんだと思った。
夕食は、4人あわせて134元(2,010円)。おいしい。安い。
でも昨夜に比べたら高いし、お昼の店のチャーハンの方がずっとおいしかった。

店を出て地下にあるスーパーに入る。私は昨日食べた「怪しい味の豆」が忘れられなかったので、探すことにする。そうしたら量り売りのコーナーでいきなり発見。
昨日のと色も形も一緒。後で買おうと思って(だから!そこですぐ買わなきゃ)他を見てまわっていると、しまさんが「あったで〜」と言いながら何やら袋を持っている。
袋を見てみると『怪味豆』という文字が!
どうやら昨日の胡同のおばちゃんは私達をからかっていたのではなく、本当にこんな名前のお菓子があったのだった。
感激した私は、量り売りより袋になってるほうが保存もできるからと思って、一気に5袋(1袋2元)を購入。ほくほく気分でスーパーを後にした。
日がおちた北京はとてもとても寒く、太ももが特に寒い。
次に北京に来るときには絶対にダウンのロングコートで来よう。
風邪は最高にひどくなってきて歯ぐきが浮くようにズキズキしてくる。やばし。

そしてホテルに戻り、二胡をまるさんの部屋に持っていって待機。
老師が来られて8時過ぎよりレッスン開始。
通訳のシエさんはいないので、ちゃんとコミュニケーションができるか心配。
でも老師は変わらずレッスン中も「ほーほっほっほ」を連発。
まずは『八月桂花偏地開』。3人が弾いてる時に私は音合わせをしていたが、弦軸から弦がはずれて悪戦苦闘。それを見ていた老師が助けてくださったが、なにぶんホテルの照明は暗いのでバスルームへ移動して弦を巻きなおしてもらう。
老師は弦を巻きなおしながら『八月〜』を聴き「好、好!」と言われる。
そうしたら急に巻き直った私の二胡で弓を小刻みに左右に押し引きされ、何か一所懸命しゃべっておられる。そしてみんなの所へ戻り、同じようにされる。
一同「?」だが、老師としゃべっていた&筆談していたシャンさんによると右手の放松(リラックス)の練習で、弓の竹の左から約3分の1の、印がしてある部分が横に倒した8の字に見えるようにしなさいというもの。みんなやってみるが老師のようにうまくいかない。

そこで老師がシールや紙とテープがないかとおっしゃる。
どうやら弓の3分の1のポイントに目印を貼りたいみたいだが、そんなものはないと言っていると、しまさんがバンドエイドを出してきた。
そしてシャンさんが初日に嬉しげに見せていた万能ナイフで、紙とバンドエイドをちょきちょき・・・。まさかこんな工作をするとは思わなかった。
小さく正方形に切った紙を竹にのせ、その上からひとまわり大きく切ったバンドエイドを貼る。4人全員貼り終えたらみんなで弓を小刻みに押し引きする。

なかなかできなくて、そうしているうちに老師が紙に『敖包相会』と書かれる。
この曲は老師の大好きな曲なので、北京に行ったら絶対やるはずと聞かされていた。
みんな日本で練習してきてるので、なんとか無事に弾けた。
そして装飾音が楽譜に書き込まれて、難しいところは私達用に簡単なフレーズに書き直してもらって、最後は馬が走り去っていくような終わり方を教えてもらった。
まっさらな楽譜のまっさらな曲がどんどんふくらんでゆき、モンゴルの草原が目に浮かんでくるよう。今さらながら曲に表情がつくってことは本当に楽しいってことを知った。
そして『敖包相会』を弾いていると、次に老師が紙に『敖包相会』と似たようなフレーズを4小節くらい書かれて、これを弾きなさいと言われる。
老師、こんなあっちこっちとんで『八月桂花偏地開』はよろしいんですか?
もうすっかりお忘れみたい・・・。

10時半にレッスン終了。なんと次にまだチョワン先生のレッスンがあるらしい。
老師が帰られる前に、しまさんの二胡の外弦の弦軸の先の白い部分がはずれているので、老師に見てもらっていた。そうしたら老師が今日持って帰って修理して、明日持ってきてあげるとおっしゃる。なんてやさしいのかしら。
明日は9時にロビーで待ち合わせになって、老師が帰られる。
お疲れさんと、みんなでほっこりすると老師の二胡が置きっぱなし。
あわてて持っていく。どうやらしまさんの二胡をかついで行かれたので、自分の二胡は忘れていってしまわれたようだ。修理、大丈夫かな。

そして本日のお金の精算をして、明日の京劇のチケット代全員分を私が預かり、明日の予定を決めて部屋に戻る。
結局、【乙女のハートをわしづかみにする】雑貨を置いてある店は場所がよくわからないので、取りやめになった。残念。
お風呂に入り、日に日に時間がかかってくる荷物の整理をし、自分のお金を数えると何故か異様に元が多くて1500元近くある。
やはり2万円も両替したからかなあ。
今日は葛根湯を飲み、いつものようにバシャバシャと水をまき、寝たのは午前1時半。毎日遅いなあ。

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