[目次] [前話へ] [次話へ]
「香港回帰で、北京の天安門は人人人の巻」 の はずでしたが、やはり、二胡のことしか覚えていないので、次に進みます。 (2001/1/14) 第十三話:「ここんとこのZ老師のレッスンは? さて、てんてんです。 前回、<江河水>で更に落ち込んでいた私の元へ、Z老師が戻ってきて下さいました。 この頃、Z老師のレッスンは基礎改造計画を続けながら、帰国した際に初心者を教えられるようにと、テキストでいうと1級から2級にあたる曲をいろんな角度で教わっていました。その中には、中国のさまざまな地域の民歌や私にはわからない劇中の歌などの小曲でしたが、各地域の風格に慣れ、また、Z老師のテキストを元に、曲中に現れるさまざまな技法についての解説をして下さいました。 そういうことを地道に続けながら、劉天華の<空山鳥語>に入りました。Z老師の<空山鳥語>は音楽大全二胡の劉天華専業の巻でも聞いていましたし、北京で発行されている二胡レッスンビデオの中でもZ老師は演奏されていましたので、たぶん、弟子は必ずひかされるものなのだと言うことはわかっていました。 音楽学院で、Z老師に習ってると言うと必ず、「じゃあ、君は夜明けの天壇公園に連れていかれたか?」と、かならず言われます。 私は連れられていかなかったのですが、北京の天壇公園には鳥がいっぱい集まって、さえずり合うのだそうです。それを実際に聞いて、曲の理解を深めるのだそうです。 さすが、十八番の曲なので、曲の処理の仕方も練り上げられたものを感じましたし、解説もとてもおもしろかったです。 一段、一段について、風景と鳥の様子。お母さん鳥がどうしたとか、子どもの鳥がどうしたとか、目に見えるように描写して下さいました。Z老師はまた、一風かわっていたので、曲の解説は劇のようにまるで役者のように、狭い部屋をほんとにかけながら、一幕一幕(楽譜では一段一段)演じて下さいました。 で、時々自分もやらされるのです。で、“投入角色”というわけで、登場人物への感情移入とかを重視していました。 で、実際、ひくとなるとこれが大変でした。譜面見ても、何ひいてるんだか全然わからないんです。 特に五段の部分が、それぞれの奏者によって、短くする人、そこをここぞとばかりにひく人、それぞれなので、録音と楽譜をあてはめてみることは困難のようです。 私のてんでわからない顔を見た老師は、 「やっぱりわからないかい? 外国人だしね。じゃあ、正確に譜面をおこしてあげよう。」 と、一番困難な部分を全部譜面におこして下さいました。 うーん、みんなに見せてあげたい。でも、それも謎の記号のようです。 Z老師は毎日必ず1回はひくことと言われました。指の運動になるかららしく、それによって、指の状態がわかるようです。 留学生楼の窓辺でよくひいていました。鳥がよってくるかなあ。よってきたらいいのになあと。へたくそでもいい思い出です。 さて、鳥はよってきたでしょうか?
|
[目次] [前話へ] [次話へ]